不可思議カフェ百鬼夜行の怪異事件簿
一花カナウ・ただふみ
第1話 タソガレドキに出逢うもの
肌がざわっとして、俺は本能的にいつもの道をそれて駆けだした。
運が良かったらしい。何かがさっきまでいた場所に勢いよく突っ込んでいくのが見えたから、あのまま進んでいたらと思うとぞっとする。
昔から俺は運が良かった。親の顔も名前も知らないが、なんとなくで生き延びられているのが証拠だ。
「はぁ……」
遠回りにはなるが、違う道を選んで歩く。
黄昏時の街はみな毒々しい赤い色。黒い影がゆらゆらとうごめく。
運がいい方だと自認しているが、今日は職を失ったばかりなので正直途方に暮れている。人間に擬態して生活するにはどうしてもお金がかかるのだ。
不景気だと店が突然潰れることもあるってのは感覚的にわかっちゃいたが、円満退社が多かったからな……。
経営者が夜逃げした。紙っぺら一枚を扉に貼り付けて。そんな気配、なかったのに。
いや、年末が迫っている今の時季だとありえなくもないのか? いつまで経っても人間のことはわからねえな。
憂鬱な気持ちで歩いていると、何かにつまずいた。
「んぁっ?」
転んでも大怪我をすることのない高い運動能力は猫の怪異由来なのだろうが、どうもそれが仇となったらしかった。
つまずいて、バランスを取ろうとぴょんぴょんしたら、ずぼっと穴に落ちた。
なんだ、この穴!
光を吸い込むほど真っ黒な何かに吸い込まれているような感覚。穴に落ちたと考えるのが道理のはずだが、様子がおかしい。
怪異の類か?
警戒するが、化け物に喰われる途中とは違う。出口は、と身構えたところですぽんと放り出された。
「おっ」
ひらりと一回転して着地。上から落下するのではなく、横に放り出されたらしかった。
ここはどこだ?
店の中のようだ。鼻をひくひくさせるとコーヒーの芳しい香りを感じる。あとは紅茶の香りもするだろうか。草や花の匂いも混じっているのはハーブティーの類か。
赤く染まる店内にはカウンター席が三つとテーブル席が二つ。客の姿も店員の姿もない。古時計の秒針が動く音が響く。
……なんでこんな喫茶店に?
不法侵入が見つかって捕まるのは勘弁願いたい。俺は出入り口を探してキョロキョロする。誰もいないならそれで早いところお暇したい。
「――おや、君は」
背後から男性のような低い声がして俺は飛び上がるほど驚いた。
俺はある程度は気配を探れる。普通の人間ならどこに隠れていようとも察知できる自信がある。
なのに、声の主は全く気づかせなかった。
俺は冷や汗を流した。
彼は怪異。それも俺よりもずっと上位の存在。
振り向かずに様子をうかがっていると、声の主はくすくすと笑った。
「ふふふ。いきなり取って食おうとは思わないよ。客の振りをすればよかったのに、君はたいそう真面目だね」
「別に物盗りのために入ったわけじゃねえよ。いつもと違う道を使ったら落ちたんだ、ここに」
両手を肩より高くあげて敵意のないことを示す。
なお、まだ声の主は気配を消したままなので、声が後ろから聞こえているだけで本人は別の場所にいる可能性は捨てられない。
「ふむ、それは興味深い事象だ」
「嘘じゃねえよ」
「嘘吐きだとは言っていない」
「信じてない口ぶりじゃねえか」
俺が指摘すると、声の主はぷっと吹き出して感情的に愉快げな声を出した。
「あっはは、それはすまなかった。考え込むと声がどうも落ち着いてしまってね」
俺の真後ろに気配を感じる。と同時に肩を叩かれた。それで相手の方が俺よりも頭ひとつ分ほど高いことが察せられた。
「怖がらせる気はなかったんだ。君のような子どもが紛れ込むのが珍しくて、つい」
「言っておくが、俺はガキじゃねえ。ちゃんと成人してる」
子ども扱いされるのが不愉快で、俺は彼の手を後ろ手で軽く払った。
「そういう設定にしているわけではなくかい?」
「一応、明治生まれなんで。俺の本体」
ゆっくりと振り向いて、声の主と対面する。
まる眼鏡が夕陽に照らされて紅く眩しくきらめいた。漆黒の髪は緩くウェーブしていて、その髪を後ろで一つにまとめている。綺麗な顔だ。人間にしては綺麗すぎる整った顔立ちである。
予想したとおりに身長は俺よりも高く、肩幅はがっしりしているほうだろう。ワイシャツにエプロンをした姿は店員であることを示しているのだと思う。
眼鏡の奥の目が細められた。
「なるほど。だが、その姿はいささか不便ではないのかな。外見と年齢を合わせるべきだと思うのだが」
「いろいろと事情があんだよ、ほっとけ」
話すと長くなるし、赤の他人にベラベラ喋ることでもない。俺はひと睨みして、この場を立ち去ろうと一歩踏み出す。が、それ以上動けなかった。
腕を掴まれていた。
「なに?」
「これも縁だと思ってね」
「なんだよ、身体検査か? なんも盗っちゃいねえって」
気が済むまで付き合うしかないかと諦めていると、彼は首を横に振った。
「君はツカレている」
「疲れちゃいねえよ、今日は散々な目に遭ったが、怪我ひとつねえし」
「違う。取り憑かれているんだ」
俺を掴んでいた手が着ていたダウンジャケットの表面を撫でる。
ざわざわした何かが引き摺り出された。
「なっ」
「憑けられてしまったんじゃないかな」
彼に腕を引っ張られて背後に移動させられる。その彼の手にはいつ持ち出したのかわからない紙と筆ペンが握られていた。
「悪いが、この店はこういう店でもあるからね」
筆ペンが紙の上を走る。なにかを
「……あんた、何者なんだ?」
なんとか腰を抜かさずにすんだ俺は、エプロン姿の彼に震える声で尋ねた。
彼は筆ペンとメモ帳をカウンター席に置くと俺に向き直った。
「僕は
「そういうことじゃねえよ」
「君は?」
有無を言わせない圧に負けて、俺は言及を諦めた。
「俺は
「獅子野くん、ね。覚えたよ」
そう告げるなり、百目鬼と名乗ったカフェの店長は俺の手を握った。
「ん?」
「君、ここで働くのはどうかね? 賄い付きだ。今、店員不足でまさに猫の手も借りたくてね」
「いや、俺、飲食店は、ちょっと」
極度の猫舌であるので、温かい料理が苦手なのだ。よって、作るのも苦手意識が強い。
渡りに船のありがたい申し出ではあるものの、手放しでは喜べない。俺は不適格だ。
だが、彼はずいずいと押してくる。
「君が働きやすいように仕事も料理も教えよう。最初は給仕だけで構わない」
「さ、さすがに考えさせてくれ」
なんとか手を払いのける。
彼はがっかりしたような顔をした。
「冬の間だけでもいい。給料は君が必要な金額を出そう。前向きに考えてくれ」
「な、なんで俺なんだ?」
押しが強すぎるのも不気味に感じる要因だ。俺がビクビクしながら尋ねると、彼は長い人差し指を自身の唇に当てて笑った。その仕草も表情もどことなく蠱惑的でゾクゾクする。惑わされてしまいそうな気配にクラクラしていると、彼は唇を動かす。
「君が働く気になったら教えよう」
そんなのずるいじゃないか。
俺は「わかった。それじゃ」と告げて店を出る。
――これが、俺と店長の出会いの話だ。
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