エナジードリンクスパイラル

紫野一歩

エナジードリンクスパイラル

 エナジードリンクブームが到来していた。

 翼を授ける、というフレーズでお馴染みのエナジードリンクが世界的なヒットを飛ばしてからというもの、企業はこぞってオリジナルエナジードリンクを売り出し、そしてあえなく散っていった。

 人々はエナジードリンクを飲む際に細かな検証などしない。飲む前と飲む後で元気が良くなった“気がする”という気分になれば十分な人がほとんどだ。そうなると、あまり聞いた事が無い新商品よりも、自分が良く知っている、元気が良くなる〝と信じている”ドリンクに手を伸ばしがちなのである。

 これが新興勢力がなかなか定着しない理由である。

 A社も、エナジードリンクで一山当てようと目論んでいる企業の一つである。新商品を何とか定着させようと、有名なコピーライターにポスターを作って貰ったり、パッケージを派手な物にしてみたりと工夫を凝らしているのだが、全て失敗。これまでの二種類のドリンクはどちらも二ヵ月を待たずに生産中止となっていた。

 A社は昔からのコアなファンに支えられて細々と営業を続ける弱小企業である。主力商品のトロピカルお汁粉がコンスタントに売れ続けているので企業の体勢は保てているが、こう何度も新商品が鳴かず飛ばずだと、流石に経営が厳しくなる。

「おい、次で最後だとよ」

「……え? 最後って?」

「決まってるだろ。この開発がダメだったら俺達全員解雇ってこった」

 T氏は同僚のK氏に言われ、しばらく声が出なかった。

 自分たちは注文通りの商品をきっちり開発してきたはずだ。そのどちらもが注文以上の味と効能を発揮していると自負している。

 中身だけ比べれば、今の市場でナンバー1のシェアを持つドリンクにも負けない。売れないのはパッケージや広告などの営業部分のせいなのだ。

「何で俺達が! 落ち度なんて無いだろう!?」

「ああ、だから上の決定は研究費の縮小だ。研究費は少なくてもどうせいい結果が残せるだろう、その代わりに営業にもっと金を掛けるんだと」

「今でも無駄に金使いまくってるだろう! それなのにまだ金をドブに捨てるのか!? 優秀な人間が馬鹿を見るなんてあんまりだ!」

「だからうちは弱小企業止まりなんだろうな。仕方が無いだろう、上の決定だ。……だからこそ、今回は好きにやろう」

 Kはそう言って、パソコンの画面に一つのファイルを映し出す。

「何とか交渉して企画部の会議を一任してもらう事になった。今回は指示された物を作るんじゃなくて、俺達が考える最強のエナジードリンクが作れる」

 何をどう交渉すればそんな事が出来るのか、Kは自分のオリジナルエナジードリンクを会社の商品として売り出す事を約束した契約書のファイルを開いていた。

「お前……どうやったんだ?」

「まぁ口先は任せろ」

「Kが営業やった方がいいんじゃないのか……? いや、待て。この締切日はなんだ?」

 Tが指差す欄には二ヵ月後の日付が記されている。通常、研究は半年サイクルで行われ、それでも成果が出ない事がざらにある分野だ。この締め切りは明らかに短すぎた。

「その期日だけが、どうしても延ばせなかった。すまん」

「…………」

 Tは途方に暮れたが、すぐに考え直す。ここまで交渉しただけでもKは良くやってくれた。口下手の自分だったらまず交渉すらしてもらえないだろう。それであれば、自分がやれることは何だ。

「二か月で最高の物を作ろう」

 それからというもの、TとKは日々研究に明け暮れた。それこそ寝る間を惜しんで自分の体に鞭を打つように、実験データを覗き続けた。

 もっといいものを、もっといいものを。

 そこには研究者としての矜持と意地があった。小細工などを必要としない完璧なドリンクを作ればいいのだ。そうすれば自ずと売れるに決まっている。

 二人は妥協を知らず、そして己の限界も知らなかった。


「T、おい、T!」

 研究を始めて一ヵ月が過ぎた朝の事。

 煮詰まりに煮詰まったTはいつもの様に倒れた。

 ここ最近、二日に一度は倒れている。土日を返上して研究し、寝る時間も一日平均一時間か二時間そこらである。

「大丈夫、大丈夫」

 Tは研究室のフラスコに入っている液体を飲み干した。

 それはTとKが研究途中のエナジードリンクで、それを飲めばまた何とか動けるようになるのである。その効能は既に他のエナジードリンクがただの水に見える程の効果を持ち合わせていた。それでも二人の理想にはまだ遠い。

「おし、じゃあこのクエン酸と――」

「待て、それは塩酸だ。そんなの飲んだら大事故だろうが」

 Kに言われてTは眉間に皺を寄せる。フラフラと焦点が定まらない目でもう一度ラベルを見つめると、確かに塩酸だった。それを口に含んだ自分を想像して背筋が冷たくなる。

「危なかった……」

「なぁ少し休めよ。二日も寝てないんだろ?」

 KがTを制する様に肩を掴むが、その肩に置かれた手を振り払ってTは言う。

「後少しだろ? ここで止めてどうする。そういうKこそもう三日も寝てないだろ?」

「俺は大丈夫だ。ドリンクをお前よりも沢山飲んでる」

「大丈夫じゃないじゃないか」

「大丈夫なんだよ。それはお前が一番知ってるだろ」

 そう声を荒らげるKは靴下をはき間違えたのか、色が赤と黄色でちぐはぐだ。Tを窘めているが、自分の事にまで意識を回す余裕が無いのだ。

「よし、五分だけ寝るか」

 ゆらゆらと幽霊の様に仮眠室に入り、二人は横になる。

 五分後に起きて、自分たちで作ったドリンクを飲み干す。

 それの繰り返しだった。

 自分たちが作ったドリンクを試飲し、その力でさらに効き目の強いドリンクを作る。それをさらに試飲し、そしてそれでさらに――。

 朦朧とした意識の中で、二人は飲み続け、手を動かし続けた。

「あと少し……」

 その言葉を何度呟いただろうか。

 そう呟いて、また体に鞭を打つ。

「おい」

 TにKに話し掛ける。

「なんだ」

「こんだけやれば、売れるよな」

「何言ってんだ。まだまだ足りねぇよ」

「ふふふ……違いない」

「ははは……」

 かくして、TとKはとうとう究極のエナジードリンクを完成させた。

 周りの社員の制止を何度も振り切り、会社に忍び込んで上司と戦ってまで、彼らは作るのを止めなかった。その結果がとうとう出たのである。

 一本飲めばどれだけ働いてもエネルギーを持て余す程の力が湧いて来る、正真正銘のエナジーが配合されたドリンクである。

 いくら新ドリンクが敬遠される傾向にあると言えど、流石にそんじょそこらのドリンクとはわけが違う逸品だ。上手い広告が打てなかろうが何しようが、この効能なら口コミでも十分に広まってくれるはずだ。

 TとKは意気揚々と社長室に押し入り、そのドリンクを紹介した。

「どうです社長! このドリンクがあればAドリンクは売上アップ……いや、業界シェアナンバー1を勝ち取れますよ!」

「全ての効果が他のドリンクの十倍以上……いや、もはや測定不能です」

 二人は、さぞ社長が喜ぶと思っていた。いきなり抱き付いて来て頬ずりしながら給料を倍にすると言ってくれる事を期待せずにはいられなかった。

「…………」

 しかし、社長の表情はあまりすぐれない。それどころか眉間に皺を寄せて悩んでいる様に見えた。TとKは尚もめげずに話し掛けるが、社長は腕を組んだまま目線を逸らさず、ぼんやりと虚空を見つめている。

「社長! どうしたんですか! 文句ないでしょう!? これだけの逸品!」

「採用させないとは言わせませんよ!」

 そう言って自分たちが作ったエナジードリンクを社長に押し付ける。しかし、社長は眉間に皺を寄せたまま、ゆっくりと首を振った。

「ダメだ。これは採用できない」

「何故なんですか! 僕達が寝ずに死ぬ思いで作ったドリンクだっていうのに!」

 KもTも憤りが隠せず、息を巻いて社長に詰め寄る。しかし、社長は突き放すように手を前に翳し、それ以上来るなと無言で訴えていた。

「自分の胸に手を当ててみろ」

 社長が言ったことが、二人にはよく理解出来なかった。別にやましい事などしていない。むしろこの身を粉にして、真摯に仕事をしてきたはずである。

 二人はイライラを募らせながら、自分の胸に手を当てた。

「…………」

「…………」

 二人とも、そこでようやく気付いた。

 心臓の音が聞こえない。

「君たちはとうに限界を超えていた。それなのに、そのドリンクのせいでそれに気付かなかったのだ」

「そんなはずは……そんなはずは!」

 Tが喘ぐように呟く隣で、Kが倒れた。エナジードリンクの効果が切れたのだ。

「エナジードリンクはな。効きすぎちゃいけないんだ。程よく美味しく、元気になれる“気がする”くらいがちょうどいいんだよ……」

 後を追うようにTも倒れ、すぐさま二人は病院に運ばれた。しかし手当の余地は無く、ほどなくして死亡が確認される事となる。



 死後二週間が経っていた。

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