焼けてる背中

かたなかひろしげ

焼けてる背中

 「だぁーいーすきーよ」───確か、大塚なんとかいう名前だっただろうか、この歌手は。 

 天井の低い車内には平成の頃のヒットソングが、ラジオから低く流れている。


 今夜の横浜新道の下りは、いつもより随分と空いている。そのせいか飛ばしていく車も多く、こうして話している間にも、白いスープラが追い越し車線をもの凄い速度で走り抜けてゆく。


「しおちゃんは、先に店に行っているんでしたよね?」


 丁度その日は、バイト先の店長に誘われて、少し距離のあるロードサイドの韓国料理屋に、人気の火鍋を食べに行く話になっていた。もうひとりの同僚である、しおちゃんは、店長とあまり反りが合わないハズだが、今日は付き合ってくれるらしく、どうやら先に店に行っているらしい。


 乗せられた店長の古いツーシーターの車内は狭く、追い越し車線から抜かれていく度に、重い振動が身体によく響いた。天井の低さも相まって、狭い車体に身体が詰まっている、というのが振動でよくわかる。


 今夜は生憎と男二人ではあるが、運転をしてくれている店長は、なにやらやけにいつもより機嫌が良さそうなのが救いだ。


「そうだよ。先に店に行ってもらってるから、俺らも少し飛ばさないとな」


 店長は緩めていたアクセルを少し踏むと、古くて小さな車は少し悲鳴をあげるように加速を始めた。座っているシートへ、背中がみしみしとめり込むのがわかる。


「なんかこの車、少し暑くないですか?」


 季節はまだ4月になったばかりであるし、もう夕方なのだから、外が暑いというわけではないように思えた。にもかかわらず背中からじんわりと伝わるような熱さに、俺は車の中だけが暑いのだと思い、俺はたまらず店長に同意を求めた。


「んー? そうか? じゃあ冷房入れていいぞー」


 折角のツーシーターであり、俺たち二人の背後はトランクしかない車なのだから、いっそ窓を開けて換気をするのも悪くない。だが、エアコンを入れても良いというのでここは素直にエアコンをいれることにした。横浜新道は余り空気が良い道路ではない。


 俺は目の前のパネルから、冷房のスイッチを押し込んだ。しばらくすると、少し埃っぽい、どこか煤けた帰りのする風が、じわっと俺の顔に当たるのがわかる。


 だがしかし、風は確かに顔に当たっているにも関わらず、どうにも背中が暑い。それほど今日は着込んでいるわけでもないが、じんわりと汗をかいている感じもする。そんな俺の様子を店長も気にしてか、


「なにか熱でもあるんか?なにか無理に誘ってしまったみたいで悪いナァ」

「いえいえ、そんなことはないんですが、なんかさっきから妙に身体が熱くて」


 高速から降りて、ほどなく車は店に到着した。

 車を降りると、先ほどまでの暑さはすっと引き、なにもなかったかのように体調も元に戻っている。慣れない狭い車で、少し酔ったのかもしれない。

 

 ところが店に入ると、先に店に到着している筈の同僚の姿は何故かなく、こちらから携帯に連絡を入れても返事がない。なにかあったのだろうか。


 ともあれ、薄情にも店長は先に食べていようよ、と言い出すので、火鍋に火を付け、食べ始めることにした。テーブルの上に、変なBGMと共に配膳ロボットが届ける野菜や豚肉が、次々と揃ってゆく頃には、気分もすっかり鍋気分になっていたのは言うまでもない。


 「体調は戻ったみたいやな。今日はおごるから好きなだけ呑んでくれや。」

 「どうしたんですか?なにかいいことでもあったんですか。妙に気前がいいですね。」


 日頃から店長に時々奢ってもらっていたが、その理由を聞けば大抵はパチスロや競輪で買った時だ。いつもはすぐに稼いだ額の自慢話が始まるのだが、今日はどうにも歯切れが悪い。俺は察して、話題を変えることにした。


 「そういえば、さっきの車、焼け付くように背中が熱かったんですよ。あれってやっぱり車の故障っぽくないですか?」

 「い、いや、そんなことはないよ。後ろのトランクの中には何も入っていないし。」


 火の入り始めた火鍋からは、白い湯気が立ち上っている。

 卓上に届いたおしぼりの封を切り、店長が手を拭こうとしている時に、ふと、その手がまるで煤けたかのように黒く汚れていることに気が付いた。勿論、本人もそれにすぐ気が付いたようなのだが、まるで固まったかのように自分の手を見つめ、少し震えている。


 「ひぃーっ」。

 突然、顔色がすっと白くなった店長は、小さな悲鳴を上げると、吐き気を催したのか、口を押えながら店の外に飛び出していってしまった。


 心配しつつも、しばらくかえってこないので恐る恐る様子を見に行ったのだが、店の外はおろか、店内の手洗いも探しても店長の姿はなくなっていた。

 ただ俺のスマホに、「気持ち悪くなったから先に帰るから車を店まで戻しておいて欲しい。鍵はカバンの中にあるし、車の運転席のサンバイザーに金を挟んであるから支払いに使ってくれ」という走り書きのようなメッセージだけが残されていた。


 同僚のしおちゃんはいくら待ってもこない上、店長までいなくなってしまったので、早々に一人で適当に火鍋を食べ、慣れない店長の車を運転して店に戻った。帰りの車は暑くなかったが、エアコンは何故か切る気にならなかったので、弱く入れたまま、店の駐車場に車を届けた。


 ───その後、店長は店にも出勤せず、そのまま行方不明である。


 店長がいなくなり、臨時休店のままバイトが出来ない日々が数日続いた後、警察から連絡があった。先日の車の後ろのトランクから同僚のしおちゃんの焼死体、麻酔薬やロープ等が発見されたのだ。


 思えばしおちゃんは、店長と反りが合わない、信用できないと俺に言っていた。店の金を使い込んでいた事を彼に指摘された店長が、凶行に及んだのではないか、というのが警察の話であった。


 俺はトランクに死体を乗せたまま運転してたのか……と、寒くなったのは言うまでもないが、あの夜のあの背中の異様な熱さは、しおちゃんが俺に警告をしてくれていたのだと思っている。

 あの日、車の鍵を店長の残したカバンから取り出す時、カバンの中にあったシアン色のガラスの小瓶、あれはもしかしたら麻酔薬だったのかもしれないと思うと、すっと背中が寒くなった。


 あの日、店長の手が何故黒かったのかは知る由もないが、俺はあの日以降、車の冷房をつけないと落ち着いて運転が出来なくなったことは、まだ誰にも言えていない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

焼けてる背中 かたなかひろしげ @yabuisya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画