背教者と呼ばれた男による報復譚
Noir
第1話 神の願い事
太陽が空高く昇るお昼頃。他では見ることが決してないと言えるほどの巨大な木を中心とした街、そこに住む人々の喧騒が鳴り響き、活気に包まれていた。
そんな街の大通りを一人の青年が歩く。足に沿ったズボン、シンプルなシャツ、腰下ほどある少し丈の長い上着は全て黒色。しかし、ズボンと上着の膝、肘、手の甲、胸に当たる部分には動きを阻害しない最低限の装甲が取り付けられている。それらの装甲は僅かに透き通っていて白銀色の控えめな輝きを放ち、どこか神聖さを感じさせる。
目にかからないほどの長すぎない黒色の髪は街に吹く風になびき、黒色の瞳は街の喧騒には一切目もくれない。
彼が一歩一歩進む度に腰の背面側で交差するように帯びた二本の短剣が、上着の浅いスリットから柄を覗かせ、カチャカチャと小さく鳴り響く。
その足は、上部に円を縦半分に割るように木が、その両端に二人の目を閉じた女性の横顔が描かれたエンブレムが目印の大きな建物の中へと進んでいく。
建物の中は外観通りな広い広間のような内装をしているが、広さに対して人が少ないためどこか物寂しさを覚える。
入り口から少し進むと来客者の対応用のカウンターが横に伸びているが、建物内の人の少なさのせいで広いカウンターには二人しか受付がいなかった。
「換金を頼む」
青年がぶっきらぼうにそう言いながら、左腰についていた巾着の形をしたポーチをカウンターの上にひっくり返した。すると、巾着の大きさとは不釣り合いな、拳くらいの大きさをした紫色の石がいくつかカウンターの上に転がる。
受付にいた一人が青年の対応にあたり、出された石を回収し、しばらくすると数枚の金貨をトレーに載せて青年の方へ差し出す。
金貨を先程のポーチとは別のものに入れると青年は引き返し、建物の外へと向かっていく。
「リーナさん、その魔石って今確認できてる最深層で手に入るサイズのですよね?」
青年の対応をしていなかった受付、サリアが、肩口で揃えたサラサラな綺麗な淡いピンクの髪を興奮で揺らしながら、先輩職員であるリーナにそう問いかけた。
「ええ、おそらく五階層で手に入る魔石ね」
「やっぱり!さっきの人って有名な解放者さんなんですか?」
リーナからの言葉でさらに興奮の色を濃くするサリアと対照的に、リーナはその表情を複雑そうにし、去っていく青年を見つめながら歯切れ悪く答えた。
「彼はこの街である意味一番有名かもしれないわね・・・」
そんな会話が受付の二人の間でされるなか、当の青年はその会話が聞こえていても表情ひとつ変えることなく建物を出ていった。
街の中心に見える大木、それを背にしばらく大通りを歩き、ふいに立ち止まる。青年の正面10メートルほど先に身長140センチほどの少女が立っていた。
腰まで伸びた黒い髪に青い瞳、作り物めいた整った顔立ちは微笑みを浮かべ、可愛らしさの奥にわずかな美しさが垣間見える。身につけているものは真っ白のワンピース一着で、靴も靴下も履いていない。
一目で異様だと言える少女は、街をゆく人々に目向きもされず、青年をじっと見つめる。
その目を数秒見つめ返した少年は再び歩き出し、少女を無視してすれ違う。
「一月ぶりくらいかな、久しぶりだね、アルス」
少女は青年、アルスのすぐ後ろをついていき、一月ぶりの再会を喜ぶかのように明るい声で話しかける。
「何の用だ」
「冷たいな〜。もう少し愛想良くできないのかい?」
「いつも通りだろ。何を今更」
「そんなんじゃエルナちゃんに嫌われちゃうよ。あっ、ねえねえあれ食べたいな、わたし」
「はあ・・・」
少女は終始ニコニコとしていて、大通りに出ているいくつか出ている出店のうちの一つに目をつけ、駆け寄っていく。
マイペースな少女に少し辟易とした様子でため息をつくアルスは少女の後を追いかける。
串焼きの出店だったらしく、アルスは二本串焼きを買うと一つを少女に手渡す。
「ふふ、ありがと」
「ん」
少女はパクパクと串焼きを食べていく。それを横目にアルスは一口だけ食べると少女に話しかける。
「ラトル、何か用があってきたんだろ。さっさと言え」
「はむっ、ん・・・ごくん。ふふ、串焼き奢ってくれたし、そろそろほんとにイラついてきそうだから言うね。あっ、それもちょうだい」
少女、ラトルは自分の分の串焼きをさっさと食べてしまい、アルスの手から串焼きを奪い、代わりに自分の串を握らせるとニコッとアルスに向かって笑みを浮かべると話し出す。
「実はね、今日はお願いがあってきたんだ」
「お願いって?」
「一人、面倒を見て欲しい子がいるんだ。主に戦い方を教えて欲しいんだ」
「断る」
「まぁそうなるよね」
「わかっててなぜ俺に言った」
「んー?その子がちょっと特別だからかな。まぁ君ほどじゃないけどね」
ラトルは意地の悪そうな笑みを浮かべてアルスの顔を見上げる。
しかし、なんの反応も示さない、それどころか目も合わせようとしないアルスにラトルは気を悪くした様子も見せず、彼のだった串焼きの残りを平らげる。
ただの木の棒となった串を元の持ち主に向けて差し出す。アルスはラトルの顔を一瞥した後にその串を受け取ると、代わりにハンカチを手渡す。
その対応にラトルは嬉しそうに微笑みながら「ありがとっ!」と言って受け取ると串焼きで軽く汚れてしまった口元を拭う。
するとラトルは急に立ち止まり、それに少し遅れて気づいたアルスが振り返り、二人は向き合うかたちとなる。
「皆に神として崇められている私が、その子の世話を君にお願いしたとしてもかい?」
今までの見た目相応の少女然とした笑み、振る舞いが微塵も見られなくなり、華奢な見た目からは想像もできない存在の圧を放ち、超然とした笑みを浮かべながらアルスの目を見つめ問いかける。
「・・・俺にそんな余裕はない」
前に向き直りながらそう答えるアルス。
彼とは数年の付き合いになるラトルはアルスの返事にほんのわずかな逡巡が含まれていたことを見逃さなかったが、それには追及せず、それまでの厳かな雰囲気はなくなり、見た目通りの少女然としたものに戻る。
「少しイジワルしちゃったかな?ごめんね!」
先に前に歩いていたアルスの元へ小走りへと向かうと、にこやかに謝罪をした。
その謝罪とも呼べないような謝罪に、アルスはほんのわずかに片頬を引き攣らせ、しかし何も言わずただため息をついた(クソデカ)。
そうしていると、周りにある家々とは敷地の広さが明らかに違う家の前に着く。
「もう着いちゃったか。さよならの時間だね」
「・・・じゃあな」
「別に頼み事の件は気にしなくていいんだよ。わかってたことだしね」
「そうか」
関わりのない人が聞けばただの感じ悪い風にしか聞こえないアルスのどこかバツの悪そうな雰囲気の別れの言葉に、ラトルは背を向け歩きながらそう告げた。
数歩歩いたラトルは立ち止まり、振り返るとその顔にはいたずらっ子という言葉がぴったりな、今日一番の悪い笑顔を浮かべアルスを見つめる。
アルスはその笑顔を見ると最大限の警鐘が鳴り響いてる錯覚を覚えたが、ラトルの続く言葉を止めることはできなかった。
「ちなみにだけど、頼みたい子はユティアっていう15歳の女の子で、白い髪の槍使いの子だよ!!」
そう叫ぶと、まるで今までそこにいたのが嘘のようにラトルの姿が消えていってしまった。変わらず笑顔を浮かべたまま。
呆気に取られた様子でアルスはしばらく動けず、ラトルが立っていた場所をただ見つめていた。
「はあぁ・・・」
やがて詰まっていた息を吐き出す。
彼女が発することで爆弾と化した最後の発言により、今回のお願いは命令と同義だということを悟る。
ラトルという
いずれ巡り会うことになるだろうユティアという少女のことは無理矢理頭の片隅に追いやると、アルスは目の前の自分の家へと入っていく。
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