悪魔王子の旦那様は今日もツンとデレている

遊野煌

第1話 邂逅


──十年前・エヴァンズ公爵の屋敷


その夜はひときわ満月が綺麗な夜だった。だって十年に一度のスーパームーンの夜だったから。

まだ六歳。その大きく美しい月を初めて目にした私こと、リリー=エヴァンズはベッドに潜り込んでもなかなか眠ることができずにいた。


「見て、ラピス。とっても月が綺麗ね」


私は毎日一緒に眠っている、黒うさぎのラピスにそう声をかけた。


「……きゅうっ」


ラピスは眠そうな顔をしながらも毛布から出てくると澄んだ紫色の大きな瞳で私をじっと見つめた。この紫色の瞳がラピスラズリのように綺麗だったから、私は迷わず彼女にこの名前をつけた。


ラピスとはちょうど一年前からの付き合いだ。ラピスは通常のウサギよりもかなり小さく、子供の手のひらサイズしかない。小さいうさぎということだけでも珍しいが、ラピスはこの世界では忌み嫌われている黒い色をしている。


この国のものなら誰しもが黒は悪魔の色だと口を揃えていい、皆、黒いモノなら家具や洋服さらに動物でさえも悪魔の化身だといって忌み嫌い、拒絶する。


ラピスも例外ではなかった。ラピスとの出会いは私が母であるマリアと偶然市場に買い物に行った際、兵士によって捕らわれ処分されそうになっていたところを、母が金貨五枚で買い取ったのだ。


(黒い色をしているからって悪魔だなんてとんでもないわ)


ラピスがなぜ黒い毛並みを持って生まれてきたのかはわからないが、私にとってたった一人の友人だ。私はラピスの小さな額を指先でそっと撫でた。


「起こしてごめんね。だってこんなに大きくて綺麗な月、次いつ見れるかわかんないでしょ」


私がそう言うと、ラピスはベッドつたいに窓辺に向かってテチテチと歩いていき、窓枠に両手をかけようと足を踏ん張る。


「ふふ、ちょっと待ってね」


私がベッド脇の出窓をそっと開ければ、気持ちの良い夜風がさぁっと室内に流れ込んできて私のブロンドの髪を撫でていく。


私はラピスに外の景色を見せてあげようと、ラピスを両腕に包むと窓辺に少し身を乗り出した。



「どう、よく見える?」


「きゅうきゅうっ」


「良かった」


その時だった──視界の端に動くものが見えた。


「……なに?」


一瞬動物か何かかと思ったが、月明かりを頼りに目を凝らせばそれが人型をしていることがわかる。


きっといつもの夜ならわからなかっただろうが、今夜のスーパームーンのお陰で私はその姿をはっきりと捉えることができた。


その人物は黒いフードのようなものを被っていて背恰好から恐らく男だろう。


(こんな時間にどうして家の中庭に? だってこの先には……)


私は鼓動が少しずつ駆け足になるのをそのままに視線だけで男を追っていく。


そして男は私がいる屋敷とは独立した、中庭にある六角形をした円錐状の建物に近づいていく。この建物は薬の調合師をしている母の仕事場だ。


(お母様のお客様かしら……)


母であるマリアはこの国でも有名な薬の調合師をしており、あの建物には日頃から母に薬を依頼している人間がひっきりなしに出入りをしている。


ただし、それは朝方から夕方にかけてまでだ。


母は寝る直前まで薬の調合をするほど仕事熱心だが、夜間の薬の受け取りはしないよう先方と取り決めをしていると以前話してくれたことがあった。


「よっぽど急ぎなのかな」


母の調合する薬は熱さましから解毒剤に惚れ薬と用途も種類も多岐にわたる。


いつも色とりどりのビーカーと試験管、薬草に囲まれた母の仕事場は見ているだけで飽きることがなく私のお気に入りの場所でもあった。


男は草をじっくりと踏みしめるようにゆっくりと母の仕事場の扉の前にたどり着くと、手袋をはめた手で扉をノックする。


そしてすぐに母が扉から顔を出す。


その瞬間だった──。


男は月明かりに照らされながら白銀に光る長剣を振りかざすと、迷わず母の胸へと突き刺した。


「──っ!!!!」


到底、私は何が起こったのか理解できない。


まるで金縛りにあったかのように声を出すことも身体を動かすこともできない中で、私はただ返り血を浴びた男と床に倒れた母の姿をただ目を見開いて見ていた。


スーパームーンに照らされた男の横顔から白い歯が見えてゾッとする。


(助けにいかなきゃ……今すぐに)


(お母様の元に……)


そう思うのに身体は動かずカタカタと小刻みに震えるだけだ。私は無理やり声帯を押し広げるように喉の奥から声を絞り出す。


「か……あさま……」


蚊の泣くような掠れた声をようやく発したその時、突如、強い風が吹いて窓が全開になった。


そして、その衝撃でベッドサイドの花瓶が揺れて床へと落下する。


(あ……っ)


──ガシャン!!


床に散らばった薔薇の花から、すぐに視線を窓の外に移せば男と目があった。


(!!)


血まみれの剣を携えた男はフードを被っていて顔はよくわからない。男は私に向かって剣の先を黙ったまま、すっと向けた。


まるで──次はお前だと言うように。



(誰、なの……っ)


私はもっとよく男の顔を見ようと窓枠に震える手をかけた。そして男の全身に視線を走らせると、男の持っている剣のつばに象られている紋章に目を見張った。


(あの紋章は……王家の……っ)


私が剣の鍔へと向けている視線に気づいたのか、男は剣を鞘に戻すと口元に孤を描いたまま、すぐに庭園へと駆けて行き姿を消した。



さっきまでと何も変わらない静寂の夜が訪れる。美しく大きな月が輝く中で私の鼓動だけがドクドクと音を立て続ける。


倒れた母の周りにできた、真っ赤な血だまりはどんどん大きくなって、私の両目からは涙が溢れて止まらない。


「あ……あぁっ……お母様……っ」


震え、掠れた声は誰にも届かない。


「だれか……助けて……お願、い……」


※※


──お母様っ!!!


いつもの夢だ。

そういつもの夢。それでも私は夢の中で必死に母の名前を呼んでいた。


十年前のあの日、私が母のところに向かう不審な男に向かってなにか声をかけていれば、母は命を奪われなかったかもしれない。


(私に力があれば)


(私が強かったら)


だから私はあの日以来、剣の稽古を始めた。


あの男を絶対に許さない。

絶対に探し出してこの手で殺して見せる。

母の仇をとって見せる。


私は夢の中で固く拳を握ると、海の底から浮上してするように意識を覚醒させていく。



「──きゅうっ!」


私はラピスの声とペロリと舐められた頬の触感と共に涙が滲んだ瞼をそっと開く。


「……ラピス、おはよう。私またうなされてたのね」


「きゅうー……」


「心配しなくても大丈夫よ」


私は荒くなっている呼吸を鎮めるように深呼吸を繰り返しながらラピスを胸に抱きかかえた。



「いつか私が必ずお母様の仇をとるわ……」



──コンコンコンッ


「リリーお嬢様、お目覚めでしょうか」


扉の向こうから聞こえてきたのは、長らく私のメイドとして仕えてくれているドーナだ。


「入っていいわよ、ドーナ」


「失礼致します」


部屋に入ってきたドーナはいつものように長い赤髪を一つに束ねており、私に斜め四十五度にお辞儀をすると窓のカーテンを次々と開けていく。


「きゅうっ」


ドーナの姿をみたラピスがすぐに駆け寄っていく。


「いつものですね。さぁ、召し上がれ」


ドーナはふふっと笑みをこぼしながら、ニンジンとキャベツを細切れにしたものが入った皿をことんと置く。すぐにラピスが美味しそうにそれらを口に含むと咀嚼を始めた。


「お嬢様の朝食もご用意が整っております」


「ありがとう」


ドーナは今年二十六の若さで当家のメイド長として働いており、私とは十年の付き合いになる。


母が亡くなってから、騎士団長を務める父は不在がちなこともあり、私の世話係として知り合いの子爵家から紹介してもらったと聞いている。


「よくお眠りになられましたか?」


「あ……そうね」


「お嬢様、またあの夢をご覧に?」


「え?」


ドーナは困ったように眉を下げながらベッドサイドに座る私の前に片膝をつくと、そっと私の両手を握った。


「そのお顔と声を聞けばわかります……長年、わたくしもできうる限りの情報を集めているのですがお役に立てず申し訳ございません」


「ドーナはよくやってくれているわ」


思わずこぼれたのは心からの労い言葉だ。


ドーナはこの家のメイド長として家事全般を切り盛りするのは勿論のこと、本好きなドーナは博学で私の知らない知識や世界を沢山教えてくれる姉のような存在だ。


「リリーお嬢様に誠心誠意お仕えし、奥様の仇をとるのがこのドーナの使命だと思っております」


「その気持ちだけでも十分よ、無理しないでね。ドーナに何かあったら……」


「お嬢様を悲しませるようなことだけは致しませんのでご安心を」


「その言葉を聞けて安心したわ」


ドーナが私の言葉に目を細めて頷いた。


「ではそろそろお着替えに入りましょう。あっ……そうそうお嬢様」


「どうしたの?」


「ザッハルト様が着替えて朝食を食べたら執務室にいらっしゃるようにと」


「え? お父様が?」


私はドーナの複雑そうな表情と父であるザッハルトが私を執務室へ呼んだ意図をすぐに理解すると、思わずため息を吐いた。



「はぁあ……。この間の、どっかの伯爵のご令息を剣で負かしたことについてね」


「おそらくはそうかと。ちなみにお嬢様が負かした婚約者候補の方の数は百を優に超えております」


「あら、そう。いつからこのフォレストフィールド王国の男たちは女に剣で負けるようになったのかしら」


「お言葉ですが、お嬢様が強すぎるのでございます。さすがは『鉄の守り神』と謳われるザッハルト様のご息女様ですわ」


私はベッド脇に置いている愛用の剣に視線を移した。


「お父様と剣の稽古なら大喜びで行くのに。執務室で稽古はないわね」


「ですね……。ザッハルト様はこのままではお嬢様が婚期を逃すのではといつも気を揉んでいらっしゃるようですので」


「結婚なんて興味ないわ、それに家庭に入れば犯人探しもできなくなるもの」


私はベッドから立ち上がるとうんと伸びをして窓辺から差し込む光に目を細めた。


「今日はいい天気ね。お父様の話が終わったら、どこか出かけたいわ」


「午後からでも宜しいでしょうか? それまでに仕事を全て終わらせますので」


「勿論よ。久しぶりに市場に行きたいわ」


「承知致しました、市場でござ……」


私の言葉にドーナはハッとした顔をすると不満げに眉を顰めた。


「ドーナ? どうしたの?」


「市場といえば……先週買い出しの際にリリーお嬢様のことを熊のように野蛮な令嬢だと揶揄する輩がいらしゃって、わたくし腹が立って」


「熊っ?!」


私は目を丸くすると思わずクスっと笑った。



「ちょうどいいわ、熊みたいにたくましく凶暴な女だとうわさが立てば誰も嫁に欲しいなんて言わないもの」


そして久しぶりに聞いた熊という言葉に私はいつしか出会った初恋の男の子を思い出す。


十年前、母のことで傷ついた私が田舎の別荘に滞在してとき、たった一度だけ出会った男の子。金色の髪に透き通った海のように美しい碧い瞳をもつ男の子だった。


(もう顔も名前も思い出せないけれど……)


「あらまぁ。そのお顔はお嬢様を獰猛な熊から守ったという、初恋の君を思い出されていらっしゃるのですね?」


「え……っ! ち、違うわよっ、ねぇラピス」


「きゅう?」


いつもなら私になんでも同調するラピスが首を傾げて見せる。


「ラピスもそう思ってらっしゃるみたいですわよ」


「もう~っ……」


「ふふ、わたくしその金色の髪を持つ、海のような碧い瞳の男性の情報も調べておきますわ」


「ちょっといいわよっ、それよりはやくドレスを」


私は赤くなった顔をドーラに見られないようにそっぽを向いた。



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