きさらぎ駅と怪異の車掌
田篠あぐれ
怪異車掌
列車が揺れる音だけが聞こえる。わたしにとって、慣れ親しんだ音だ。
窓から見える景色は薄暗く、物体の影がぼんやりと見える程度。いつもと変わらない景色には、飽き飽きすることもある。
だが列車に乗っていると、それを考えを吹き飛ばしてくれる。
わたしは乗務員室から降り、指差し確認。慣れた作業であるが、気が抜けない。目線を動かし、声を出す。
安全確認を終え、客車を見る。乗客は数えられる程度。この路線は、利用者があまり多い方ではないので、いつものことだ。運転手に合図を送った後、音を出す。
「……ドアが閉まります」
わたしの声がアナウンスとして、車内に響く。そして開閉ボタンを押した。ドアが閉まり、ゆっくりと動き出す。
車掌として、いつものように業務にあたる。現在地点は、かたす。次がきさらぎだ。
出発から十分ほどか。ふと、何かの気配を感じた。最後尾ではない。一号車だろう。
ここからでは、目では確認できない。そう思い、手で塞ぎ、原因を調査する。
目を車内の天井に生やし、それを視界に映す。
一号車にいるのは、席に座っている男性。二十代くらいだ。辺りをキョロキョロと見渡している。こちらの存在には、気づいていないようだ。不安そうな表情をしている。
「あれは……人か」
人型で、あまり特徴のない普通の者に見える。特徴と言えば、少し色黒なことぐらい。目を元に戻した後、情報を仕入れるため、今度は耳を立てる。
「オレ、寝落ちしてたのか?」
弱々しく吐かれるその言葉が、彼がこちらの世界の者ではないことを確信させる。
そして、心中で呟いた。
またか、と。
きさらぎ駅——正確に言えばその路線——には、ある事象があった。突然、この世界の者ではない人が現れ、きさらぎ駅で降りて行く。それは、元いた世界に帰りたいからだと。
先輩にその話を聞いた時、デタラメな作り話だと思っていた。鉄道関係の怪談はよく聞く。創作だろう、と。同期のモノと共に笑い飛ばしたぐらいだ。
しかし、実際にこの路線を走り、本当であると実感した。
詳しいことはわからない。なぜ現れるのか、そもそもなぜ過疎気味であるこの路線なのか。疑問は尽きない。
考えても無駄だろう。
だが、わたしにとって一番奇妙なのは、きさらぎ駅の存在を知っていることだ。きさらぎは非常に不便な地にある駅で、マニアの間で少し有名な程度。非常にマイナーだ。
だが、耳を立て聞いてみると、現れた者は皆、きさらぎ駅だけは知っているようだった。きさらぎ駅を見ると、我に返ったのように急いで降りて行く。
まだ、やみ駅の方が立地もよく、知名度もあるだろうに。
これで何人目かは、二十を超えてから数えていない。普段は夏頃によく見かけるが、最近は春でも遭遇することが増えたと思う。原因はわからんが。
今月は、本当に多い。
──正直に言えば、この男がどうなろうが、どうでもいいのだ。わたしはこの列車が住処で、それ以上の世界は知らないし、興味もない。
列車を降りれば、わたしのセカイの住人ではなくなるのだ。
何よりも、実質無賃金乗車の者の安全を保証するほど、わたしは優しくない。
耳を元に戻し、迷い人を導くように次の言葉をだす。
「まもなく、きさらぎ。出口は左側になります」
その言葉で、今日もまた、きさらぎで人が降りるのだ。
きさらぎ駅と怪異の車掌 田篠あぐれ @Agray
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