夕暮れの魔法少女たち

山崎 葉

夕暮れの魔法少女たち

 いつかほどけてしまうのかな。

 いつかけてしまうのかな。



「このたび四年二組に転校してきた戸山苺とやまいちごさんです。はい、みんな拍手」

 一恵かずえは拍手をしながら、制服の裾をぎゅっと握りうつむく戸山苺の、微かに見えた瞳、そこに薄っすらと浮かぶ涙を見た。そんな気がしただけかもしれない。ただ、そう見えるほど弱々しく立っていた。窓から射す光は春の愛情をふんだんに含み、そのままの柔らかさで教室中を照らしている。その明るさも相まって余計にそう見えたのかもしれない。


 席に向かう苺にクラスで人気者の樹里が声をかけた。にも関わらず苺は足早に自分の席に向かい、どんとランドセルを置いた。一恵の前の席だった。その音だけが際立つように響き一恵たちは呆気に取られる。

 桜が全部散ってしまうのではないか、一瞬にして広がったそんな重苦しさを取り払うように担任が明るく声を出したけど遅かったように思う。

 「は、はい。みんな前向いて。一時間目の学級会はじめるよ。今日は運動会の種目決めだからね」

 手を叩き、大きなその声で、苺に気を取られていた一恵は我に返り、姿勢を正した。


 --き、きた。


 一恵はポケットから小さなフィギュアを取り出す。

 『魔法少女オレットの流星魔法マジックスターズ

 長い金の髪に煌めくブルーの瞳、一恵と同じ十歳の魔法少女はえんじ色のローブから伸びた細く白い腕で大きな杖を抱きしめている。一恵が愛読している児童文学作品の主人公であった。

 すがるように、祈るように、オレットを握りしめた。

 一恵は昨年の運動会を思い出す。去年は散々だった。


 勝てば優勝を決定付けるリレーで三人に抜かれ、負ければ最下位になってしまう大繩飛びでは何度も当たり、何度も回数を振り出しに戻した。

「どの組も本当によく頑張りました」と閉会式で校長は拍手をしたけれど、一恵は体育座りの膝に額を当てたまま一度も顔を上げることが出来なかった。

 クラスメイトからの直接の言葉はなくとも、冷たい目で見られている気がして一恵は閉会式が終わると、すぐにそこから逃げるようにグラウンドを飛び出した。

 クラスに迷惑をかけたことだけではない。勝てなかったこと、だけではない。

 一恵は小学校に入学以来、友人が一人もいなかった。

 クラスが夢中になっているアイドルも歌もダンスも一恵にはわからなかった。知らない自分が無理やり入って盛り下げるのも気が引けた。

 だから運動会で活躍すれば友達ができると、この日に懸けていた。スポーツ万能な樹里ちゃんがそうであるように。

 インターネットで少しでも早く走れる術を調べ、ジャンプのタイミングが上手と褒められていた子の動きを何度も観察した。

 すべては友達が。欲しかったから。

 夕焼けが嫌いだ。本当はこぼしたくない涙まで無理やり照らしてくる。自分が惨めになる。家まで走った。

 --なんだよ私こんなに早く走れるじゃないか。


 だから今年こそは、と一恵はオレットをぎゅっと握り直した。

 オレットは勇敢だった。いつだって勇気をくれた。

 オレットは友情を魔法に変える少女だった。世界を旅するオレットは、色んな町で友達をつくっては、そこに芽生えた友情を魔法にしてきた。

 そしてそれを友達のために使った。

 雨が止まない町の少年のため、その少年の部屋に夕焼けを染み込ませたカーテンを取り付けたり、空にいる母に会いたいと泣く少女のため、箒に羽を生やし近くまで連れて行ってあげたり、いつだって友達のために奮闘するオレットに憧れていた。

 学校に行きたくない、布団の中で憂鬱になったときもオレットだけは一恵の背中を押してきてくれた。オレットがついている。一恵は、よし、と前を向いた。


「じゃあまずは二人三脚ね」

 出たい人いるかな? と担任は教室を見渡した。誰も手をあげない。当然だ。台風の目やリレー、一番の盛り上がりをみせる花形種目に出たいみんなはここでは手を上げない。

 それに外れた人が二人三脚やムカデ競走に出るのは去年も同じだった。

 わたしだって今年こそリレーだ。一恵はそう思っていた。去年のリベンジだった。

「えぇ誰もいないの。困ったな、じゃあつぎは」

 次の種目を言い出そうかというとき、一恵の目の前の右手が伸びた。

「お、戸山さん。二人三脚出てくれるの?」

 はい、と小さく返事する苺。「別になんでもいいし」と呟いたのが一恵には聞こえた。

 じゃあ、戸山さんは二人三脚ね。黒板に名前を書き始めると苺は手を降ろす。その右手首がきらっと光り、一恵はその光の正体に思わず息を止めた。

 --あ、オレット。

 苺の右手首の巻いていた腕時計。動く針の向こうに書かれたオレット。

 --限定のグッズだ・・。戸山さん、オレット好きなんだ・・。

 どんどん早まる鼓動。

 --オレットが好きな子がいれば友達になれるのになぁ。そんなことを昨日の夜、布団の中でも思っていた。

 「じゃあ次は、」と進める担任の声を遮るように一恵は席を立った。

「ど、どうしたの?」


「先生、私も二人三脚・・出ます」



 体育館の靴箱。蝉の鳴き声が響く。苺が転校してきて四ヵ月、八月のある日。

 十月に開催される運動会の自主練習のため放課後、体育館が解放された。

 熱中症対策だと担任は言った。くれぐれもグラウンドでは練習しないようにと。

「えっと、とやまさん。ま、まだちゃんと話したことなかったよね。わたし仲野なかの一恵。・・よろしくね」

「・・戸山です」

 一恵は振り絞った勇気が大きかったことを苺の素っ気ない返事で再確認する。心が怯むのが自分でもわかった。

 結局、オレットの話はおろか、まともに話すこともなく四ヵ月のときが流れた。

 チャンス、そう意気込んでいた春が懐かしい。どうにも近寄りがたい雰囲気を放つ苺がつけている時計を見ては、今日こそ、と決意をし何度もアプローチをかけた。

 「給食、一緒に食べない?」「準備運動一緒にしようよ」「音楽室一緒に行こ」

 それでも苺は拒むことはなくても必要最低限以上のことは話さなかった。

 ふたりでいるほうがひとりぼっちのようなそんな感覚だった。


「今日から二人三脚の練習、一緒に頑張ろうね・・よろしくね」

 種目決めのとき、まず最初に名乗り出た二人がそのままペアになった。

 シューズに履き替えた一恵は左足を、苺は右足を少し前にだし、青色の紐で結ぶ。去年と同じ青組だった。

「い、痛くない?」

 ん、と苺が小さく返事したのかどうかわからなかったが、もう一度聞くことのほうが一恵にはどうもハードルが高かった。

「よし・・まずは歩いてみよっか」

 二人三脚は呼吸を合わせる。声を掛け合う。そして歩幅を合わせなければいけない。肩を組み体を寄せ合い、相手を信用しなければいけない。

 歩き出してすぐに思った。わかりきったコツが、これほど困難に感じるなんて。


 どうして誰とも話さないのだろう。

 どうして、どうして。

 苺の一番近くの席に座っていても何一つわからない。

 でも、どうしても諦めたくなかった。

 オレットがそこにいたから。

 

 チャイムが鳴り響く体育館の片隅で二人は座り、水筒を口にした。

 いつも仲良しのクラスメイトのペアはコーナーをうまく回り直線を走り抜けていく。結局一度も走ることが出来なかった一恵たちとは比べ物にならない。

 苺とは「友達」じゃないから「仲良く」ないからうまく走れないと言われているようで、一恵はなんだか嫌な気分になる。それを苺も眺めていた。何を思っているんだろう。

 水筒のフタをしめた苺が言った。

「ねえ、もう帰ってもいい」

「え、ああ、そうだね。チャイムもなったし・・」

 ランドセルに水筒を入れる苺。一恵は苺の動きを止めるように言った。

「明日、ここで朝練もできるんだ。やらない・・?」

 苺は横目で一恵を見た。

 薄く溜息をついた。それに一恵は気付いてしまった。


「今日の感じじゃどれだけ練習しても意味ないよ」


 鼓膜の奥がギュッとなって、口から間抜けな声が漏れた。

 え、と声に出てしまったから、きっと苺は一恵のほうをちゃんと見た。

「あ、ごめん。なんか変な言い方になった・・かも」

 シューズの紐を解きながら苺は言った。

 一恵が次に言葉を出すまで、どれだけの時間がかかったのか、自分でもわからない。

「・・ごめんね、私、運動音痴だから」

 どうして友達を作るのってこんなにも難しいのかな。

「あ、いや別に、そういう意味じゃなくて・・大丈夫」

「次はもっと上手に走れるように頑張るから」

 もっと私が楽しい子だったら。

「別に、そういう意味じゃない。大丈夫だから」

「戸山さんはさ、運動得意そうだよね。背も高いし」

 ただ友達になりたいだけなのになぁ。

「もう、いいってば」

「わたしじゃなくてほかの子とペア組めたらもっとさ」

 私がオレットみたいに強かったら。

「違うから」

「私がオレットみた」

「っさい」

「え」

「うるさい! もういいってば」

 体育館中に響いた声。

 あんなにうるさかった蝉の声が一瞬にして止まった。

「ごめん。帰る」

 そう言い残して苺は体育館を飛び出した。

 苺の背中を呆然と見つめる。胸が痛いほど鳴っていた。シュートを外したバスケットボールがコートに何度も跳ねるような鈍い音を立てて、胸が鳴っていた。



 翌朝、蝉の声で一層暑さを増したような通学路を一恵は歩いていた。

 全然眠れなくて、心待ちにしていた新刊も全く読む気になれなくて、真っ暗にした部屋に苺の怒鳴り声みたいな耳鳴りが延々と鳴り響いていた。頭まで布団を被れば余計に大きくなる音に、ただオレットを握ることしかできなかった。

 

 正門から見える時計は七時。いつもの登校より一時間は早い。

 言った自分が行かないわけにはいかない。一恵は重すぎた足を引きずるように体育館の前に来ていた。

 シューズに履き替え、外靴を靴箱に入れる。他に誰かが来ている気配はない。

 --やっぱり戸山さん来てないか。

 体育館の中はいつもの雰囲気と違うような気がした。

 澄んだ空気をたっぷりと含んでいるからか、窓から射す明かりで、床がピカピカに光っている。

 「仲野さん」真後ろから声をかけられて一恵は肩を大きく動かした。すぐに振り返ると顔を見るよりまず先に旋毛つむじが目に入った。

「昨日はごめんなさい。酷いこと言ってごめん」

 頭を下げたまま止まった苺。一恵が黙っていると、頭をゆっくり上げた苺がもう一度言う。

「仲野さん、昨日はごめんなさい」

「あ、いや、えっと・・」

 苺は転校初日のように弱々しくそこに立っている。

 一恵は胸の前で小さく手を振り答えた。

「えっと、気にしないで。それに、私も四月からずっとしつこく声かけてきてたから・・ごめん」

 苺は首を何度も横に振って、腕時計を左手でギュッと握りしめながら言った。

「朝練の前にちょっといいかな」

 これがはじめて苺から始めてくれた会話であることを一恵は忘れないと頷いた。



「私、これが三回目の転校なんだ」

 澄んだ体育館は舞う埃をもキラキラと照らしている。昨日と同じところには二人して座ろうとせず、少し離れたところに並んで座った。

 一恵はゆっくり頷いて苺の言葉を待った。

「お父さんの仕事でね。引っ越しは別にいいんだけどさ。毎回学校が変わるの。制服もね。だからずっと一年生みたいな気分で嫌だった。でもね、一番嫌だったのは、せっかく仲良くなれた友達とすぐお別れになっちゃったこと。クラスのみんなが寄せ書きしてくれるんだ。『ずっと友達。また遊ぼうね』って。私、寂しいから引っ越し先から毎日手紙書いた。馬鹿みたいに長い手紙。最初はさ、向こうも同じだけ書いて返事くれたの。でも長くは続かなかった。だんだん内容が減ってくるのがわかるし、もっと時間がたつとね、仲良くしてたグループの写真に『私たちも元気だよ』ってメッセージ書いて送ってくるだけになったの。私だけがいない写真。向こうに悪気はないのかもね。でも余計に寂しくなっちゃって。手紙のやり取りもやめた」

 一恵は無意識に取り出していたオレットの人形を握りしめていた。

「そんなことが二回もあってね。でさ、またいつ転校するかわからないから、この学校では最初から友達なんていらないって。わざと嫌われようって、つっぱねてた。・・だから仲野さんともわざと喋らないようにしてた。ごめん」

 体を一恵のほうに向けて苺はまた頭を下げた。

「そう、だったんだ。何も知らないで私もグイグイ話しかけてごめんね」

「いいの。私が悪いんだから」

「で、でも嬉しいな。クラスの誰も知らない戸山さんのこと、私が一番最初に知れて」

 気を悪くするような変な言い方になってしまっただろうか。

 でも嬉しかった。こんな風に人に話しにくいことを、まだ誰もいない学校で。この言葉をこぼさず受け止めたかった。それが友達だと思った。

「昨日さ、私が酷いこと言っちゃったとき、仲野さん、オレットって言ったよね?」

 --私がオレットみたいに強ければ、そう言ったこと覚えている。

「オレットってあれだよね。魔法少女オレットの流星魔法マジックスターズ

「う、うん」

 心臓がばくばくと動き出している。

「家に帰ってさ、仲野さんが言ってたオレットって、このオレットのことだよねってずっと考えてたの」

 苺は腕時計を見せた。一恵は時計の中で微笑むオレットと目が合い、今度は心が熱くなる。

「私も大好きなの。オレット」

「私も・・! 私も・・オレット大好きなんだ」

 一恵は握りしめていたフィギュアを見せた。

「あ、それ! このあいだの数量限定の限定版に付いてたやつだよね! ・・いいなぁ」

「仲野さんの腕時計もいいよね、私手に入らなかったんだ」

 昨日はあんなにぎこちなく体を寄せ合っていた。そのぎこちなさをオレットが取り除いた。苺がまた改まって言う。

「私、怖かったんだ。新しい友達作るのが。またすぐにお別れしなくちゃいけなくなるのが」

「とやまさん」

 苺の目からぽつぽつと涙が床に落ちた。

「い、苺ちゃん。私と、友達になってくれない」

「で、でも、またすぐに転校しちゃうかもしれないし・・」

 涙を拭いながら、でもまた次の涙を落としながら苺はそう言った。

「そんなのまだわからないよ。それにせっかく出会えたんだよ。オレットが好きな人に私はじめて出会えたの・・! オレットが出会わせてくれたんだよ」

 --そうだ!

 一恵はランドセルから青い紐とマジックペンを取り出し、そこに何かを書き始めた。

 何をするのかと苺はペンの先を目で追う。


 " 一期一会 "


 紐に書かれたそれを苺はゆっくり口にした。

「いちご、いちえ」

「苺ちゃんと私の名前。かずえだけど、いちえって読めるし、せっかく出会えたんだから。この言葉、ぴったりだと思うの。ほら足出してよ」

 苺の右足と一恵の左足を紐で結ぶ。一期一会が結ぶ。これが二人を結び続ける魔法の言葉になりますように。そう願いながら。

「これでよし。ほら練習しようよ」

 伸ばした一恵の手を、苺が掴む。オレットの微笑みの上、時計の針が新しい一秒を刻んでいる。



 放課後の自主練習、その終わりを告げるチャイムが鳴り響く。

「かなり、走れるようになってきたね」

「うん。でももっと早くなると思うよ」

 息を整える一恵と違って苺はまだまだ出来そうであった。

「苺ちゃんやっぱり運動神経いいね」

「ううん。でも一恵ちゃんも良い感じだよ。あ、そうだ。このまま帰ってみる? 足を結んだまま。いい練習になると思うよ」

大賛成だと一恵は強く頷いた。


 歩き慣れた通学路を夕焼けが染めている。

 いち、に、いち、に。掛け声が重なる。肩を組み、足を前に出す。どちらかが間違えれば転んでしまう。でも歩いている。進んでいる。

「苺ちゃん」「一恵ちゃん」

 そう同時に言って、同時に譲り合って、同時に笑い出す。

「今日は楽しかった」

「私も。ありがとう」

「苺ちゃんと友達になれてよかった」

「うん。私も」

 

 あっという間に着いた分かれ道。


「私こっちなんだ」

 一恵が指す方と逆を苺は指した。

「また明日ね」

 ずっと言いたかった言葉だった。

「うん。また明日ね」

 苺がしゃがみ、紐を解いている。それがなぜか一恵の胸を締め付けた。いつか訪れるかもしれない別れをそこに見てしまった。苺がこんなに辛い思いを抱えていたのかと一恵は解けていく紐を見ながら思った。

 いつまでも結んでいたい。思えば思うほど鼻の奥がツンとした。


「一恵ちゃん。絶対また明日ね」

 紐を返す苺の声が震えている気がした。

「うん。絶対また明日」

 手を振って互いが反対側に歩き出していく。左足が軽い。ふわふわしている。ちゃんと家まで歩けるだろうか。ふたりのほうがちゃんと歩けていた。

 一恵は振り向いた。苺と目が合う。

 また広がる鼻の奥のそれを振り払うように大きく手を振り返した。


 見上げた夕焼けが輝いている。瞳の中いっぱいに。

 魔法を覚えたのだ。苺との友情はあの日嫌いだった夕焼けを、好きになるほど輝かせる、そんな魔法だった。

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夕暮れの魔法少女たち 山崎 葉 @yamasaki_yoh

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