お城
工藤ゆき
お城
高校一年の二学期始業日。夏季休業中、部活動以外に使用されなかった教室は、久しぶりにクラスとしてにぎわった。ロッカーには学生たちが持ってきた教科書類がしまわれ、満足した放課後が訪れている。
「ねえ、今日時間ある?」
「これから一緒に『お城』、行ってみません?」
「…城?」
「私、随分前に城を見つけていて、いつか行ってみたいなって思ってるの」
「はあ。何だかよく分からないけど、そこへ行ってみたいんだ?」
「そう、あっちの方にあるんだ。その建物のことは私もよく知らない。だけど、興味そそられるんだよね」
城ねえ。遺跡か何かか?この辺りにそんなのあっただろうか。あるいは彼女が見たという建物に対する比喩的表現なのかも知れない。智樹は好実の意味深な言葉を咀嚼した。
目的の建物は「あっちの方」、駅を越えた向こう側にあるという。
智樹と好実は家に続く道を無視して、人通りが多く賑やかな駅前へと向かった。
空へ蜘蛛の巣の如く張り巡らした電線の下に、飲食店、スーパー、服屋、雑貨屋、カフェ、アミューズメントパーク…ここへくれば何でも買えるし、遊べるから不自由はない。雑多で小汚い雰囲気はちょっと気になるが、そんなのは味とすれば些細なこと。二人はこの地元が割と好きだった。
「実は一度小学生の時に一人で行ったの。でも、『子どもお断り』って。ちょっと見てみるだけって言ったのにダメだった」
「管理者がいるんだ」
「そこでもう私たち高校生だし、大人の階段登っていることでしょ?四捨五入すれば二十歳です!立派に成長しました。あの時邪険に扱ってくださったおばさまに、この豊かな体躯を見せて差し上げましょう」
好実は力こぶのポーズをみせた。
「あの頃と比べればね」
「でもなんで追い越された?小学生の時は私の方が高かったのに!」
「平均身長が女子の方が高くなる時期があるんだよな。人体の不思議」
「事あるごとに牛乳飲んでいました。給食の余った牛乳ジャンケンも毎回参加して勝ち取っていました。だけど、飲んでも飲んでも背は伸びませんでした」
「骨密度は高くなってるんじゃない?」
「溜め込むな、伸びてくれえ」
そうこうしているうちに、目的地近くに着いた。あの角を曲がれば、すぐそこだ。
角に差し掛かったところで、好実は歩を止めた。彼女の肩が小刻みに震えている。
「ふふ、見えるといつも笑っちゃう。何であそこだけあんななってるの」
後ろから覗くと、智樹は戦慄した。好実の向こう側に見えたそれは、比喩などではなく、まごう事なき「城」であったからだ。
風情のない目立つオレンジ色の壁と、青色の屋根を持つ西洋風の城だった。窓があるが、中の様子など見えやしない飾り目的のフェイクだ。
このような建物の外観は客にアピールするためにあり、城を模した形状に留まらない。例えば、外壁に独特な意匠のタイルが用いられていたり、カラフルだったりする。さらにインパクトを求め、動物のオブジェクトを屋根に持つものもある。そして日が暮れ、本格始動する夜には色とりどりにライトアップし、より一層存在感が増すのだ。その独創的な外観から、別名ブティックホテルなどと呼ばれたりもする。
「休憩」だの書かれた料金表の看板があるなら間違えなくそれだ。これは日を跨がず短時間の利用に当てた言葉だが、文字通りの休憩をするだけなら何も割高な料金を支払わずとも、いくらでも自宅で休めば良かろう。
それで、好実が言っている「お城」ってのは、つまり……
「では、私が先導します」
「待て待て」
「えっ?」
「お前あそこを何だか知らんのか」
「知らないから行くんじゃない」
「そもそも十八歳未満は入れないよ」
「嘘だッ!」
この国の教育では、保健体育で重要な点の詳細を教えてくれないことがよくあり、それを補完するのは往々にしてカルチャーや違法動画などのコンテンツだったりする。それの良し悪しについてはどこかで議論され、然るべき変革が望まれるが。
しかし、この純粋培養された娘は真面目なために、あるいは興味がないために、ついにこの歳となっても分からないのだ。彼女が十八歳となるまであと僅かなのに。
不幸にも、教育不備の皺寄せが罪なき同期男子に襲いかかる。
「智樹は知ってるんだ」
「は?」
「どうして大人はあそこへ行くの?」
「…知らない」
「なぜ溜めた?嘘つきめ。これは隠している時の雰囲気、幼馴染舐めんなよ!」
「お前さあ…」
同い年の女子に適切に話せるわけがない。
「勘弁してくれ。なんでお前はそんなに…察しろって」
「あ、それ私の嫌いな言葉。秘密にしないでよ」
「いやもう別に知らなくていい、どうでもいい。気になるなら帰って親にゆっくりじっくり教えてもらえ」
「何それ、腹立つ。君っていつも何でも分かってますよってスカした感じよね。賢いね、優秀だね」
「バカにしてる?」
「そうやっていつの間にか私の知らない所へ行っちゃうんだ、バカやろう」
「お前が人を置いてってんだよ」
「私は真理を見たいだけ。賢くなくても、優秀じゃなくても、知りたい気持ちは止まらないんだよ!だってそれこそが、人間の生きる原動力じゃないか!」
「真理?少なくともあの城にそんな価値は無い!」
「私の勘が近いと言ってます!」
「じゃあ、俺はなんでこんなところまでついて行ってるんだろうな」
「は?どういう意味?」
「とにかく全てを明らかにすることは無理で、真実は人を傷つけることだってある。知恵の実を食べてエデンを追放された彼らを知っているか?ちょっとは慎重になりなって」
「知恵の実、エデン?なにそれ気になる、教えてよ!」
「あれ、新城さん?」
それがあろうことか、野獣のような男と腕組みして城へ近づいてくる。
「本当だ、知らない男の人と入っていった。なら私たちも行けるんじゃない?」
「そんな嘘だろ」
「大丈夫?」
智樹の顔は青ざめている。
好実は単身で城へ攻め入ることにした。
目標十メートル先、直進方向。何となく姿勢を低くして小走りで向かう。
これは千載一遇のチャンス。今なら先に入った新城麗奈にお願いして、一緒に入れてもらえるかもしれない。覚悟を決めたとはいえ、未知の領域に一人で飛び込むのはちょっぴり心細かった。ここは基本二人組が訪れる場所らしいが、以前監視したところどうやら二人以上でも入られるようなのだ。一人くらい増えても問題ないはずだ。
遮蔽壁に隠された城の入口は、分かりづらくて外からは見えない。しかし、小学生の時に侵入を果たしている好実は、懐かしい記憶を頼りに内側の自動扉へ突き進む。あの頃と違って、人がやっている受付はなくなっていた。代わりにタッチパネルが設置されており、今はそれを使うようになっていた。
そのパネルの前に新城麗奈がいた!
教室では、美しい彼女に話しかけたくても、シャイが邪魔して一学期を終えた。
こんな謎の城の中で会えるなんて、運命的じゃない?そんな事を考え、好実はわくわくした。
「新城さん!」
好実が呼びかけると、彼女が振り向いた。
「あの、同じクラスの福田好実です。こんなところで会えるなんて、思わなかったからびっくりしました」
好実の自己紹介に驚いた顔を見せる彼女。ははあ、さては彼女も、この運命的な出会いに驚きを隠せないのね。
人にお願いする時は、細やかな配慮が必要である。ここで中学校時代、生徒会役員をやっていた経験が役に立つ。
「これからこの建物内へおいでになられますか?厚かましいことと存じますが、私もご一緒させていただいてもよろしいでしょうか」
目の前の二人は不審そうな顔をしている。
何か異様な雰囲気を感じ取った好実は、やっとここで不安になる。
新城麗奈だと思っていた彼女の顔を見ると、化粧をしている。顔のパーツもよく見ると少し違うように見えて…好実はこんなに大人っぽい人だったかなと思った。
「あのう、もしや新城麗奈さんではない?」
「麗奈ちゃん?私が麗奈ちゃんに見えるの?」
目の前の彼女はお腹を抱えて笑った。
ハハハハハ…としばらく高い笑い声が響いて、
「ごめんなさい、高校生の妹と間違えられるなんて思ってなかったから」
その言葉を最後に、好実は目の前が真っ暗になった。
人違いをすると、ものすごく恥ずかしいのはなぜなのか。
好実は初めて船に乗った幼い頃のことを思い出した。キラキラと輝くまばゆい大海原、常に吹きつける爽やかな風、どんぶらこと波打つ足元、何もかもがいつもと違くてエキサイティングだった。ねえねえ、お母さんすごいね、海ってこおんなに大きくて青いんだねえ!…母親だと思って話しかけていた知らない女性はにっこり微笑んでいた。
ああそうか、人違いをすると自分の間違えが即分かってしまうからだ。言い訳する余地すらないから、恥ずかしがるしかないんだ。
スパン!と幼馴染に頭をはたかれ気づくと、新城姉と野獣は消えていた。
「未成年が入れるわけないだろ!」
「あの人、新城さんのお姉さんだった」
「あ、そういうこと。心配して損した」
「穴があったら入りたい……」
好実は手で顔を覆い、一丁前に耳まで赤くしていた。しかし、こんな恥晒しの一つや二つ今に始まったことではないことを智樹は知っている。
好実の指の間に、薄ピンク色のカードのようなものが挟まっていた。
「それは?」
「お姉さんがくれた」
星の柄が入ったラメ入りの可愛らしい名刺だ。中央に「
そのスナックの店名が目に入る。
「『エデン』…!」
「スナックも大人じゃないと行けないよっと!」
「あっ!」
さっと名刺を奪い取り、智樹は外へ飛び出した。
あわてて好実も飛び出すが、智樹は早くも先の角を曲がっていた。
好実も後を追うが、智樹の背中は容赦なく小さくなっていく。
「コラ待てえ!」、「返してよ!」、「命からがら手にしたのに!」、「大人ってズルいよ!!!」…せめてものヤジを飛ばす。
やっと踏切に着いた頃、汗にまみれた好実がゴールインのポーズを決めた。
横の智樹が涼しげに笑っている。
「覚えていたら、卒業後に行くか」
「はあはあ、行く…」
「せいぜい真面目な学生しておくんだな」
「卒業したらあの城にも行こうね」
「それ、俺以外には言うなよ」
「へへ、やったあ」
そう無邪気に笑う幼馴染は、今もずっと可愛い。
車輪を携えた鉄の塊がギイギイ金属音を散らして踏切に入ってきた。
隔てる遮断機は心細く、ごく目の前を悠々と横切る巨大な鉄の質量の風が、好実の汗を攫っていき、智樹のつむじを撫でつけてくる。まるで大きな化け物に食べられるかのような圧倒感に二人はくぎ付けとなった。
遮断機があがるのは、まだちょっと先。
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