生活

Unknown

【本編】

 在宅ライターとしてのB型作業所で働くことが正式に決まった。受給者証というものが必要で、これから市役所に行って色んなやり取りをする必要がある。それが4月4日。明後日だな。1人で役所に向かいます。


 何度も書いているように俺は障害年金を受給している。2か月に14万円近く。そして、その作業所の時給(工賃)は300円。作業時間は基本10時半~3時半なのだが、仮にフルで働いてもギリギリ生活できなさそう。現在1人暮らしはしているが、どうしても今は金銭的に親の援助を受けないとギリギリ生活できない。


 syrup16gの「生活」という名曲をなんとなく思い出す。


 俺、ギリギリ生活できない~♬


 あと俺は最近、生まれて初めて過眠傾向がある。ベンザリンという睡眠薬とロドピンという薬を寝る前に飲んでいるのだが、どうしても寝すぎてしまう。10時半から仕事を始められる気がしない。この作業所は働く時間や日数を自分で選ぶことが出来る。俺は午後1時からの2時間半の仕事を週2日か3日が、現状では頑張れるマックスかもしれない。


 でも今まではB型作業所でも働けないくらいの酷い精神状態だった。


 だけど俺は少しずつ、本当に少しずつ前に進みつつある。


 勿論ここがゴールだと思っていない。


 むしろこの28という年齢でようやくスタート出来た感覚。


 最終的な俺の生活のゴールは、障害年金を貰いつつのフリーターとしてのアルバイトや障害者雇用での正社員としての労働になるのかなと思っている。


 あと、親はいつか死ぬので、いつか俺は福祉や行政との繋がりをずっと持っておけるグループホームに入居することになると思う。ワンルームやサテライト型のグループホームは調べれば沢山ある。勿論シェアハウス型のグループホームもあるけど、俺はワンルームに住みたい。


 障害者としての自分を受け入れて、その上で俺なりに前に進んでいくと決めた。


 もちろん健常者としての人生に憧れを強く持っていた時期もある。だが、事実として俺は年金を貰うレベルの精神障害者だ。今ではすべて受け入れている。


 精神障害は目には見えない障害だ。だから俺も街に出れば普通の健常者と同じように見られる。


 どこかで見た言葉だが、「精神障害を持っている人に健常者と同じように生きろと言うのは、両脚を骨折している人に頑張って歩けと言っているようなもん」みたいな言葉を見た。


 俺の場合、松葉杖や車いすを使いながら、俺なりの速度で回り(世間)よりもゆっくり進んでいく事になる。


 それが俺の運命だ。


 しかも今年になって「躁病」とも診断された。今は躁は落ち着いていると思うが、自らの意志で断薬するのは良くないので、薬は飲んでいる。


 あと、断酒に関しては、本当に辛すぎて、辞めた。断酒をしているとどうしても希死念慮や空虚感に支配されてしまい、「あ、このままだとマジで死んじゃうかもしれない」と思ったので、埼玉県の友達に会いに行った日に、断酒は辞めた。60日くらいで断酒に大失敗した。


 どうせなら1人より2人で飲みたかったから、2人で「うぇーい」って感じで飲んだ。


 俺は自分の人生がどうでもいいっていうか、自分を常に他人として俯瞰で認識しているような面がある。俺は他人なのだから、まぁ別に早くに死んでも構わない、みたいな感覚がある。


「俺」を「自分」だと認識していると、辛いことしか見えなくなってくる。


「俺」という人間は、あくまで「俺」という器の中に居る他人なのだと考えるようになったら少し生きるのが楽になった。


 解離とまでは行かないんだけど、街行く人を見ても特に何も思わないのと一緒で、どんな俺を見ても特に何とも思わなくなった。


 鏡に映る俺らしき人物は、俺に一番近しい他人。あくまで他人。多少の粗相は許しつつ、「鏡に映るこいつ」が「生まれてきてよかったな」と少しでも多く思えるようにサポートは惜しまない。


 俺の味方は俺でなければいけない。俺の最大の敵が俺になってしまうと、俺はコイツを殺害する方向へと進んでしまうのだろう。


 首つりのためのロープは燃えるゴミの日に処分した。俺は最終的に火葬場の焼却炉で焼かれて骨オンリーになるが、決して俺は燃えるゴミなんかではない。燃えるゴミはむしろロープだ。


 俺も28歳になって、やっと色々な悟りを開いた。俺は俺にしかなれない。良い意味で俺は諦めた。それと日本は福祉や医療制度が充実している。俺のような精神障碍者は、とりあえず福祉や医療や行政との繋がりを絶ってはいけない。自立支援を個人でやっているおっさんとの繋がりも数年間ずっとある。孤独になったら俺みたいな人間はすぐに野垂れ死ぬ。


 ていうか、28歳にして本格的に生きる楽しさを知った。他人と出逢ったり話したりやり取りしたり、それがあまりに楽しくて、死んでる場合じゃねえやと思えた。それが一番大きいかな。


 俺は実は去年の末から性格が明るくなった。


 躁状態が解かれて退院して1か月が経過した今でも、俺は性格が明るい。


 どんな人とも臆さず話すことが出来る。


 そして最近も、何年もUnknownファンでいてくれた女性と2人で会って、とりあえず酒を飲みまくったりカラオケ行ったりした。高崎駅に帰るつもりが何故か宇都宮駅に来ていた。ちなみにその人とは性的なことはしてない。俺の中で、それは全く重要な事じゃなかったからだ。【ただ誰かと楽しく笑ってみたかった。】その為だけに群馬から埼玉に会いに行った。あの日は何度もお互いに笑った。


 俺は性格が明るくなれた。


 世の中、かけがえのある存在ばかりだ。例えば隣の町で誰かが死にたくて泣いていても俺はそれを知らない。その人が仮に死んでしまっても俺は気付けない。


 だけど、偶然にも俺とネットの世界で出逢ってくれたり、リアルの世界で出逢ってくれたりする人は、かけがえがない存在だ。この世の全ての痛みを観測することが俺は出来ない。だけどせめて俺のそばに居てくれた人が少しでも笑えるように俺は祈る。


 俺は28歳になり(仮に名前をHさんとするが)Hさんと出逢えてからの俺は良くも悪くも明るくなった。生まれて初めて躁状態で精神科に入院した。でも、退院してからも、俺は正常の範囲内で明るい。その辺のコンビニ店員にも笑顔で接する。


 でも、人間関係には本当に気を付けないと。


 プレパラートって覚えてる? 理科の実験で使う超薄い長方形のガラス。あれは本当にすぐ割れる。人間関係はプレパラートのように繊細なものだ。特に俺のような馬鹿は加減が分からなくて、すぐにプレパラート(人間関係)を割ってしまう。


 精神疾患や発達障害は30歳や40歳になると良い方向に変わっていく人が多いらしい。


「落ち着いてくる」という言葉が一番適切なのかなぁ。


 俺も経験者だから分かるけど、10代や20代の時はめっちゃ過激だよな。良くも悪くも。


 それが30代、40代になっていくにつれて、落ち着いていったり、病気や障害とうまく付き合えるようになる人が多いらしい。精神科ユーチューバーの益田先生という人が言っていた。


 俺も今年で29歳になる。


 俺も色んな人との出会いや別れや色んな体験の中で、やっと良い方向に変われてきたんじゃないかと思っている。


 特にHさんとの出会いはとても大きかった。ユーザーネームは出さない。イニシャルだけ出す。その人と深く関われたのは、俺の人格形成にとって、良い意味で革命をもたらした。


 Hさんとの出会いは、良い意味で俺の人生観を揺るがす出会いというか、とにかく生きててよかったと思えた。


 Hさんのお陰で俺は間違いなく明るくなった。


 人生、何があるか分からないから楽しいと俺は思う。


 おはよう。こんにちは。こんばんは。


 今日はあんまり天気が良くないけど、何故か俺は「良くも悪くもない」「可も無く不可も無い」今日の天気のような平和な未来しか見えないのだ。


 心もずっと晴れだと疲れる。

 心もずっと雨だと疲れる。


 今日くらいの曇りの日が俺は1番好きかな。


 じゃあまたここで会おうね。






 終わり


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