鱒釣り

Yujin23Duo

鱒釣り 

 この話を今この上半期に苦労する若者……特に就活で苦しむボクに届けたい。


 ――あれは小学生の時の話だ。

 

――――――


 当時ボクは鈍臭く、体育の成績はとことん悪かった。

 50メートル走は20秒、反復横跳び18回、握力10kg、マラソンはビリ。

 おまけに頭も良いわけでなく、取る点数も平均60点とイマニ、イマサンな成績しか無い。

 余りに成功体験が存在しなかったのである。

 ある時そんな自分を見た父があるアイデアを思い付いた……ます釣りである。

 父はたまに気分転換で魚釣りをしたりする。場所は自宅から車で三十分、隣町の山の中にある風情ある釣り場。

 河の上流に数個の釣り堀とそこを行き来する石橋があるだけの簡素な釣り場だ。

 そこに放流されているのはサケ目サケ科の一種ます……ただそれだけだ。

 そんなマス釣り場へ父はボクを連れて行くことにしたのである。

 車を走らせ、木々に囲まれた駐車場に停車。木製のロッジみたいな建物で受付へ。

 受付からはエサ用のイクラと釣り竿を貰った。

 細い木の棒に、釣り糸と垂らしたシンプルなものだが、始めて釣り竿を触ったボクは、それはもう目を輝かせたみたいだ。

 子供故の性質か、始めての物にかなり興奮したのだろう。この時のワクワク感は今でも覚えている。

 そのままロッジを出て、ボクは勇み足に釣り堀へと向かっていったのだ。

 長い川を石を積み上げて区分けしただけの釣り堀、そこを石橋で渡り、吟味し、選別。

 選んだのはロッジから距離がある、やや奥側の釣り堀だ。

 緑色に濁った水の中を橋の上から除くと、悠々と泳ぐ魚の姿が数匹程。

 身体を揺らし魚生ぎょせいを謳歌する彼等にボクは目を輝かせ、勢い良く竿を手に取った。

 エサは装着済み、準備は万端、さぁ、いざかん。

 ボクは竿を振り上げ、イクラがついた針を大きく振り飛ばしていった。

 一投目、ポチャンッと音を立てど真ん中へと突入するエサ。

 周りに波紋が浮き上がる中、エサは重力に従って水の中を少しづつ潜っていき、数秒後停止。

 第一段階終了だ、あとはマスが食べてくるのを待つだけだ。

 ボクはエサをジッと見つめ、マスが針の周りをゆったり泳いでは、一度近づき物色してくる様を見続けていく。

 何秒、何十秒、どれだけ待ってもマスはエサを厚ぼったい唇で突っ突くだけで、カパッ開ける気配が無い。

 ボクの集中力はいつしか切れていき、締めた口が緩み始めた始めた瞬間――釣り糸が張った。

 マスがエサを食べたのである。

 待ちに待ち、巡ってきたチャンス。ここからは上手く引き上げるだけだ。

 しかしタイミングは最悪。集中力が切れてしまった瞬間に来てしまった。

 口を開けボケ〜ッとしていた中、父の発言でやっと竿の様子がおかしいことに気付いたのだ。

 時間にしておよそ十五秒、慌てて竿を引くも時すでに遅し、水の中から現れた針にエサの姿は無かった。

 一投目失敗だ。ならばとボクはエサを再度付け、竿を振り飛ばしていく。

 二投目、今度はマスが良く泳ぐ辺りへと針を沈めた。

 次は釣ってやるとエサを集中して見つめるが、一分くらい経つとやはり集中力が低下。

 ぼ〜〜っとしてる間に釣り糸は張り、エサは消えていった。

 二投目失敗であるが、ボクは諦めずエサを刺し、針を振り飛ばしていった。

 三投目、今度こそ、今度こそだとかなり集中して見つめる中、マスは再びやって来たエサの周りを泳ぎながら物色。

 ある時は遠巻きに観察し、ある時は近づいて厚ぼったい唇で突っ突く。

 そんなことを数十回繰り返し、繰り返し、繰り返し……遂に口を開け、エサを咥えた。

 チャンスだッッ。今度はジッと見れていたボクは持っていた竿を握りしめ、一気に引き上げた。

 しかし早すぎた、マスはエサを深く口に入れてない。咥えただけ。

 釣り糸はまだ一直線に張りきって無い。

 そんな状態で引き上げたせいかエサは一瞬で千切れ、針だけが宙を舞ってしまった。

 三投目失敗である。無知なボクはたまらず"なんでなんで"と情けなく叫んでしまった。

 父はそんなボクをなだめながらも、アドバイスを送っていく。

 釣り糸が張るのを待ち、溜めて溜めて一気に引き上げる。重要なのはタイミングとあとはガッツ。

 簡単に要点を纏めた良いアドバイスだが、焦りすぎていたボクは理解する余裕がなかった。

 "ならば"と父はボクの竿を使い実演を交えて説明し始めた。

 竿を振り下ろし、針をマスが良く通るところにIN。腰を少し下して構えると、マスがエサに係るのをジッと待つ。

 十秒、二十秒、三十秒、そして一分。

 この間ただジッと待つのでは無く、父は鼻歌を交えたり口笛を吹き、集中力を浅く、長く持続させる。

 そうこうしてる内に――父は動いた。マスがエサを食べ、糸を張らせた所で一瞬待機。

 そしてココだッッ、と言わんばかりに竿を一気に上げると、糸の先には針とエサを深く飲み込んだマスの姿があった。

 見事だ。たった一発で魚を釣り上げてしまった。父の実演にボクは驚き、呆気にとられると、直後にやる気が再燃。

 熱意そのままに釣りを再開した。


 ――四投目、やる気が空回りし先ほどと同じようにエサを口に入れさせる前に引き上げてしまう。


 ――直ぐ様五投目、これもまた燃え上がるやる気そのまま、同じように急いで引き上げてしまう。


 ――間髪入れず六投目、まだまだやる気が燃え続け、一つ前の再放送と言わんばかりに同じような動作でやらかす。


 ――そんでもって七投目、以下同文


 ここで父、ボク駆けより前述と同じことを一言一句違わずたがわず説明。

 最後に"深呼吸"と付け加えるように言うと、また後ろで見守り始めた。

 『深呼吸』……体操でやるヤツの一つ。当時のボクでも良く知っていたが効果は理解していなかった。

 確かそんなことして何になる――だなんて思ってたっけ。

 それでもマスを容易に釣ってみせた父の言葉だ。ボクは八投目の前にやってみることにした。

 釣り竿を父に預け、真っ直ぐに立つ。足は半開きの状態だ。

 そのまま手を広げ、体を反らせ、鼻から息をゆっくりと吸い込み始める。

 ゆっくり、ゆ〜っくり、ゆ〜〜っくり、肺がパンパンになる迄に。

 そして手と体を元に戻すと同時に、今度は口から吐き始めた。 

 ゆっくり、じっくり、これまで溜め込んだ空気をほとんど無くすように。

 体操で良くやった動作。ただただ何度も何度もやって来た動作。

 それをやってみた間、ボクの体の中で変化が起こり始める。

 これまで燃え上がっていたやる気が鎮火し、代わりにどことない清涼感が静かに湧き上がって来た。

 新鮮な空気漂う山の中でやったのが功を奏したのだろうか、兎に角ボクの中での空回りしたやる気は消えて行ったのだ。

 ボクはそんな状態のまま竿を貰うと、今までよりも滑らかな動作で振り下ろしていった。

 さて八投目だ。落ち着き払ったままボクはマスが来るのを待ち続け始める。

 過集中することも無く、ただただボケ~ッと見るのではなく、自分なりに薄く長~い感覚で集中してみていった。

 しかしだ、やはり自分なりにやった結果なのか三分くらい待つと集中力が薄まり、喰らいついたマスに反応するのに数秒遅れた。

 ……八投目失敗だ。が、今回は急ぎすぎてない、遅れたのもギリギリ。丁度良いタイミングを逃しただけ。

 ここに来て糸口をつかみ始めたのだ。ボクはこれを繰り返せば行けると思うようになった。

 深呼吸をして九投目。ここでボクは父がマスを待つ間鼻歌や口笛を交えていたことを思い出す。

 マスが物色中の間、試しにやってみると、これが思いのほか持続に役立った。

 ただただ集中するだけだったのに対し、少しばかり余裕が生まれたのである。言わば休憩が出来た。

 しかしこれも猿真似、食いつきにもまたギリギリ追いつけず九投目は失敗に終わった。

 可能性は得た。しかしまだ釣れない気配がある。何故だろうか。

 気になってしまったので、思わず父に相談してみると、彼は待ってましたと細かいアドバイスを送る。

 口頭でのアドバイスだ。先ほどまでの状態なら聞けてなかったが、リセット出来た今だと頭にスッと入っていった。

 と、色々学び深呼吸等の下準備込みで十投目、教えてもらった通りにやると、なんとまあ集中力がもっと伸びた。

 視線もマスを永遠に見ることが出来、じっくり気長に待つことも成功。マスがしっかり食いつき、糸が張るところを捉えた。

 チャンスだ。ボクは一気に竿を引き上げ……れない。引っ張る力に負けてしまっているのだ。

 余りの重さにボクが驚く中、マスはエサをぶっちぎると元の所へ帰還していった。

 ……最後の課題が見つかった。抵抗する相手との引っ張り合いである。"さてどうしようか"と思ったが、ふと思い出す。父の釣りの時の姿勢を。

 ボクは今まで棒立ちだったが、父は腰を下ろし構えていた――これだ。これが最後のピースだ。

 最後の要点に気付いたボクは希望を抱き十一投目を振り下ろした。

 さあ十一投目だ。深呼吸、腰は落とした、マスを待つ間様々な方法で集中力を維持、機は熟した。

 十秒、三十秒、一分、三分、六分、マスはこれまでで長い時間エサを伺っている。

 旋回するように泳ぎ、エサをじっと見て、エサつっついて、機を伺っていた。

 何度も何度もエサが現れた弊害だろう、しかしそれはボクも同じだ。お互いにじっくりと構え……限界が訪れたのだろう。


 遂にマスがエサを飲み込んだ。


 来た。糸は張ってある。ボクは腰を落としたまま、タイミングよく竿を上げる。

 マスも抵抗するが、釣りのコツを知った相手の前に、体は徐々に徐々に持ち上がり――水面から顔を出していった。

 釣れたッッ。遂に釣れたッッ。ボクは黄色い声を上げた。父の反応も同じだ。

 だがエサを深く飲み込んだマスが陸にあがると、素早く処理し、持って来た携帯の冷凍ボックスへ入れた。


 ――その日の夕飯に食べたマスの味は、今でも印象に残っている。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鱒釣り Yujin23Duo @jackqueen1997rasy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ