第25話 JB13 信濃町

   JB13  信濃町


「駅前上空です。こちらは現在、ヘリコプターから撮影している現場の様子です。事件発生から一時間ほどが経ちましたが、信濃町駅前周辺には、多数の警察と消防車両、そして一部規制線のうしろに、多くの人々が足を止めている様子がうかがえます」

「現場に、田中リポーターが到着したようです。たなかさーん、そちらの様子、どうなっていますでしょうか」

「はい。こちら信濃町駅前です。ついさきほど、負傷者が全員、救急車で近くの病院へ搬送されました。歩道橋の上にいた目撃者のはなしでは、容疑者の車が外苑東通りを信濃町駅前方面に向かって猛スピードで走行してきたということなんですが、通りは六車線で、ガードレールの中央分離帯があるんですね」

「逆走、という情報が入っていますが」

「はい、そうです。分離帯にはガードレールの途切れた部分が数ヶ所あり、そこから容疑者の車は、反対車線へ侵入したようです」

「ヘリコプターの映像からも、三、四台でしょうか、破損したような車が停車しているのが見えますね」

「はい。乗用車二台と軽トラック一台、それぞれ運転手と同乗者が病院へ搬送されています」

「ケガの程度はどうでしょうか」

「そちらはまだわかっていません」

「新しい情報が入りました。交差点内で巻き込まれ、搬送された方々、女性三名のうち、ひとりが意識不明の重体、もうひとりが腰と腕の骨を折る重傷、あとのひとりが軽傷ということです」

「負傷者は七、八名にのぼるということでしょうか」

「同乗者の詳しい人数はわかっていませんね」

「現場から追ってお伝えします。衝突された車の方々と、重軽傷の女性二名は、近くの大学病院で手当てを受けているということです。重体の方は、ここから二駅先、先に受け入れ態勢がととのった病院へ、緊急搬送されたもようです」

「たなかさーん。現場の地理を教えていただけますかぁ」

「はい。事件は、青山一丁目交差点方面から信濃町駅へと続く外苑東通り上と、明治神宮外苑と駅をつなぐ交差点上で発生しました。交差点の下には首都高速四号新宿線が、外苑通り下には都営大江戸線が通っており、アイススケート場なども隣接することから、催事さいじがあるときは、非常に混雑する場所です」

「今日はまだ比較的、人通りが少なかったということでしょうかね」

「ええ」

「繰り返してお伝えします。本日十二月二十二日木曜日、午後二時九分、JR総武線信濃町駅付近で、暴走したレンタカーが、反対側車線を走行中の車三台に衝突したあと、交差点で女性三名をはねるという事件が発生しました。容疑者は、持っていた免許証から、石塚健太郎、二十四歳。職業、住所不詳。現在、四谷警察署に身柄を拘束されているということです―」


「はい。はい。大学病院へ向かえばいいんですね。はい。ええ、すぐにまいります」

 安田えりなの、携帯電話を持つ手が、ぶるぶると震えた。現場でもないのに、勤務するみどりまち病院のナースステーションにまでも、緊張が走った。

 診察終わりかけの外来から、連絡を受けた看護師が急ぎ顔を見せたが、夜勤の時間帯でもなく、地域包括ケア病棟の看護師は足りているとみて、持ち場へ戻っていった。

 同僚ナースたちが、ほら、急いで、と、えりなを送り出す。

 自転車で武蔵小金井駅までひた走り、乗り捨てるように有料駐輪場に自転車を放り込むと、えりなは中央線快速へ飛び乗った。


 警察官と病院関係者に付き添われ、個室に向かうとここなが、ベッドの背を起こした「く」の字の状態で、母親を待っていた。

「おかあさん…」

 えりなの顔を見るなり娘は、安心したのか涙腺を緩ませて、おいおいと泣き出した。

 えりなは中央線の車内で、携帯画面とイヤホンから、刻々と入ってくる情報に、目をこらし、耳を傾けていた。

 付き添いの警察官の説明と総合するに、娘は、「事件」に巻き込まれた通行人のひとりだった。「軽傷者」だった。

 なぜ事故ではなさそうなのか、というと、容疑者は、車両三台に自分の運転するレンタカーを衝突させたあと、停車しかけた車の速度をふたたび上げて走行し、ブレーキ痕なしで交差点に突っ込んだから、らしかった。これを聞いた時、えりなまでもが卒倒しかかった。

「おかあさん…、あたし、あたし、はくじょうの人を、ううっ。つ、つぶしちゃった…。ううっ。それと…、それと…、うううっ」

 息が止まりそうなくらい、うっく、うっく、と泣きながら呼吸する娘をなだめて、えりなは警察官と、病室の外に出た。三十代くらいの男性警察官は、声を落として言った。

「娘さん、がんばりましたよ」

「あ、はい…」

「横断歩道上で娘さんの近くを歩いていたのが、白杖の、四十代の女性だったんです」

 その人が重傷者だった。

 えりなは慌てて自分から、警察官に事情を説明した。

「あさってのクリスマスイブに、代々木公園でイベントがあるから、会場の下見にって、グループ代表してひとりで出かけて、そのあとに、神宮外苑で行われている『東京クリスマスマーケット』に寄ってくる、って言っていて。学期末で、短縮授業だったものですから」

「ええ。お嬢さんからすべてうかがっています」

 警察官はさらに声をひそめた。

「ドーン、ドーン、と右側で音がするから、なにかイベントの花火かなと思いながら横断歩道をわたりはじめたら、もう、すぐ横に車の影が見えた、と」

「ああっ」

「すみません、おかあさん。大丈夫ですか?」

「あっ、ご、ごめんなさい…。大丈夫です。はい。あの…、つ、続けてください」

「娘さん、とっさにその白杖の方を助けようとしました。でも、ふたりを突き飛ばしたのは別の人で…」

「もしかしたらその人が、重体の…?」

「…」

 目の前の男性警察官は、言うか言うまいか迷っているように見えた。が、思い切ったように口をひらく。

「非番の…、警察官だそうです」

「えっ? ええっ?」

「大丈夫ですよ、おかあさん。わたしたちは訓練を受けているんで」

 訓練を受けているもなにも―。えりなは全身の力が抜けかけた。なんで、こんなことに―。

 その日、医師から、お嬢さんの状態は意識レベルクリアで、念のために精密検査もしましたが、異常は見当たらないようです、という説明を受けた。左腕のひじから手首あたりにかけての、一直線のすり傷以外。

 警察官から、「後日、詳細をお尋ねする場合がありますので」と伝えられた。それからふたりして、三鷹の自宅に戻ることができた。


「はいっ。はい。おとうさん、気をつけて、いらっしゃってください。ぼくのほうが早く着くと思いますから。なにかあったらすぐに、連絡を入れます。おとうさんのこの携帯に」

 握っている通信機器がてのひらからすべり落ちそうなくらい、汗と震えが止まらなかった。

 哲哉が所長に事情を告げると、営業や配送から戻りはじめた社員たちのあいだにも、驚きと動揺が広がった。小刻みに震え出した哲哉の両肩に、五十代後半の所長が両手を置いた。

「ひとりで大丈夫なのか?」

「あ。は、はい。か、彼女の両親が今、山梨からこっちへ向かっていますから…」

 パソコンの電源を落としながら、そう答えるのが精いっぱいだった。

「知らんかったな」とか「意外だな」というひそひそ声まで聞こえてきた。でも、外に飛び出しかけた哲哉に同僚たちは、「気をつけて行けよ」とか、「気をしっかり持てよ」という声掛けもしてくれた。

 どうなっているんだろう。どうしているんだろう。どうすればいいんだろう。駅へ向かうさいちゅうにも、哲哉の頭のなかでそんな疑問がぐるぐる回転して、前のよく見えない霧のなかを走っているような感覚に、幾度も襲われる。

 市ヶ谷と飯田橋のちょうど中間あたりの病院と聞いた。飯田橋で降りたほうが早そうだった。

 冬の夕闇が迫りかけている。電車は走っているのに、車内に人はいるのに、なにも音が聞こえない―。

 窓に映る、吊革につかまった幽霊のような自分の姿しか、見えない―。

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