夢の途中 旅の彼方
あけぼの こう
秘密の花園
秘密の花園
道を歩いていると、何処からかほのかに甘い香りがしてきた
暖かい日差しが覗く石畳の路地裏に、春風に乗って運ばれてきたその香りが気にな
窓辺に吊ってある植木鉢
向かい同士の建物に渡してある紐にかかっている洗濯物
道端に咲く花
男は足を止めて辺りを見回すが、それらしいものは見付からない
ブラウンの外出用の洒落たジャケットに帽子を被り、年齢はだいぶ重ねているものの、すらりとした長身で何処となく品の良い紳士を思わせる彼は再度周囲を確認する
香水とは違い花のような香りで、何処かで嗅いだ事があるような・・・懐かしい感じがする
香りの元が何なのか男は無性に気になったが、人と待ち合わせをしているため先を急ぐので断念しその場を後にした・・・
その日の夜更け
互いにウイスキーを片手に、久々に訪ねてきた学生時代の友人とチェスをする
駒を進めながら他愛もない話のついでに、男は昼間の香りの話をしてみた
この友人を迎えに行く途中での事だったのだ
クィーンの置き所を模索しながら、友人は首を傾げる
「甘い香り・・・?」
「あぁ、花の香りみたいなんだ。昔、何処かで嗅いだ覚えがあるような気がするんだけど」
「分からない、と?」
「あぁ、そうなんだよ。・・・ん?」
盤上での攻防を続けながら二人で考える
「花みたいな、ねぇ・・・」
友人は首を傾げる
ふと、友人は横にあるアンティーク調のマホガニーの棚を見る
飾り棚は綺麗にしてあり、亡くなっって久しい男の妻の写真が花のフレームに入れられていた
写真の中のまだ若い彼女の笑顔を見た瞬間、友人の表情が何かを思い出す
「花って言えばさぁ、アリシアがこの季節になると職場に良く花を持って来ていて、それが良い香りだった様な記憶があるけど?」
「アリシアが・・・?」
男も何かを思い出すように妻の写真を見つめる
確かに今頃の季節になると、彼女は何処からかとても綺麗な花を持って来て家の中に飾っていた
とても綺麗な蒼い花だったような気がする
妻が亡くなったのはもうだいぶ前であの頃は子供達もまだ幼く、自分も途方に暮れたものだが今では懐かしい思い出になっている
「あの花、買っていた訳ではなさそうだったな。・・・チェックメイト」
「えっ?!」
思い出に浸っているうちに負けてしまい、男の口元に苦笑が浮かんだ
その数日後
妻が言っていた言葉を思い出した男は、風に乗ってくる香りを頼りに路地裏を彷徨っていた
妻わこの時期にだけ、あの花を抱えて帰ってきては嬉しそうにしていたのだ
何処から手に入れてくるのかと何度か聞いた事があったが、その度に彼女は目を細めて
『風を頼りに辿って行くと、秘密の花園に行けるのよ』
と、笑顔で言っていた
あの満面の笑みが物凄く嬉しそうで、それ以上は聞き出せずに話が終わってしまうのだ
ー風を頼りにー
その単語だけがキーワードだったが、最初にあの香りを嗅いだ場所から辿って行くと意外にもさほど時間がかからずに香りが強くなっていった
そうして・・・
路地の階段を降りて角を曲がり、長年住んでいる街でも殆ど足を運ばない道を進んで行った先に・・・
一面真っ青な色が広がった風景を目にした途端、男は思わず感嘆の声をあげた
「・・・あぁ、君はこれを毎年楽しみにしていたんだね」
春の淡い空の青とは違った・・・まるでサファイアを水に溶いて白い花びらを浸したような、そんな蒼い花が野原一面に咲いている
嫌味のない、ほんのりとした甘い香りが風に乗って薫っていた
男は暫くの間その光景を眺め、妻が歩いたであろう野原を歩き、香りを堪能するとそっと辿って来た道へと戻りはじめた
本当なら一輪くらい花を積んで帰りたかったが、妻が秘密の花園と呼ぶからにはこのまま帰った方が良いような気がした
場所を完全に覚えておくには入り組んだ路地と階段の多いこの街は難しい
妻もきっと、多分それで説明がし難かったのだろう
花の事には詳しくはないが、また来年、ここを探して訪れる頃には花の名前くらいは調べておこうと思いながら、男は笑顔で花園を後にした・・・
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