「終戦の記憶」ある歩兵の日記
明明
第1話 徴兵
昭和16年12月8日
此の頃、戦火は太平洋戦争へと拡大していった。当初はハワイ、マレーシア、太平洋の諸島と戦線を拡げ、難攻不落とされたシンガポールも山下軍司令官の手によって落城した。イギリスのチャーチル首相は国会で、日本軍は飛行機もろともぶつかって来るから防ぎようが無い、と頭を悩ませたと云う。イギリス戦艦2隻が一度に撃沈された事がシンガポール陥落の前提となった事は事実だ。
戦線の拡がるにつれ戦死者の数も多く、また予備役は勿論、後備役、再度の召集を受ける人も出る様になった。若者(少年)は軍需工場に、成人は軍隊に、老人婦女子は銃後の守り、また学生は学徒動員で戦線へと、全国民が戦の為に働いた。
駅名の横文字は姿を消し女性の袴の丈は短くモンペ姿に、男は国民服。
贅沢は敵だ、と。
こうして
昭和17年7月6日。
とうとう私の徴兵検査の日がやって来た。二十歳の時である。
役場から新沢村長、兵事係であった須田という男、そして在郷軍人会長に伴われ、検査場となっていた本籍地にある柏崎小学校へ向かう。
私が本籍地へ行ったのは此の時が初めてであった。
6日は学課、7日が身体検査で有る。
夏の日差しが照りつける第一日目が終わり、浜の天屋旅館で1泊した。夕日の浜で海水浴をする者、砂浜を走り回る者など皆元気であったが私は他人に比べて貧弱で、それだけに騒ぐ元気も無い。
翌7日。身体検査は執行官の花房中佐のもと行われた。
身長、体重、目、耳、各部の検査が終わると最後に執行官の前に1人で呼び出され結果を申し渡される。
「第一乙種合格」
是が私の結果だ。予想した通りであった。
評価は上から甲種、第一乙、第二乙、丙種。
皆それぞれの結果を受け晴々とした顔の者、しょんぼりとうつむく者など様々だ。
私は時が時だけに本当なら甲種に成りたかった。
9月、兵種の通知が来た。
「歩兵」現役編入。
「十八年三月二十日、高田三十連隊へ入隊の事」
平時であれば第一乙種の者は補充兵である。それが現役と成ると元気もでた。歩兵操典など軍書にも目を通すようになった。
父は口癖のように身体に気をつけろ、入隊までは怪我をしない様にとやかましい程言った。この頃、戦線は太平洋全域に拡がっていた。物資は全て配給、食物は日に日に少なくなっていった。
そんな状況の中で17年は暮れ、昭和18年の春が来た。3月と言っても信州は寒い。「九」は縁起が悪いからと十八日に家を出た。
朝早く近所の家はまだどこも静かだ。其の頃は華やかな送りはしてはならない事になっていた。それに私はいわば他県での出征である。
二度と還らぬ、いや還れないだろう此の地だ。
明け方だけにより寒い。道に行き合う人も無く静かに村を離れた。
塩尻駅迄3里(約12キロ)父と2人歩く事はさほど苦にもならない。
午前七時三十分の列車で高田を目指して北進。左手に見える北アルプス連山は何れも真っ白である。長野を過ぎ牟礼、古間と信越国境近くに成るにつれ雪もかなり多く残っている。越後路へ入ると一面の銀世界である。雪を踏みしめた通路だけが薄黒く集落から集落へと続いているだけの此の細い1本の道を2、3の人が連れ立って行くのが見える。
各駅停車だけに時刻も午後である。高田に着いたのは夕方近く、日も西の山際に落ちている。
市内の枡屋で1泊、翌日宿の人から「入営の指定宿が有るからお客様も指定の宿の方へ」と言われた。私は役場から宿の事に付いては何も通知を受けていなかった。早速電話で連絡をすると三田村屋旅館との事。魚屋を営む旅館である。市内の道は両方の屋根から落ちた雪で3m以上も積もっている。
午後になると青訓(青年学校)の服、又は国民服に身をかためた。若者に親族が付き添い宿は人でいっぱいになり、みな様々に話をしている。夕食が終わった頃、連隊より士官を長とする数人の下士官が点呼を取りに来た。外出は禁止された。
翌朝7時、朝食が終わると旅館の前の通りに集合させられ軍曹が引率して連隊の門へ一歩を踏み入れた。点呼があり一通りの身体検査が終わると被服が与えられた。
全部新品である。
此の時、ちかく戦地へ出発するなと直感した。
中食は祝いの赤飯である。
親族に会う時間が許された。何れの親も此の時に我が子の戦地行きが間近い事を知ったであろう。家からの私服は此の時に親に託し、是が最後だと目で別れを告げた。
古兵が一つ一つ親切に建物など案内して第一日目が終わった。9時消燈、ラッパと共に軍隊での初めての床についた。
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