第3話 クロの正体
ルアの攻撃、久々だなと思いつついつでも動けるように、足に力を籠める。来木の心配に内心笑いながら、空間の歪みを感じた。
近くにいた真壁は僕を嘲笑っているが、幾度と感じてきたこの歪みを、僕の感覚器官はしっかり覚えていたようだ。まぁ当然か。
背後…歪みが広がって、ルアの殺気を感じた。
「死ね」
ルアが言葉を発する前に空間の歪みが開いたタイミングで僕は床を蹴って前進し、足を振り上げ、バク宙でルアの上に飛んだ。僕の心臓を狙ったルアは上に上がった僕に対処しきれないで、ただ驚いた。真壁も口を開くほど驚いていたのが見える。
昔の僕が今の真壁の顔を知ったら、大笑いしているだろう。ついでにルアにも得意げに話したろう。
ルアへ鉄パイプを振り上げて、背中を突いたが、ルアはただで倒れることはなかった。突きの威力で一回転した僕の顔面へ手を伸ばし、布を剥ぎ取ったのだ。僕は着地仕切ってから低く呟いた。
「あーあ。鈍らないねぇルア」
ルアは突かれても無事に着地していたが、僕を再び見て顔色を変えた。
座り込んだままの真壁も目を丸くし、口を僅かに震わす。
「嘘だろ……」
信じたくない、という本心が聞こえるほど驚いた真壁の声。
「やっと僕が誰だかわかった?」
今この場のこの瞬間で僕はやっと表に出られた。やっと戻ってこられた。
やっと、追いついた。
「「レイ⁉」」
************…
ルアと真壁はほぼ同時に言って、唖然とした。僕はクロを助けようと動いた体を立て直し、三人の顔を順番に見た。ルアはひたすらに驚きを、真壁は驚きの中に恐怖を合わせた顔をしていた。ただ一人、クロこと、レイだけが「セ・イカーイ」とニヤッと笑っていた。
その割に、深い青の目には光が映っていなくて、どこか怒っているようにも見えた。
(え……レイ?)
脳内で二人が口にした名を繰り返した。
僕はその名前を聞いたことがあった。いや、僕だけじゃない。レイと言えば、島の人間の大半が知っているだろう。
レイ、それは無神のレイとして広く知られている。無神のレイは違う島出身の僕でも知る、恐ろしい人だ。そうだ。何故気づかなかったんだろう。今になって思い出した。
無神のレイ―唯一無能力でにして四天王に上り詰めた無限の可能性を持つ者。
他の噂もかなり聞いていた。まさか、僕達を助けてくれたのが、そんな人だとは思いもしなかった。驚きのあまり、その衝撃は口から溢れ出た。
「え、レイってあのレイ⁉」
僕の言葉に「…こいつは樹炎四天王で裏切り者…無神のレイだ」と、意外にもルアが答えた。
その表情は先程までとうって変わって苦しそうだ。今はもう驚きという感情は見えない。
「お前は死んだんじゃ…」と真壁が壁にもたれたまま言った。
「生きてるよ。お前らに殺られるなんて御免だワ」
レイは冗談を言ったかのような、馬鹿にしたような調子で笑って返した。ルアはそんなレイの言葉を聞いて、下へと目線を落とした。まるでレイから目を逸らすかのように。
噂ではレイが他の四天王で仲間だった賢神のルアと邪神のソウを裏切ったとか……それがルアにとっては苦しい過去なのか?
僕は一瞬そう思ったがルアの今を知る限り、そうは思えなかった。
「正体がバレたし、改めてお話といこうか」
「……わかった」
今度は素直に応じられた。ルアはレイに対して何を抱いているのだろうか。
考えていた僕に一度視線を向けると、レイはさっさと進める。
「今日僕が来た目的は君らへの挨拶もあるが、一番はそこの二人をここから連れ出すことだ」
レイははっきりと告げ、建物を壊したことは謝罪する、と付け足した。
ルアは一度僕達を見てすぐに視線を戻した。
「それが叶えば今日は大人しく帰る」
「今日はって言うと、何か企んでんのか」
ルアは苦笑して、レイへ目を向けた。
「……当たり前だろ」
レイは今日、一番強く、底知れぬ恐ろしい殺意を放った。
「僕はもう過去を流せるほどお優しい人間じゃあない」
その殺意はルアも真壁も冷や汗を表すほどで、僕も向けられていないのにビビった。確かに、これなら真壁を退けるな、と今納得したが、正直まだ頭が状況に追いついてない。
「わかった。この二人はお前にやる。だが、条件付きだ」
ルアは暫くして言葉を絞り出した。その言葉にレイはどうぞ、と促すような顔で応えた。
「今後、お前から虚月透真に手を出すな」
ルアが初めてレイに強い瞳を向けた。同時に、その奥に何か悲しいものが見えた気がした。しかし、僕が答えを出す前にそれは瞳から消えた。
「相変わらず策作んのがお早いことで。わかった。その条件、乗ろう」
レイがそう言うと、ルアは再びレイから目を逸らし、道を開けた。
「来木、帰んぞ」
歩き出したレイに、紘を背負いながら付いていく。視界の端、真壁の手当をするルアの表情は今までの王としての風格が一切感じられない程、苦しく悲しそうな顔だった。その中で僅かに、瞳に何か優しい色があった気がしたのは気のせいだったろうか。
************
紘はいつの間にか気を失っていた。背負っているが、まだ起きない。
戻って行く道中で僕達は一言も話さなかった。正確には、話しかけられなかった。ルア達の前であんなにも強気な顔をしていたレイは今、泣きそうな顔をしているように見えたからだ。
********
レイの拠点の食堂で、紘をソファに置いて、テーブルを挟んでレイと対面して座る。既にコップ一杯の水が用意されており、レイも話す気らしい。
「クロ…いや、レイって言うんだよね」
ほんの少しの恐怖が僕を包むが、レイの狙いはわからずとも、僕達を殺す気がないのはわかる。今はまだ様子を見よう、そう思ってレイを見つめた。
「あぁ、改めて、僕は鬼波零斗」
最初、クロと名乗られて違和感しかなくて偽名だとは気づいていたが、本名を言わなかったわけが正体を知った今は理解している。もし最初に名乗られていたら、その時点で僕は逃亡を図った気がする……
「納得したよ、あの二人のことも“レイ”なら知ってて当然だよね、仲間だったんだから」
レイの狙いを知りたい僕は、恐怖を捨てて話をする。この時点で噂通りの人ではないと確信していたから、ずっと抱いていた無神への恐怖はない。ただ狙いがわからないことは恐怖だ。いくら、噂と違った人だとしても、何を考えているかわからない、という最初からの印象は今も変わらない。
レイは一瞬目を閉じ、「昔の話だ。今は仲違いしている」と、静かに言った。
レイの様子からも、先程のルアの様子からも間違いなく裏に何かあるなと察した。
「……とにかく、紘を、僕達を助けてくれてありがとう」
「いいんだ、僕も目的は果たせたしな…それより、晴れて君らは自由の身。今後、どうするんだ?」
その話がされることは予想外だった。驚いたままの僕をよそにレイははぐらかすように続けた。
「虚月透真から抜けた。自由の身になったはいいが、何するんだ?」
「それは、紘と二人で店をやっていくつもりなんだ」
僕は事前に決めていたことを話した。
レイに借りができたからと言って、仲間になるつもりはない。そんな意志を示しつつ様子を窺うが、レイは気にした様子もなく淡々と言う。
「そう簡単に商人にはなれないよ。商人としての教養を受け、取引責任者としての試験を合格していないといけない。それに、商人といっても安全とは限らない。どこもかしこもキナ臭い話はつきものだからな。それに津山紘なら尚更安全が保障されない。今度こそ地獄を見るかもしれないぞ?」
レイの青い瞳が僕に刺さる。
何を考えているのかはわからないが、言っていることは僕の危惧していたことばかりだ。紘は虚月透真以外のチームにも狙われていた。むしろ今までよく無事だったというほど、最初ここへ来た時の船での勧誘はすごかった。しかし、虚月透真に所属してからはほとんどなかった。外出が少なかったのもあるだろうが、それだけ虚月透真が強いってことの表れだったのだろう。
「何が言いたい?」
ここに来て紘が狙いなんじゃないかという疑いが再発した。けどレイは少し困ったような笑みを浮かべて、恥ずかし気に視線を迷わせた。疑いを晴らそうともせず、むしろレイの不安を垣間見た。
「君らの自由だが…僕の所に来ないか?」
青い瞳が優しい色を発したが、意図がわからなくて、僕は固まった。
「チーム選びに不安があるのはわかるし、裏切り者のレッテルを持つ人間が信じられないのもわかる」
だったらなんで僕達を誘う?そこまでわかっていても聞くか。
僕がそれを口にする前にレイは僕の疑問を晴らした。
「それでも君らが来てくれたらいいと思った。今すぐに仲間にってわけでもない。君らが落ち着くまでの宿にしたいというならそれだけでもいい。ここに居る間の身の保障はする」
レイは真っ直ぐな瞳で僕を見ている。虫の良すぎる話じゃないか。綺麗言にしか聞こえない、と言いたかったが、こんなにもまっすぐな目に、そんなことが言えるはずがない。
「お前の目的は一体何?お前の考えてることわかんない」
疑問は答えられてもすぐに沸いた。
「僕の、目的は奪われ続けるこの現状を覆すこと」
その時、初めてレイの明確な意思を見た。
「そして、僕達のような人間をこれ以上生み出さないようにすることだ」
眼差しの強さや態度よりも、その言葉が酷く刺さった。
この島は、楽園とさえ呼ばれるのに、その実情は上と下がいて、奪う者がいて、傷つく者がいる。恨み、妬み、憎み合いながら互いに刃を向けるこの島は、蠱毒と変わらないような地獄。
決して逃げ出すことのできないこの島で、僕達は生涯を終えなければならない。底辺になればそれだけ地獄の日々があり、普通を奪われ続け、満足に笑うこともできない……
「仲間になるにしろ、二人でちゃんと納得した結論を出してくれ。君らの選択に沿う助力はするつもりだ。ただその選択に僕からの勧誘も前向きに考えてほしい」
レイはそれだけ言うと、席を立って部屋を出ようとした。
「この現実を変えたいなら、戦うしかない。」
出ていったレイの言葉は何かに反抗するような、強い意志の籠った言葉だった。また、レイは一回たりとも嘘の色など発さなかった。しばらく一人になった部屋で机を見つめながら考えが巡った。
春、ようやく過去と割り切りをつけ、心機一転。新しいこの場所で、紘と二人どうするか考えていた時、この島に来てすぐ仲良くなった真壁の仲介で、紘と共に真壁の親友のチームだという虚月透真に加入した。最初は物腰柔らかで、優しさでいっぱい過ぎる真壁だったからすぐに信用してしまった。
しかし、いざ入ってみれば真壁は最初の物腰柔らかな人柄から豹変、クズそのものだった。誰かを痛めつけ、利用し捨てる。功績は自分のものにしてしまう。また、その真壁に祭り上げられる樹炎四天王の一人、斎藤ルア。ルアは真壁の非道を知らないで、真壁を信じきっていた。ルアはただのお飾り、真壁がほぼ表に出ていた。
そんな場所からレイに救われ、僕達はあそこから逃げおおせた。そして、今、レイの言葉を受け、どこかレイを信じた。だけど、本当に信じていいものか。
何故レイが、僕らにここまでするのか、わからない。それに、レイという人間が僕にはわからない。会ってほんの少しだが、何一つわからない。
噂とかけ離れた人格で、ただ僕達を助けた。強制するつもりもなく、逃げ出そうと思えば逃げ出せるような環境、何が狙いかなんて一ミリもわからない。心内を話して、目的まで話された。あの言葉に嘘はない。
真壁と出会ってからというもの、僕は嘘にとても敏感になった。自分で言えてしまうほど、嘘を見抜ける。だからこそわかる。あれに嘘はなくて、ただ純粋に言っている。だから、レイは信頼に値すると思ってしまう。
もしかしたら、真壁達に散々な目に遭わされた僕達への同情かもしれない。それなら尚更信頼はある。
そうじゃなかったとしても、かなり信頼できる。利用しようと思ってたのに、心の方がレイを先に認めてしまっている。助けられたのは事実。今、自由なのも事実。
気づくと、日が傾き始めていた。僕は長時間考えていたらしい。
僕の答えはもう決まっていた。紘はどう答えるだろうか。少なくとも僕は、レイが悪でないことを知った。噂に言う人間ではないことを確信した。そしてこれは推測だが、レイは酷く優しい人間だ。同時に深く傷ついて今があるのだと。
ルア達と過去に何かあったらしいが、あの泣きそうな顔は噂が真実じゃないことを知るに十分で、レイが自分を責めているんだと思った。何かに怒っていて、それを責める。
何かを抑え込んで、自分は噂の通りで在ろうとする。そんなレイがこの短時間で見て取れた。
本当に噂通りであるなら、レイは殺しを楽しむサイコパス。助けるどころか、僕は殺されていたはずだ。僕らは今ここでのんびりできてないだろうし、本当に悪い人間なら、僕らは今頃、地獄行きだった。
そうだ、そうだよな。改めて、結論は出ていたと自分で思う。助けてくれたレイは、あの言葉の裏に何か抱えてる。わからないことだらけでも、それが悪ではないのはわかる。あれは自分に向けていたと思う。僕らには今、関係ないことだけど、放っておけないと思ってしまった僕もいて、それに引っ張られた結論かもしれない。それでも今は、この結論を信じていくしかないだろう。
紘にはそこだけ話さないでおこうと思った。
************
翌日、居間にやってきたレイに声をかけて、僕達は結論を告げる。
「レイ、僕も紘もここに残るよ。信用しきったわけじゃないけど、多分この島でレイはまともだよ」
レイは驚き半面、嬉しさ半面の笑みをみせた。まさか一日で結論を出してくるとは思っていなかったのだろう。「ほんとか?」と一度聞かれ、僕達は強く頷いた。
「ただし、お前が真壁達と同じだと判断したら、逃げ出すから」
「それでいい。きっとあいつらとの違いはすぐに見える」
レイは戸棚から椀を持って来、丁寧に水を注ぐ。
「盃は知ってるか?」
僕達は顔を見合わせた。レイはそれを見て僕達が知らないことを察したらしい、解説を始めてくれた。
「この島での契り交わし、比較的お手軽な縁の結び方だよ」
三つ目の椀に水が注がれていく。
「この水の入った椀に血を垂らす。一方的に与えるなら、奴隷、下僕となる。各々ならば、仲間となる」
レイは一度言葉を切って、僕達を真っ直ぐに見た。
「縁の力は強い縁程強い力を発揮する。まぁ縁は勝手に結ばれるものだけどな」
形式って大事だから、と、レイはそのままナイフで指先を少し刺し、椀へ血を垂らした。
縁というものを鎖のようなものだと、僕は感じた。
「覚悟が持てたら、血を垂らせ」
「これって破ると何かあったりする?」
紘が恐れつつ血を垂らす。若干震えているが、椀の水にしっかり垂らした。
「わからない。けど、とても強い縁は破れば死ぬこともあるといわれている」
昔話程度にすぎないが、とレイは補足を入れてくれたが、紘は「そっか。これは大丈夫な感じ?」というように存分に心配症を発揮した。
「仲間、だからな。怪我くらいはするんじゃないか?君らがここを出ると判断して出て行く分にはさほど問題ないが、僕を害そうと思えばおそらく効力が発揮される。逆も然り、だ」
淡々とレイは答え、僕に椀を差し出す。
「レイはそれほど本気なんだ」
「まぁね」
レイの瞳に初めて光を見た気がした。僕は頷き三つの椀に血を垂らす。
「「「……」」」
僕達は同時に椀を口にし、飲み干した。
血を垂らしたが、案外血の味はせず不思議と甘い風味がした。
「改めてよろしくな。クル、ヒロ」
無邪気に笑った顔が、疑いの念も何もかもを消してしまったのは僕にとっての敗北だった。だが、不思議とそれが心地よかった。
こうして、僕達の新たな生活が幕を開けたのだ。
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