深夜ラーメン

 時計の針は午前二時を指していた。


 リビングのソファに寝転がり、リョウはパソコンをいじっている。画面の光がぼんやりと顔を照らし、キーボードを叩く音だけが静かな部屋に響いていた。部屋の照明は落としてあり、キッチンのカウンターに置かれた小さなライトだけが、柔らかく周囲を照らしている。

 隣の部屋からはゲームの効果音がかすかに聞こえてくる。その音もやがて止まり、しばらくの沈黙の後、寝室のドアが軋む音がした。しばらくしてカズが寝室からふらりと出てきた。


「……腹減った」

「そりゃ、こんな時間だしな」


 半分寝ぼけたような声で呟きながら、カズはキッチンへ向かう。リョウは画面から目を離さずに適当に返事をした。


「なんか食うもんないかなー」

「冷蔵庫に卵と納豆と、あと半分残った豆腐」

「うわー、米欲しいなそれだと……」

「知らん」


 カズが冷蔵庫の扉を開けると、薄暗い室内に庫内の白い光が差し込んだ。冷たい空気が流れ出し、リョウの方にもほんのり届く。カズはしばらく中を覗き込んでいたが、やがて物足りなさそうに冷蔵庫を閉じる。次に戸棚をガサゴソと探り始め、しばらくして、小さく「おっ」と声を上げた。


「袋ラーメンある!」


 その声に、リョウはようやく画面から顔を上げる。カズの手には、どこの家庭にもありそうなシンプルな袋麺が。黄色いパッケージに大きな文字。何度も食べ慣れた、それでいて夜中に見ると妙に魅力的に思えてしまうやつだ。


「おい、寝た方がいいぞ」

「鍋出しちゃおっと」


 カズはもう聞く耳を持たず、さっさとキッチンへ向かう。流しの下から鍋を取り出し、コンロに置いた。リョウは深いため息をつきながら、それを見ていた。が、結局、どうなるかはわかっていた。


「……俺の分も」

「やっぱリョウも食うんじゃん」

「深夜のラーメン一人で食べる気か」


 カズは鍋に水を張り、コンロにかけた。静かな部屋に、コポコポと水の揺れる音が響く。リョウはソファから完全に起き上がり、腕を伸ばして背伸びをする。そして、ゆっくりとキッチンへ向かった。


「せっかくだし、ちゃんと作ろうぜ」

「ちゃんと?」

「冷蔵庫に卵あったし、ネギも刻んで、ついでにウインナーとか入れたら豪華じゃね?」

「カズ、いま深夜だぞ……」

「どうせ食うなら豪華な方がいいじゃん」


 リョウは明日の胃もたれが心配な気持ちと深夜の豪華なラーメンを食べたい気持ちを天秤にかけ、ほんの数秒悩んで豪華なラーメンを選んだ。どっちみち食べる事には変わりないのだから。


 カズはまな板の上でネギを小気味よく刻む。シャッシャッという音が静かな部屋に響き、ネギ特有の青々とした香りが広がった。リョウは冷蔵庫からウインナーを取り出し、そのまま鍋に放り込む。

 湯が沸騰し始めると、細かな気泡が鍋底から湧き上がり、ポコポコと踊り出した。袋麺を放り込むと、乾いた麺がじわじわとほぐれていく。スープの素を溶かすと、一気に食欲をそそる香りが漂った。


「うーわ、めっちゃいい匂い」

「深夜だと特にそう思うな」


 リョウが卵を落とすと、白身がふわりと広がった。カズが、この散らばった白身がいかにおいしいかを熱弁し、リョウは無視して白身が鍋に引っ付かないようにゆっくり混ぜていた。

 湯気が立ち上り、部屋中をあたたかな香りで満たしていく。


「海苔も買っとけば良かったな」

「うわ!言われたら欲しくなってくるやつ!」


 麺がほどよくほぐれたところで、熱々のスープとともに丼へと移す。カズが刻んだネギをぱらぱらと乗せ、付属していたゴマも散らす。香りと共に湯気がふわりと舞い、寒いわけでもないのに、手に伝わる器の熱さがなぜか嬉しく感じた。

 二人は箸を手に取り、一口すする。熱々の麺が舌の上を転がり、コクのあるスープが喉を滑り落ちる。じんわりと広がる旨味が、空腹の胃に染み渡った。

 思わず、二人揃って「フゥー」と大きく息を吐く。


「うまい……」

「夜のラーメンってなんでこんなに染みるんだろうな」


 ズルズルと麺をすすりながら、リョウが呟く。しみじみ言うリョウにカズは笑いながら、スープに浸ったウインナーを箸でつまみ上げる。表面にはスープの油がきらきらと輝き、噛むと絶妙な旨味が広がる。

 リョウはレンゲで卵をすくう。白身はほろりと柔らかく、黄身はほどよくとろけている。それをそっと箸先で崩し、スープと絡めて口に運ぶ。料理中、カズが散らばった白身がいかにおいしいかを熱弁していたのをなんとなく思い出して、カズにバレないように少し笑った。


「なんか、夜中にこうやって食べてると、学生の頃思い出す」

「あぁ……わかる。試験前に徹夜して、夜中に袋麺作ってたなぁ」

「結局、試験は寝不足で死んでたけどな」

「うげぇ、そこまで思い出したくない」


 二人は顔を見合わせ、少しだけ苦笑する。その笑顔には、どこか懐かしさと、あの頃の自分たちに対する軽い照れくささが混じっている。

 カズはふと、静かに肩をすくめた。あの頃のことを思うと、少し恥ずかしくなる。試験の前に寝ずに勉強しながら食べた袋麺の味や、いつの間にか朝が来た時に感じたあのぼんやりとした感覚を、今でも覚えている。


「リョウさ」

「ん?」

「……もう寝る?」

「……うーん……」


 リョウはどんぶりの底を眺めて、少し考えたあと、ぽつりと言った。


「……なんか、映画とか見るか?」

「ははっ、オッケー。B級ホラーで朝まで行くか」


 二人は空になったどんぶりを片付け、ソファに戻る。テレビをつけると、画面がぼんやりと部屋を照らした。

 深夜のリビングには、まだ静かに時間が流れていた。

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