第6話 JC19 立川

   JC19 立川


 こいつら絶対、あたしらにからんでくる気だよ。安田ここなは背中を丸めた。背後からひっきりなしに、声が浴びせられている状態だから。

「うわっ、やっす。もっと、千二百円くらいかと思った」

「なに言ってんの。事前に知らせたじゃん。数百円だって。おまえ、なんで忘れてんの?」

「高校生っていったら、大人? 大人料金か? 中学生無料って、おれら、中学生じゃないよね?」

「なんでこんなに人がいるんだよ。なんかあんのかな? イベントかあ?」

「あのー」

 キタ。ここなは振り向かない。

「すみません。ここ、なにがメインなんですか?」

 のっちゃんと佐々木さんが振り向いている。駄目なんだよ、相手にしちゃ、と、ここなはそっぽを向く。佐々木さんが、「メイン?」、と、小声で返事をしてしまっている。順番が来たので、ここなは券売機に、自分の分だけ小銭を投入する。

「花?」

 佐々木さんのその返答に、おおーっ、となぜだか驚嘆の声が上がっている。のっちゃんに続いて佐々木さんが発券を済ませると、うしろの男子三人はそれぞれ、電子決済だの千円札だので手早く券を購入している。ちょっとちょっと、ついてくんなよっ。

「それ、バドミントン?」

「あ。うん」

 のっちゃんが答えている。見ればわかるのにわざわざ聞くな、と、ここなは、なんとなくかたまりになりはじめた女子ふたり、男子三人から少し距離を置く。

「あの、ぼくたち、昭和記念公園って、初めてなんスよね」

 中背の、眼鏡をかけた男子が言った。葡萄色のトレーナーを着て、太めのジーンズをはいている。ちょっとだけ、こういっちゃあ悪いけど、ちょっとだけ、もっさりしてる? 一番背の高い、こちらはじゃっかん俊敏しゅんびんそうな、それでいてスカしたポーズとりたがりそうな男子が、口をはさんだ。

「おれ、来たことあるよ」

 エラそうに言うな。たかだか昭和記念公園だろう。あたしは二十回は来たことあるな。ここなは心の中で概数を思い浮かべてみる。プールもあるんだからさ、みんな来るよ、春、夏、秋とかに。

「わたしは十回くらいかな」

 もやもやしているここなをすり抜けるような返答を、佐々木さんが、した。

 佐々木さんは、マイペースだ。のっちゃんとはまた違ったタイプの天然、と言ってもいいかな、と、ここなはときどき思っている。だから一緒にいると、ちょっとペースがずれちゃって、吉祥寺などの繁華街に行くときは、佐々木さんは誘わない。だけど、のっちゃんとは気が合うらしく、自然メインの行き先では、こうやって「ご一緒」するのだ。

「お近く、なんすか?」

 もうひとりの、メガネくんと背は同じくらいの、顔が今ふうの男子が、大人言語をまねして尋ねてきた。大きめの白のパーカとズボンを身に着け、紺色のキャップをかぶっている。

 佐々木さんがメガネの縁を、右手の人差し指の第二関節で、ちょっと押し上げた。コンタクトにすればいいのに。整った顔してるんだから、と、ここなは佐々木さんを眺める。以前、そうアドバイスしたら佐々木さんは、「コンタクトは高いから」、と言った。一ヶ月、八千円ぐらいしちゃうから、と続けた。へええ、そういうもんなのか、と、視力の良いここなは、苦労の実態を知った気になった。その佐々木さんが答えた。

「近くっていうか、みんな住んでるところはバラバラだから…」

「学校が同じなんだよ」、と、のっちゃんが続けた。

「あ。ぼくたちと同じ。学校がおんなじ」

「どこ?」

 男子たちは、ちょっと顔を見合わせた。それから今ふう顔男子が、「千代田の男子校」、と答えた。女子三人は、「千代田」がどこだか分かりかねて、黙ってしまった。

「花を見に行くのは、どこなんだかな」

 背の高い男子が言った。

「『みんなの原っぱ』だよ、原っぱ」

 のっちゃんが答えている。立川ゲートからはけっこう遠くてさ、貸自転車も、トレインもあるけど、あたしたちは歩くよ、と、一生懸命説明している。男子たちも、じゃあ、歩こうか、歩けるなら、などと言って、一緒に行く気、満々らしい。すると突然後方で、佐々木さんが声をあげた。

「偏差値、ひくっ」

 みんな、いっせいに振り返って、佐々木さんを見る。「千代田の男子校」と検索をかけたらしい佐々木さんは、導き出された結果の印象を、口に出してしまっている。男子たちは、固まった。

 あ~あ~、天然すぎ。怒り出すんじゃないの? こいつら。もし怒ったら、どうやって逃げればいいのよ、と、ここなが無言で状況を見守っていたら、メガネ男子が言った。

「でも、いい学校だよ。な?」

 同意を求められた、今ふう顔男子も応えた。

「な。おれ、毎日学校行ってるもん。女子いないから、気ぃ使わなくってすむし」

 それから学校自慢がはじまった。皇居の近くだから、マラソンはその周りでするんだよ、とか、すぐ隣に共学の高校があって、そっちは頭もいいし、なんだかんだ全部「上」だけど、なんか、おれらの制服のほうが、よさげに見える、とか、指定校推薦が多いから、毎年、T理科大やG大に入る人いるよな。そうそう、何年かにいっぺん、K大とかさあ。W大は聞いたことねえな、とか。

 それがそのうち、文句にもなって、超都会だから地価が高くって、敷地内にはグラウンドないし、上の階にせっまい運動場があるだけ、とか、校舎の壁が崩れてんのか、べニヤ張りのところがあるんだぜ、とか、購買はほぼ、貧しいよな、とか。

 思わず笑いそうになったここなに気がつかず、背の高い男子は、じゃ、おたくらの学校はどうなのよ、と言って、佐々木さんから学校名を聞き出し、これもまた、検索をはじめた。

「…。結構、高い…」

「そうだよ。都立のなかでは、『進学指導推進校』だもん」

と、のっちゃんが答えている。さっき、「女子いなくて気を使わないからいい」、と言っていた男子が、

「共学、ですね」

と、うらやましそうに言った。

 四月半ば土曜日の国営昭和記念公園では、親子連れやカップルや、高齢者のお友達どうしなど、多くの人が通路を行きかっている。ここ最近の、くもりや風が強かった日とはうって変わった、うららかで暑いくらいの正午過ぎだった。そんな日に、なんだか変わったことになっている、と、ここなは不思議な気持ちになりかけていた。

「あ。レンテンローズ」

 そう言って、スワンボートの浮かぶ池の前で、背高男子は左手の植え込みへ向かって小走りした。

「クリスマスローズ、じゃないの?」

 思わずここなは訂正に入った。だってそれと同じもの、うちの植木鉢にあるもん。ほら、名札にも「クリスマスローズ」って、書いてあるよ。そう、ここなが口に出そうとした時、背高男子とメガネ男子が口々に喋った。

「似たようなもんだし、な」

「クリスマス、のほうが覚えやすいもんな」

 ふたりのまわりに、ほかの四人も集まった。これらはおそらく、レンテンローズだよ、と、背高男子が繰り返した。ほら、このほうの部分が違うんだよ、と言って、首を垂れている花の背部分を指した。

「ほう、って、なに?」

「花を守る、葉っぱみたいなもんで、この、花の後ろにくっついてるのが、ギザギザのない一枚の葉っぱだったら、クリスマスローズ。だけどここいらのはみんな、葉っぱの縁にギザギザがあって、何枚かに分かれているから、レンテンローズなんだよ、実は」

 ここなは、背高男子の顔を、しげしげと見つめてしまった。しりあがりの太めの眉の下に、ほそめの目。唇は薄いけど、こぶしが入りそうなくらいに、横に長い。白いTシャツの上に、青を基調としたチェックの、七分袖ワイシャツを羽織っている。下は薄い黄土色のチノパンだ。ふん。値踏みしたここなは、鼻をならしそうになる。

「なんでそんなこと、知ってんの?」

 のっちゃんが聞いた。すると今ふう顔男子が、「こいつら、花いけメンズだから」、と、聞き慣れない単語を発した。

「なにそれ!」

 のっちゃんが大声を出している。だろー、へんだろー、と、背高男子は苦笑い顔になっている。

「『イケメン』に、かかっちゃってるから、おれらも実は嫌なんだけど、顧問の中島先生がさ、創部当初、名前からはいれ、名前から、そしたら中身もついてくるから、みたいなこと言ってたらしくってさ」

 女子三人は驚いた。「花いけメンズ」は、学校の部活動だった。それも、パフォーマンスを含めた、大掛かり、こがかりの、生け花の―。

 あ、ぼくは違うよ。ぼくはビッグバンド部。だけど顧問は同じく中島先生だから、と、今ふう顔男子が言った。佐々木さんがすかさず反応して、「わたしは吹奏楽部だよ」、と続けた。

 昭和記念公園は今の時期、花がきれいだっていうから行ってみよう、ということだったらしい。本当にこの日の大広場は、花で溢れていた。ソメイヨシノは葉桜になりかけていたが、菜の花が一面、甘いにおいを漂わせていた。その中で、調子に乗ってみんなで、ジャンプをしたり、花の列から顔だけのぞかせた写真を撮ったりした。

 別の場所では、赤や紫や白や黄色のチューリップが、並んで見事に咲いていた。背高男子がまた、チューリップの外側の三枚は「がく」で、内側の三枚が「花びら」なんだよ、と、教えてくれた。

「中島先生のうけうり」

「えっ。ぼく、教わってないよ」

 メガネ男子が言った。背高男子は、寝てたんじゃね? と、応えている。

「さっきの、レンテンローズも、中島先生に教わったの?」

 そう、ここなが尋ねると、背高男子は、

「いや、それは自分で調べた。クリスマスローズは、なんでクリスマスに咲かないのかなあ、と疑問に思ってさ」

と、言った。ここなはなぜだか急に、母親のことばを思い出した。それは高校に入学当初、ここなが、「偏差値って絶対だよね」と言ったことに対してだった。

「そりゃ、偏差値が高いほうが…、うーん、なんて言ったらいいのかな。つまり、能力の高いほうが、生きるには有利だよ。だけどさ、偏差値が高い人たちだけで、世の中、構成されてないから」

 それは、いったいどういう意味なんだろう。

 事実を言っているのだとは思ったが、母親がなにか、もっと違うことを示唆しているような気もして、時たまだけど、そのことばを思い出しては、反すうしてみる。

 のっちゃんたちが、ビニールの袋から、バドミントンのラケットを取り出している。

 背高男子が高い位置から繰り出すショットに、ここなはまったく対応ができなかった。

「よう、サトチ、手加減しろよ」

 今ふう顔男子にそう言われて背高男子は、これみよがし、ともいえる感じで、山なりの、ゆっくりしたショットを打ってきた。絶対に、顔面に打ち返してやる、とりきんだここなのスイングは空振りで、羽根は背後一メートルの地点に、ぽとっ、と落ちた。

 佐々木さんが、今ふう顔男子と連絡先を交換していたらしい。だからあとになって、彼らの連絡先が、ここなのもとにも、まわってきた。

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