桜月夜は見ていたか

野沢 響

桜月夜は見ていたか

 今日は随分と人が多く出ているなと感じる。

 土曜日の夜で、しかも快晴ともなれば自然とそうなるのかもしれない。

 年度末に入ったと思ったらあっという間に新年度に突入した。毎日が慌ただしく日々が過ぎていき、気付けば四月も下旬に突入していた。


 「来たのはいいけどまだ早かったね」


 「まあ、五分咲きってところかな? もう三日くらい経てば満開になると思うけど」


 俺は恋人のみちるとそんな会話をしながら公園に来ていた。

 関東ではもうとっくに満開か場所によっては葉桜のところもあるらしいが、東北では四月も中頃にならないと花は咲かないのだ。


 桜の名所として知られているこの公園にはほぼ毎年のように足を運んでいる。みちると来るのは今年で二回目だ。


 午後七時を過ぎていたこともあり辺りはライトアップされていて、灯りに照らされた桜を背にスマホで撮影する人の姿も数組見られる。

 

 周りには屋台がずらりと並び、花見客がそれぞれお目当ての食べ物や飲み物を求めて列を作っていた。


 「せっかく来たし、ゆっくりして行こう」


 「うん、そうだね。とりあえず屋台で何か買おうか?」


 「ああ」


 俺たちは屋台に並んで二人分のビールと焼き鳥、焼きそばなんかを買った。

 みちるがレジャーシートを持って来てくれていたので、適当に見つけた場所にそれをひいて腰を下ろす。

 夜間なので冷えるのではと思ったが、風が吹けば少し肌寒いくらいでそれほど気にならなかった。

 時々半袖を着ている人を見かけたが、さすがにまだ早いのではないかと思う。


 「あー、やっぱうまいわっ!」


 「とか何とか言って、昨日もアパート《家》で呑んだんでしょ?」


 ビールを上機嫌で呷っていた俺を見て、みちるが突っ込みを入れる。

 涼しい顔で彼女もビールを一口。


 「昨日は一週間仕事を頑張った自分への褒美だよ。今日は……」


 「はいはい、分かったわよ」


 みちるは適当に流すと焼き鳥に手を伸ばす。

 俺が焼きそばをすすっていると、「久我くが?」と声をかけられた。

 誰かと思って顔を上げると、目の前にいたのは見慣れた長身の男。大学時代からの友人である市川だった。


 学生時代に比べたら当然あどけなさははい。だが、学生時代と変わらず容姿は整ったままだ。

 

 「おお、市川。久しぶりだな」

 

 「お前も来てたんだな。隣の女性ひとは?」


 市川がみちるに視線を向けて尋ねる。

 

 「ああ、俺の彼女。みちるって言うんだ。みちる、こいつ俺の大学時代の友人の市川」

 

 俺が紹介すると、みちるも市川も改めて名乗った後、あいさつをした。


 「まさか、ここでお前に会うなんて思わなかったよ」


 「俺も。少し早いかなとは思ったんだけどさ、やっぱり気になって来てみた」


「市川も誰かと一緒に来たのか?」


 俺が何となく聞くと、


 「いや、一人で来た。ぶらっと回ってた時に偶然久我のこと見つけたんだ」


 「そうなのか……」


 俺は市川を見る。

 学生時代からよく周りに人が集まっていたのを覚えている。

 花見に来るなら誰かと一緒に来たのだろうと思っていたのだが、どうやら今日は違うらしい。


 「なあ、市川もよかったら一緒に呑まないか?」


 俺はそう言うと、了承を得るためにみちるを見た。

 彼女は嫌がる様子もなく笑顔で頷くと、市川に顔を向ける。


 「市川さん、よかったら一緒にいかがですか?」


 「でも、二人ともデート中でしょ? 俺、邪魔なんじゃない?」


遠慮がちな言葉を並べているが、内心混ざりたそうな顔をしているのがこちらには分かる。


 「私は全然ですよ」


 「ああ、せっかくだし一杯やろうぜ?」


 「本当か? じゃあお言葉に甘えて」


 こうして市川を交えて三人の花見になった。


 ※※※


 市川は酒が進むにつれて上機嫌になっていった。よく喋り、よく笑う。人懐っこい笑顔も昔から変わっていない。

 

 みちるは市川が話す学生時代のエピソードを楽しそうに聞いている。

 俺と市川が初めてのバイト先でやらかした話や、とある教授の講義で起きた珍騒動について面白おかしく話している。


 俺も聞きながら、時には説明の補足をしたり突っ込みを入れたりして会話に混ざった。

 こうしていると、学生の時のことを思い出す。

 四年間のうちのほとんどを彼と過ごしたような気がする。もちろん、他にも友人はいた。

 複数いる友人たちの中でも市川は憧れる存在だった。

 誰に対しても社交的でノリが良く、男女問わず友人も多かった。背が高くて容姿も良かったため、よく女子たちと一緒にいることも珍しくなかった。


 俺も身長は高い方だが、それ以外は平凡だ。友人も彼女もいたが、それでも市川は眩しく見える存在だった。


 普段は良いやつだ。

 ただ気になる点を挙げるなら……。

 

 彼氏がいたはずの女性がいつの間にか市川と付き合っていたということが幾度となくあった。

 実際、彼は短い期間で彼女が変わっていた。

 長期交際をしていたイメージはない。

 あの頃は単純に市川がモテるためだとばかり思っていたのだが、もしかしたら別の理由があったのかもしれない。


 「ところでさ」


 市川は思い出したように俺を見た。

 

 「久我はみちるさんとどうやって出会ったんだ?」


 「え?」


 いきなり話を振られて、間の抜けた顔をしている俺に市川が続ける。


 「さっきから気になっててさ。よかったら教えてくれよ?」


 「ああ、えっと、バーで……」


 「おお、いいじゃん!」 


 俺が答えると、市川はさらに笑みを浮かべた。

 買い足したビールに口を付けると、「詳しく聞かせてくれ」と催促してくる。


 みちるは頬をさらに赤くさせて笑みを浮かべている。

 恥ずかしさからなのか酔いが回っているせいなのか判断は出来ないが、嫌がっている様子はない。


 俺は彼女と出会った日のことを思い出しながら、市川に馴れ初めを話し出した。


 ※※※


 それから三日後。

 五分咲きだった桜が満開だと聞いて、みちるを連れて再び公園に足を運んだ。


 時刻は前回と同じく午後七時頃。薄暗くなってきてはいるが、ライトで照らされているため辺りは明るい。

 ちょうど満開になった桜がよく見える。

  

 みちるがカバンからスマホを取り出して桜を撮影する。


 「ねえ、一緒に入ってよ?」


 「ああ、もちろん」


 俺はみちるの隣に立つ。

 彼女が自分のスマホで自撮りを始める。

 三枚ほど撮ってから二人で写真を確認していた時、そのスマホにラインが入った。

 相手は――。


 (え? 市川?)


 みちるを見ると彼女の顔は強張っている。


 俺に顔を向けてぎこちなく口角を上げると、


 「……職場にも市川さんって人がいるのよ。前に言わなかったっけ?」


 「いや、そんなこと……」


 俺は無意識に彼女の腕を見た。紫色の痣のようなものがいくつも見える。


 「みちる、腕どうしたんだ?」


 「え……?」

 

 スマホの画面から自分の白い腕に視線を向ける。


 「ただ、ぶつけただけよ」


 俺が何と答えようか迷っていると、彼女のスマホに再びラインが入った。


 『今度、会える日を教えて? 久我に怪しまれないようにね』


 差出人はまごうことなき市川からだった。


 俺はみちるに再び顔を向ける。

 表情は強張ったままで視線を合わせようとしない。

 そこで気付いた。

 彼女の腕に付けられたいくつもの痣は市川が付けたものなのだと。

 俺が職場から帰宅して呑気に晩酌をしている間、二人は――。


 辺りで楽しそうに談笑する声が聞こえる。桜をバックに写真を撮る人々の姿が視界に入った。


 自分の腹の底から急激に込み上げてくるものを感じる。

 これが怒りなのか悲しみなのかは分からない。

 春が来る度にこの激情は俺を捉えて離さないことは間違いないだろう。


 顔を上げた先にあったのは煌々と輝く満月と咲き誇る桜。

 幹から伸びた細い枝と花びらが夜風に静かに揺れているのだった。

 


                   (了)

 


 

 

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