『安藤与一──エメラルド王への道』

ひまえび

第一章……再生の幕開け

第1話(前編)……獄中の投稿作家、そして裏切りの影

「この物語を書いたのは、私じゃないんです」

と、高月一美かずみさんは語った。


かつてアイドルグループの一員として活動していた彼女は、引退後に作家を志し、現在はカクヨムで地道に作品を投稿している。

ある日、握手会に訪れた一人の青年から、彼女は奇妙な話を聞かされた――


「僕は未来から来たんです。兄と入れ替わった弟なんです」


彼の語る言葉は荒唐無稽で、まるでライトノベルの設定のようだった。だが一美には、不思議と嘘には思えなかった。

そして彼が語った、コロンビアの鉱山で出会った男――安藤与一の存在が、彼女の心を捉えて離さなかった。


「それなら、ぜひ書いてみてほしい」と彼に頼まれた一美は、与一の妻カロリーナに連絡を取り、彼の過去を丹念に聞き取った。

こうして生まれたのが、この物語――


前書き

大阪の刑務所に服役中のヤクザ、安藤与一。小説投稿という奇妙な挑戦を通じて、彼は獄中でも未来への希望を紡いでいた。だが外の世界では、かつての仲間たちによる裏切りの影が静かに忍び寄っていた。それでも与一は、地を這うようにして未来への道を探し続ける。安藤与一は黒天会崇誠会すうせいかい安藤組の若頭だ。今大阪の刑務所で服役中である。刑期は12年、9年服役したからあと3年残っているわけだ。対立組織の幹部をミナミの宗右衛門町のとあるクラブで殺した。


弁護士によると


「刑期は軽いほうだ」


と云う。


「そうかな?」


「親の命令で云われたとおりにやるだけだ。拒否権はない。先の保証もない」


一昔前なら刑期を勤め上げて出所すれば一端の顔だ。大きな顔をして肩で風を切ってミナミの街を歩けた。今はそうはいかない。出てきたときに組が存続しているかどうかも分からない。それは承知の上でこの仕事を引き受けた。


「安藤与一34歳、出所したときは37歳か?」


「まだ男盛りだ」


「そうだ。俺は黒天会の直若中になるのが夢だ。それは必ず適えてみせる」


刑務所の生活は単調だが居心地は良かった。俺は殺人犯で9年も服役中なので誰からも一目置かれていたからだ。しかも俺は退屈していなかった。


「何故か?って?」


「実はカクヨム

「小説投稿サイトの一つ」

に小説を掲載している。刑務所内ではスマホは使えない。女が週に一度面会に来る。そのときに原稿を渡してアップしてもらうのだ」


「モンゴルの末裔の話を書いている。先々月の6月21日に初めて掲載したものだ。刑務所内でも図書を注文して読むことが出来る。だから退屈しないのさ」


「ツイッターも最近始めた。女が来た時見せてもらい、どうするか分からないが印刷してもらう」


今日は気になるツイッターを見た。何故かわからないがこの女性は俺の女神様だと思ったんだ。


すぐにメッセージを送り、やり取りが始まった。もちろん服役中の殺人犯のばりばりのヤクザだなんて言えるわけがない。真面目なサラリーマンを装って、嶋森あまみさんの作品を読ませていただいた。


感心した。この人はどんぱちの話は描かないで王女様の話を描いている。俺には縁の無い話ではあるけど素晴らしい作品だった。


この人は素晴らしい芸術家なのに病弱でツイッターを辞めると云うのだ。素晴らしい芸術家でしかも病弱なんて格好良いと思わないか?


何度かやり取りをしているうちに、俺に固定ツイートのやり方を教えてくれた。作品の書き方まで教えてくれるようになったんだ。そうしたら皆聞いてくれ。俺の作品が歴史・時代分野の日間1位になったんだ。こんな事ってあるのかよ。俺は有頂天になった。


ある日、俺は頼んでおいた杉山正明先生の

「モンゴル帝国の興亡」

……上下各1巻が届くのを今か今かと待ちわびていた。カクヨムに掲載している小説の資料の一つである。


この先生の論説は歯切れがよくて気持ちが良い。梅原猛先生を彷彿させる論客だ。さすが京大の先生だ。俺のような3流私大を5年で出た男とはわけが違う。俺のときには違う大学の学生も泊める学寮があった。そこで芥川賞を取った先輩

「俺と同じ大学とは云っていない」

と知り合ったことは俺の唯一の自慢だ。


突然の電話で呼び出された。ばしたからの電話だ。ばしたと言っても女房じゃない。実の妹だ。


ばしたの洋子:あんた大変だよ。


与一:何が大変なんだ。落ち着いて分かるように話せ。


ばした:あんたの小説がエロ過ぎるといってるよ。1週間以内に改めないと発禁にするとメールで云われた。


与一:俺の小説からエロを抜いたら3分の2になってしまう。どこを直せば良いか。聞いてくれ。


ばした:聞いたんだけど云わないんだよ。


与一:分かった。こちらで考える。原稿を書き直すからまた明日来いよ。本も明日持って来い。今日は来なくて良い。


色々対策を考えているうちに休憩時間になった。みんなに意見を聞いてみよう。俺は刑務所仲間にエロシーンを朗読してやった。まず発禁を食らった部分を修正なしに朗読した。楽しみの少ないバカどもには大受けした。しかし青少年が読むことを考えてエロは止めることにした。


8月12日木曜日……西成にある光の塔教会


今日の刑務作業は外部のある施設の清掃作業だ。西成にある光の塔教会の西島牧師の指導のもとに作業を開始した。薄曇りの空で湿度が高く蒸し暑い。ムショの刑務作業は木工細工が多い。たまに旋盤加工などもさせてくれる。与一は刑期もあと3年だし、模範囚なので今日のような外部仕事も回ってくる。


この西島牧師は凄い人でマザーテレサのような人だ。もっと評価されても良い人だが、助けている相手がとにかく箸にも棒にもかからないひどい連中だ。ヤクザも逃げ出すようなバカ者たちだ。わらわらと集まってくる連中は中には元ヤクザをしていた者も居る。もちろん俺が誰かも知っていて挨拶にやってきた。


淳二:かしら、お久しぶりです。あの時はお世話になりました。かしらもそろそろ出所されると風のうわさで聞きました。お元気そうでなによりです。


与一:淳二か。お前またシャブに手を出したそうだな。中々止められねえんだな。俺にはシャブとかシンナーに手を出すやつの気が知れねえよ。俺の組じゃ絶対にシャブはさせねえ。薬物はご法度だ。おめえも知っているだろう。


淳二:へえ、かしらの考えは知っております。ですが。


与一:ですが。何だ。歯切れの悪い言い方をするなよ。言いたいことが有ればズバッと云え。


淳二:へえ、安藤組さんは今ではシャブの仲介をして稼いでいます。ご存じなかったんで。


与一:何だと。誰が手を出したんだ。まさか兄貴の命令じゃねえだろうな?


淳二:へえ。潤若頭補佐の発案で安藤武

「与一の8歳上の長兄、安藤組の組長。潤は武の息子」

組長も賛同しております。


与一:そうか。分かった。貴重な情報有難うな。


ちょうどその時、与一のところに60絡みのガタイの良い男が走り寄ってきた。


男:おい、与一。久しぶりだな。そろそろ出所するそうじゃないか?


与一:誰だか知らねえが気安く声を掛けるな。今作業中なんだ。見て分からんのか。


男:まあ、そう尖るな。与一、俺だ。大林春夫だ。


与一は思い出した。こいつは昔バカ大を卒業したばかりの時すぐに就職した金融会社

「外国為替証拠金取引」

の社長だ。法律違反すれすれのところを歩く男で極めつけのわるだ。


与一:やっと思い出したよ。社長さん。此処に居るということは捕まったんだな。初めてじゃないか?ムショ入りは。


大林:そうだ。懲役1年半食らったよ。金融取引法違反だ。何回も違反を繰り返したからな。


大林:与一。お前に話があるんだ。聞いてくれ。


与一:まあ聞くだけ聞いてやろう。


大林:1つ目は、お前の代わりに潤が若頭になり、お前は組長代理になるそうだ。もう一つは俺に出資して金融会社をやらないか。3億出せば社長に据えてやる。俺が資格を持っているから俺が会長になる。


与一:話は聞いたが、2番目の話は断るぜ。俺が会長兼社長になるなら引き受ける。お前は副会長だ。どうせ金が無いんだろ。俺を見くびるなよ。


大林:分かった。お前が会長兼社長で良い。金だけは何とかしてくれ。


後書き

小さな希望、そして小さな裏切りの影。光を見上げながらも、与一を取り巻く世界はまだ重く、濁っていた。だが、たとえ地を這ってでも、彼は再び這い上がろうとしている。

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