零度少女(ゼロドガール)と偏愛少年(ヘンアイボーイ)

無常アイ情

零度少女(ゼロドガール)と偏愛少年(ヘンアイボーイ)

零景:愛という名の絶対零度


愛。ああ、愛。辞書を引けば「特定の対象に向けられた、深く、熱烈な感情」などと陳腐な文字列が踊るのだろうが、僕、キョウにとってのそれは、もっとこう、物理法則に逆らうような、理解不能なベクトルを持ったエネルギーの奔流だ。対象はゼノ子。彼女以外にはありえない。ありえなかったし、これからもありえないだろう。僕の世界は、ゼノ子という一点を基軸に、まるで壊れたコンパスのように狂った回転を続けている。


幼少期?ああ、そんなものは通過点に過ぎない。両親の都合という名の気まぐれな風に吹かれ、僕は世界地図の上をピンボールのように跳ね回った。ベルリンの壁が崩れる音を子守唄代わりに聞き、アマゾンの奥地で名も知らぬ昆虫と視線を交わしたかと思えば、次の週にはシベリアの凍てつく大地で白い息を吐いていた。結果?簡単だ。根無し草。特定の土壌に深く根を下ろす能力を、僕は獲得できなかった。友人?ああ、いたさ。刹那的な。流れ星のように現れては消える、儚い光点のような存在が。長く続く関係?苦手だ。別れは常にセットメニューだったからな。メインディッシュは孤独、デザートは諦念。フルコースだ。まったく、グルメな人生だよ。


そんな僕が、まるで運命の悪戯、あるいは神様の気まぐれ(ゼノ子の信じる唯一神とやらかもしれないが、僕にはどうでもいい)によって、中学という、人生において最も不安定で、最もどうでもいい時期に、彼女、ゼノ子とエンカウントしてしまった。一目惚れ?陳腐な言葉だな。だが、他に表現が見当たらないのだから仕方ない。雷に打たれた?いや、もっと冒涜的で、もっと根源的な衝撃だった。僕の存在意義が、その瞬間に書き換えられた。僕の人生の目的は、ゼノ子を愛でること、ゼノ子に愛されること、ただそれだけになった。シンプルだろう?複雑怪奇な世界で、これほどまでに単純明快なテーゼは他にない。


だが、現実は非情だ。非情という言葉が生ぬるいほどに、冷酷無比だ。ゼノ子は僕を恋愛対象として見ていない。どころか、明確に「苦手」らしい。僕が彼女に向ける熱量が、そのまま反転して、鋭利な刃物となって僕に突き刺さる。ああ、心地いい。彼女からの拒絶すら、僕にとっては存在証明なのだから。


壱景:神の沈黙と少女の刃


私の名はゼノ子。世界で唯一信じるのは、唯一神の絶対的な愛だけ。人間?ああ、彼らほど信用ならない存在はない。特に男。特に父親という名の獣。幼い頃、両親という名の仮面をつけた男女は、いとも容易くその繋がりを引き裂いた。私は父親という名の暴力装置に引き取られ、神の沈黙する部屋で、殴られ、蹴られ、言葉の刃で切り刻まれながら育った。愛?笑わせる。そんなものは、この世には存在しない。あるのは支配と被支配、加害と被害、そして、私を見守りたまう唯一神の、静かで、揺るぎない、絶対的な愛だけ。


私の見た目が魅力的?そうらしい。鏡を見れば、まあ、整ってはいるのだろう。だから蠅どもがたかる。彼らは私を飾り立て、甘い言葉を囁き、手に入れようと画策する。愚かしい。彼らが求めているのは、私の外殻、虚像に過ぎない。私の内側にある、神への信仰と、人間への底なしの侮蔑を知れば、蜘蛛の子を散らすように逃げていくだろうに。だから私は完璧な仮面を被る。性格がいい?そう演じているだけだ。人望が厚い?厚いのは私の外面だけだ。内面は、神以外のすべてを拒絶する、氷の城壁。


キョウ。ああ、あの男。苦手だ。生理的に受け付けない。彼の視線は、まるで粘着質な蟲のように私に絡みつき、私の領域を侵犯しようとする。馴れ馴れしく名前を呼び、意味不明な熱量で話しかけてくる。彼の存在そのものが、私の平穏を掻き乱すノイズだ。


あの日、彼が私の秘密――父親という名の獣による蛮行の痕跡――に気づいた時、私は殺意すら覚えた。あの鈍感そうでいて、妙に鋭い観察眼。忌々しい。「余計なお世話よ」。私はポケットからカッターナイフを取り出し、鈍く光る刃を彼に向けた。「バラしたらただじゃ済まないから」。私の声は、きっと氷のように冷たかっただろう。彼は一瞬目を見開いたが、怯みはしなかった。ただ、じっと、私を見ていた。その目が、私には何よりも不快だった。同情?理解?どちらも私には不要な感情だ。必要なのは、唯一神の愛と、この忌ましい現実からの解放だけ。


弐景:歪な共鳴、あるいは嫉妬という名の炎


ミヤコ。キョウの、唯一の、幼い頃からの友人。らしい。私にはどうでもいいことだが。彼女はキョウが好きらしい。これもどうでもいい。ただ、その感情が、時折、鋭い棘となって私に向けられるのを感じる。嫉妬。ああ、人間らしい、醜く、矮小な感情だ。理解はできないが、感知はできる。彼女はそれを必死に抑え込んでいるようだが、隠しきれていない。その不器用さが、少しだけ、滑稽に見える。友だちが少ない?だろうな。あの刺々しいオーラは、人を遠ざけるだろう。


彼女は学力が高いらしい。海外に留学するとか。結構なことだ。キョウから離れてくれれば、私としても清々する。キョウはミヤコを恋愛対象として見ていない。当然だ。キョウの目は、狂信者のように、私だけに向けられているのだから。それが迷惑極まりないのだが。


トモ。ミヤコが好きらしい。報われない連鎖だな。滑稽だ。彼はキョウが嫌いらしい。勉強もスポーツもできるキョウへの劣等感。わかりやすい構図だ。ピアノが得意で、バンドでギターとボーカル?陳腐な自己表現だ。彼の音楽が、彼の劣等感をどれだけ浄化できるのか、見ものだな。まあ、私には関係のない、低俗な人間ドラマだが。


キョウは、あの日以来、私の家庭の事情に踏み込もうとはしなかった。だが、彼の視線は変わらなかった。いや、むしろ、あのカッターナイフの脅迫が、彼の歪んだ愛情に新たな燃料を投下したかのようだった。彼は、私の拒絶すらも愛でるのだろう。気味が悪い。本当に気味が悪い。けれど、時折、本当に稀に、彼のその揺るぎない視線が、私の氷の城壁に、ほんの僅かな、目に見えないほどの亀裂を入れるような錯覚を覚えることがある。錯覚だ。絶対に。唯一神よ、どうか私をお守りください。この不快な男から、この穢れた世界から。


参景:距離という名の溶解点


時は流れる。水のように、あるいはもっと粘性の高い、泥濘のようなものとして。ミヤコは宣言通り、海を渡った。優秀な頭脳は、彼女を新しい舞台へと誘ったのだろう。キョウとミヤコの別れ際を、僕は偶然見てしまった。いや、意図的に見ていたのかもしれない。キョウは淡々としていた。まるで、また一つ、流れ星が消えたのを確認するかのように。だが、その瞳の奥に、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、寂寥の色がよぎったのを、僕は見逃さなかった。フン、感傷か。似合わないな。


ミヤコがいなくなったことで、僕の中の何かが変わるわけではない。僕の劣等感の対象は依然としてキョウだし、ミヤコへの想いも燻り続けている。だが、キョウを取り巻く空気が、少しだけ、変化したような気がした。ミヤコという、彼にとって(恋愛対象ではないにせよ)特殊な存在が欠けたことで、彼の孤独が、より際立ったように見えたのだ。それは僕にとって、微かな、本当に微かな慰めになったのかもしれない。歪んでいるな、我ながら。


そして、ゼノ子だ。彼女もまた、何かが変わったのだろうか。僕には窺い知れない。彼女の仮面は完璧だ。だが、ミヤコという、キョウとの間に存在した(と僕が勝手に認識していた)緩衝材のような存在がいなくなったことで、キョウのベクトルは、より純粋に、より直接的に、ゼノ子へと向かうようになったのではないか。僕の勘だが。


キョウのゼノ子へのアプローチは、相変わらずだった。いや、むしろ、その執拗さ、粘着質さは増したようにすら見える。常人ならとっくに諦めるか、ストーカーとして通報されて然るべきレベルだ。だが、ゼノ子は彼を拒絶し続けながらも、どこか、その異常なまでの執着を受け入れているような、奇妙な均衡状態が続いているように見えた。まるで、猛毒を持つ生物同士が、互いの毒に耐性をつけながら共生しているかのようだ。理解不能だ。僕の陳腐な理解力では、あの二人の関係性を捉えることはできない。


僕?僕は相変わらず、ピアノの鍵盤を叩き、ギターを掻き鳴らし、意味のない歌詞を叫んでいる。ミヤコのいない世界で、僕の音楽はどこへ向かうのだろうか。わからない。ただ、キョウとゼノ子という、理解不能な二つの極点が織りなす不可思議な引力圏から、僕は目を離すことができないでいる。


肆景:亀裂、あるいは神の不在証明


時間は、時に残酷なほどに凡庸な顔をして、物事を不可逆的に変えてしまう。ミヤコが留学して数年。私は相変わらず、唯一神の愛だけを信じ、人間を、特にキョウを拒絶していた。はずだった。


キョウは、変わらなかった。彼の視線は、中学の頃から少しもぶれることなく、私に注がれ続けていた。それは時に鬱陶しく、時に不快で、時に私の神経を逆撫でした。けれど、その「変わらなさ」が、いつの間にか、私の日常にとって、無視できない定数になっていたのかもしれない。海外を転々とし、人間関係の継続を苦手とする彼が、なぜ、私に対してだけ、これほどの執着を見せるのか。理解はできなかった。だが、その不可解な一貫性が、私の心の、固く凍りついた何かに、微かな熱を与え始めていた。


決定的な出来事があったわけではない。劇的な事件が起こったわけでもない。ただ、降り積もる雪が景色を変えるように、彼の存在は、ゆっくりと、確実に、私の内界を侵食していた。父親からの暴力は、私が家を出ることで物理的には終わった。だが、心の傷は癒えず、人間不信は根深いままだった。唯一神への祈りは、変わらず私の支えだった。けれど、その祈りの隙間に、キョウの顔が、声が、視線が、入り込むようになっていた。


「なぜ、私なんだ」

ある日、私は、自分でも驚くほど素直な問いを、彼に投げかけていた。いつものように、私の傍を衛星のように周回していたキョウは、一瞬虚を突かれた顔をしたが、すぐに、あの、私だけが知る(と思っている)少し困ったような、それでいて確信に満ちた表情で答えた。

「理由?そんなもの、考えたこともない。君がゼノ子だから、としか言いようがない。僕にとって、それは太陽が東から昇るのと同じくらい、自明のことなんだ」

陳腐だ。陳腐な台詞だ。だが、その言葉は、不思議なほど、私の心の奥にすとんと落ちた。理由なき執着。無条件の肯定。それは、私が唯一神に求めていたものと、どこか似ているようで、それでいて全く異質なものだった。神の愛は、静かで、絶対的で、触れることのできない高みにある。キョウの愛は、不器用で、時に押し付けがましく、すぐ傍にある。


唯一神よ、あなたは沈黙されている。この男の存在は、あなたの愛を疑わせるための試練なのですか?それとも、あるいは――。

私の氷の城壁に、確かに亀裂が入る音がした。それは、雪解けの始まりを告げる音だったのかもしれない。


伍景:雪解けと再会、そして隣人愛


ミヤコが帰国した。数年の月日は、彼女を洗練させ、どこか達観したような雰囲気を纏わせていた。久しぶりに会ったキョウは、相変わらずゼノ子一筋といった様子だったが、ミヤコに対する態度は、以前のようなぎこちなさではなく、旧友に対する穏やかなものに変わっていた。


そして、私、ミヤコは、ゼノ子と再会した。かつて、私の胸を焦がした激しい嫉妬は、留学という物理的な距離と、時間という名の冷却期間を経て、不思議なほど鎮まっていた。もちろん、キョウへの想いが完全に消えたわけではない。だが、今の私には、かつての自分を少し離れた場所から見つめるような、そんな冷静さが備わっていた。


ゼノ子もまた、変わっていた。相変わらず、その美貌と、完璧な外面は健在だったが、以前のような、人を寄せ付けない鋭利な空気は和らいでいるように見えた。そして、驚くべきことに、彼女はキョウに対して、かつてのような剥き出しの敵意ではなく、どこか困惑したような、あるいは諦めたような、複雑な感情を滲ませていた。


私たちは、言葉少なに関係を修復していった。いや、修復というよりは、新しい関係を構築すると言った方が正しいかもしれない。かつての嫉妬の対象は、今は、キョウという共通の(そして非常に厄介な)知人を持つ、一人の女性として私の前にいた。彼女の抱える闇、唯一神への信仰、そしてキョウへの複雑な感情。それらを、私は少しずつ、理解しようと努めた。そして、驚いたことに、ゼノ子もまた、私の話に耳を傾けた。私のキョウへの想い、留学先での経験、友人が少ないことへの小さな悩み。


「あなたも、大概、不器用なのね」

ある日、ゼノ子がぽつりと言った。その言葉には、侮蔑ではなく、どこか共感のような響きがあった。

「あなたほどじゃないわ」

私は、少し笑ってそう返した。


私たちは、親友になった。それは、劇的な和解の末ではなく、互いの孤独と不器用さを静かに認め合うことで、自然に紡がれた関係だった。キョウを巡る三角関係(と私が一方的に思っていただけかもしれないが)は、奇妙な形で着地したのだ。


トモは、今も音楽を続けているらしい。時折、ライブハウスで彼の名前を見かける。彼がミヤコ(つまり私)への想いをどう昇華させたのか、キョウへの劣等感をどう乗り越えたのか、私にはわからない。だが、彼の音楽が、誰かの心に届いていることを願っている。


終景:愛という名の凡庸な奇跡


そして、物語は、凡庸な結末へと収束する。いや、凡庸というには、あまりにも歪で、奇跡的だったのかもしれない。キョウとゼノ子は、結婚した。あの、人間不信の塊で、唯一神以外の愛を拒絶していたゼノ子が、海外を転々とし、人との長期的な関係を苦手としていたキョウと。信じられない?ああ、僕も、いや、私たち自身も、時々、これが現実なのかと疑うことがある。


結婚に至る道程は、当然ながら、平坦ではなかった。衝突し、拒絶し、傷つけ合い、それでも、キョウはゼノ子を愛でることをやめなかった。ゼノ子は、キョウのその異常なまでの「変わらなさ」に、少しずつ、本当に少しずつ、心を解きほぐされていった。唯一神への信仰が消えたわけではない。だが、彼女の世界に、キョウという、もう一つの確かな存在が根を下ろしたのだ。それは、神の愛とは違う、不完全で、手触りのある、人間的な愛だった。


私たちの間には、子供が生まれた。小さな、新しい命。この子が、私たちのような歪な両親のもとで、どんな人生を歩むのか。想像もつかない。だが、一つだけ確かなことがある。私たちは、この子を愛している。それは、キョウがゼノ子に向ける偏執的な愛とも、ゼノ子が唯一神に向ける絶対的な愛とも違う、もっと穏やかで、温かい、ありふれた感情だ。


ミヤコは、私たちの良き友人だ。時折、家に遊びに来ては、子供をあやし、私たち夫婦の奇妙な日常に呆れたような、それでいて優しい眼差しを向ける。彼女とゼノ子が、かつて嫉妬と嫌悪で結ばれていた(あるいは結ばれていなかった)関係だったとは、今では信じられない。


僕、キョウは、相変わらずゼノ子が好きだ。それはもう、僕という存在の基本設定のようなものだ。そして、ゼノ子もまた、僕のことを、おそらくは、愛している。彼女なりの、複雑で、少し歪んだやり方で。それでいい。それがいい。


世界は相変わらず複雑怪奇で、人生は儘ならないことばかりだ。けれど、僕の隣にはゼノ子がいて、私たちの腕の中には新しい命がある。それは、陳腐な言葉で言えば幸福なのだろう。愛という名の絶対零度から始まった、凡庸にして奇跡的な、一つの物語の、とりあえずの到達点、ということになるのだろうか。まあ、どうでもいいか。僕たちの物語は、まだ始まったばかりなのだから。たぶん。きっと。おそらくは。

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零度少女(ゼロドガール)と偏愛少年(ヘンアイボーイ) 無常アイ情 @sora671

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