あらざらむ

彩葉

第1話

 窓の外で雪が降っている。

 傘をさす人々は厚手のコートを羽織り、人に依ってはマフラーや手袋なんかでも身を削る寒波に耐えている。

 きっと寒いのだろう。

 窓の内側にいる私には、外の気温を目で見ることは出来ても、実感することは出来ない。薄い病衣一枚で快適な空調は、私から四季を遠ざけた。

 次の冬は、目で見ることもできないだろう。

 余命半年。それが医者から告げられた私の最後の時間だった。

 願わくば、最後まで彼の雄姿を見届けられますように。


「彼氏?」

 担当の看護さんにそう聞かれたのは、まだ私の入院が一週間とされていた時期だった。私は力なく首を振る。自分で示した事実が恨めしくなり、私は八つ当たりのように看護師さんを睨んだ。

 好きだった。

 家が近いというだけの幼馴染。どういう関係か聞かれてはそう答える。実際、幼馴染なんて本人たちの意思というよりは母親の都合であることがほとんどだ。学区が一緒であれば、大抵は高校までの時を同じように過ごす。

 世界でもありふれた幼馴染像を掲げた私たちは、きっと友達未満なのだろう。

 それでも好きだった。

 こんこんと降りゆく白い結晶を眺める。私は雪より氷が好きだった。彼が、新太が輝ける舞台を担っている氷が、私はなによりも羨ましい。

 ずっと一緒にいたというのに、私が新太を好きになったのは中学生活がもう終わりに差し掛かろうとしている頃だった。中学二年が終わり、新しい年度が始まる前の春休み、母に誘われて私は近所のスケートリンクへ行くことになった。大会の会場が、たまたまそのスケート場になったらしい。

 私は大した興味もないままテンションの高い母に連れられて、私は観客席に座る。思ったよりも寒く、私は両腕を擦った。

 順々に私と同い年か、それよりも小さな子供がスケートリンクを自在に舞う。オリンピックぐらいでしか見る機会のないそれに、私はそこそこ見入っていた。

 新太の番が来る。名前の読み上げで、私はようやくなぜ母がこんな大会に行きたがっていたのかを理解した。母はこれを私に見せたかったのだろう。

 力強い、獣のような演技だった。軽やかなのに獰猛で、私は演技の間新太から目を離せないでいた。幼馴染の、全く知らない一面。ただのご近所さんから、特別に変わる瞬間。

 私は確かに恋に落ちた。

 その大会は惜しくも二位という成績だったけれど、私は一番心に残る演技だったと思う。

 それからも新太はスケートを続けた。学校では冴えないメガネをかけた、クラスの隅にいるような新太が、リンクの上では豹変する。私は母のいないときも、新太の大会を見に行くようになった。

 病気が発覚したのは、まだ寒い春の日だったと思う。スケートリンクの観客席で、私は意識を失った。最後の記憶は演技中の新太の、ひどく狼狽した表情。

 新太は私が大会に足繁く通っているとは知らなかったはずだ。だから驚き八割、心配二割といったところだろう。私はそんなことよりも演技に集中してほしかったが、まあ仕方がない。

 お見舞いに来た新太にはなぜか謝られた。リンクの寒さが原因だと思ったらしい。

 馬鹿だなあ、と私は笑う。そういえば頭はあんまり良くないんだったか。

 その時はまだ余命なんて言葉は遠い彼方で、私は栄養失調で倒れたことになっていた。だが、日に日に検査が増えていく。医者の顔が、だんだん、だんだん曇っていく。

 高校の入学式には出れなかった。

 哀れに思ったのか、新太は桜の写真をたくさん見せてくれた。私は、思い切って言ってみた。

 新太の、滑っているところをまた見たい。

 てっきり、どうしてだかは分からないが、私は新太がスケートをやめたのだと思っていた。月に二度ほどお見舞いに来る新太が、ただの一度もスケートの話をしなかったのが原因だと思う。

 それからはビデオが送られるようになった。

 その度に私は、ああこれで死んでも大丈夫だと思う。

 そして、今日はテレビを見ていた。

 オリンピック、その本番。新太は日本代表として世界の舞台に立っていた。

 死んでもいいと思っていた。でも、死期が近くなり欲が出たのだろうか。私は画面越しの新太を見てぼろぼろと涙を流す。


 あらざらむ

 この世のほかの

 思ひ出に

 今ひとたびの

 あふこともがな


 彼女にしてくれなんて言わない。残す側の私にそんな我儘は許されない。

 ただ、ただ最後に会えれば、私はそれでいいのに。

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あらざらむ 彩葉 @irohamikan

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