潮風にのって

OzZ

1話:田舎と幼馴染

 今年はすごく暑い夏だった。


 ぬくい潮風に包まれた海道が、じりじりと音を立てて、ウミネコの鳴き声がうるさいほどに響き渡る。

 自転車のサドルから、伝染した熱がじわじわと少年の身体をむしばんだ。


 大粒の汗が額から頬へと流れ、風を切るように少年はペダルを回す。

 その荷台うしろから、少女は綺麗な黒髪をなびかせて楽しげに笑った。


「急いで、しゅう! はよ行くで!」

椿つばきが乗ってるから重いんやって!」


 椿の緩い態度に、このまま急ブレーキをかけて止まってやろうかと思った柊だったが、生憎とそんな時間はない。学校の始業時間が迫っているのだ。


 現在の時刻は朝六時。

 普通の高校に通っていればむしろ早すぎる登校時間だが、近くに学校がなく、船で登校している柊たちにとっては遅すぎる時間だった。


 出港まであと十分。

 柊はそのまま海道に沿って緩いカーブを曲がりきると、視線の先には密漁禁止の看板が見えた。


 左手には海と塗装のげた看板。

 右手には、ぼろっちい駄菓子屋とよぼよぼのおばあちゃんが経営している商店が見えるだけで、その奥にある山々まで含めてみれば田舎過ぎるほど田舎な風景が広がっていた。


「相変わらず、何もないな.....ここは」

「そりゃそうやろ......ここ離島やもん」


 和歌山県和歌山市八咫乃やたの島。

 通称、『昭和島』と呼ばれるこの島は、まさに昭和時代に取り残されたかのような街並みで、特にこれといった観光名所もなく、建物といえば島一番の大きな神社と誰にも使われていない灯台に、廃墟のような小学校くらいだった。


 そんな柊とのやり取りで、椿は何かを思い出したかのように「......あ」と声をあげた。


「ねぇ柊、私ん家の三軒となりに住んでるみっちゃん。覚えてる?」

「ああ、みっちゃんな。覚えてるよ、今度小学校に上がるんやっけ?」

「うん......そうなんやけど、島の小学校が取り壊しになったから、それを機に引っ越すらしいわ。家族全員で街の方に住むんやって」


 何もない島が、さらに何もなくなるらしい。

 遠くを見つめながら、どこか他人ごとのように呟く椿の言葉に、柊は呆れたように吐き捨てた。


「次はみっちゃん家か」

「今日の夜、お別れ会するからあんたも来るんやで」

「お別れ会ねぇ」


 「またか」という言葉を飲み込んで、柊は独り言のように呟いた。


「......この島は、何も変わらん。新しいものを嫌って、取り入れようとせんから、人もどんどん居なくなっていくんや」


 柊は、この島が嫌いなわけではない。ただ、次々と島を離れる人々とそれでも変わらない島の様子に少しだけ嫌気が差していた。


「なぁ、椿。俺さ、高校卒業したらこの島出ようと思うねん」

「......そっか」


 椿の素っ気ない返事に、柊は少し不貞腐れながら答えた。


「椿は、どうすんの?」

「......出られんよ、私はここを出られん」


 椿は摘んでいた柊の制服を無意識のうちに、少しだけ引っ張った。


「まあ、私は島に残るよ! せやないと島のばあちゃんたちも寂しくて泣いてまうかもしれんしなぁ」


 わざとらしく、身体をくねらせながら笑う椿。


 そんな椿の様子を後ろに感じながら、柊は気づいていないフリをして、自転車のスピードを上げた。


「全部、関係ないわ。もし出たくないんやなくて、出られないんやったら、俺が引っ張ってでも連れ出したる」

「......あほ柊」


 椿の落ち着いた声音と、制服を摘まむ力が弱まったのを感じて柊は安堵した。



「おーい! 柊、椿! もう船出てまうぞぉ!」

「二人とも早くしなさい!」

「急げぇ~!」


 船着き場に着くと、船の中から二人を呼ぶ声が聞こえてきた。


 そこには柊たちと同じ制服を着た人影が三つ。

 柊が声の先に視線を向ける先には、爽やかな少年と、短くまとまった銀髪が印象的な少女、口元のほくろを歪ませてのほほんと笑う少女が立っていた。


 柊たちが船に乗り込むと、少年が何やら嬉しそうに駆け寄ってきて、柊の肩に手を回した。


「おせーぞ、柊!」

「暑いから離れぇや夏凪なつき。それに遅れたのは、俺のせいやない」


 夏凪とそれを引き剝がす柊のやり取りを見て、今度は銀髪の少女が呆れたようにカチューシャに手を当てた。


「どうせ、椿が自転車壊したとかやろ」

秋葉あきは正解!」

「......まったく」


 謎のどや顔を浮かべる椿。

 そんな椿に、もう一人の少女は座ったまま、頬杖をついて微笑ましそうに笑った。


「まぁ、椿ちゃんに柊が振り回されるのはいつものことよなぁ」

「そうそう! 梅香うめかちゃん分かってる!」

「お前が言うな!」

「イタッ!」


 どや顔のまま、偉そうにする椿に柊はツッコミと同時にチョップをお見舞いすると、椿は頭を抑えながら転げ回った。


 そんな二人の様子に梅香は、楽しそうに笑った。


「これを見なきゃ、一日が始まらないよねぇ」

「毎朝、漫才見させられてるみたいやわ」


 和む梅香と呆れる秋葉を他所よそに、夏凪はゴソゴソと音を立ててリュックから何かを取り出した。


「それよりさ、これ見てくれや」


 夏凪が持ってきた物は、大きめの貯金箱くらいのサイズをした招き猫のような入れ物だった。


 ガラスの素材でできていて、二頭身くらいの白い猫。

 大きな赤い耳に、少し垂れた目。左手に一攫千金と書いた小判を持って、口にはハガキサイズの紙が入る空洞ができている。


 柊はその招き猫を不思議そうに覗き込んだ。


「なんやそれ?」

「これはなぁ、何でも願いが叶う摩訶不思議まかふしぎなポストや」

「摩訶不思議な......ポスト?」


 口部分に隙間があるのはそのためかと、一瞬納得しかけたが、ポストとは思えない形と何故手のひらサイズのポストを持っているのかという謎、そして何より『何でも願いが叶う』という言葉に、柊は一層疑問を深めた。

 そして、夏凪以外は柊と同じような顔をしていた。


 そんな柊たちに夏凪は、にやりと笑ってワクワクした表情を浮かべた。


「今日、朝来る前におばばン家の蔵から持ってきたんや。このポストに願いごとを書いた手紙を入れると願いを叶えられる力をくれるらしい」


 夏凪のおばあちゃんの家は神社だった。

 島中央の山を登った先で100段ほどの長い階段を抜けて、小さな鳥居をくぐった所にある大きな神社は、何でも島に人が住み着く前からあったという噂が立つほど、歴史の長い神社らしい。

 そこの傍にある蔵屋敷から、夏凪は招き猫を持ち出していた。


 そんな夏凪を秋葉は、疑いの籠った目でジッと見つめた。


「持ってきたって、あのおばばが蔵に入らせてくれたん?」

「......まあな」

「嘘つけ!」


 分かりやすく目を逸らす夏凪に、柊が思わずツッコミを入れると、夏凪は誤魔化すように話し始めた。


「今日、みっちゃんのお別れ会やろ? 何か渡したかってん!」

「それで、その招き猫ポスト持ってきたんか」

「せや、本土に行って大変なことがあってもこれ見て頑張ってほしい的な。まぁ、お守りみたいなもんやな!」


 矢継ぎ早に言い訳を始めた夏凪だったが、秋葉を中心に柊たちは疑いの目を向けたままだった。

 そんな目線に居心地が悪くなったのか、夏凪は柊に招き猫を押し付けるように渡した。


「それでな、今日ちとやることがあっていけんから、柊から渡しといてくれん?」

「それはええけど、何か用事あるんか?」

「......ちょっとな、大した用事ちゃうねんけど」

「どうせ、おばばに持ってきたことバレて怒られるんやろ」

「そ、そんなんちゃうわ!」


 秋葉の夏凪への視線がさらに訝しげなものになっていく。

 その視線を避けるように、夏凪は柊たちをジロリと見渡した。


「でもな、気いつけなあかんで。このポストに何かを願ったら......代わりに何かを失うんや」


 ニヤリと笑う夏凪。

 柊たちがそんな夏凪の言葉に、疑いの目を向ける中、椿だけは別の視線を向けていた。


「願いが叶う......招き猫」


 椿は誰にも聞こえないくらいの声量でそう呟いた。


❖放課後。


 行き道で見た朝日は既に沈みきって、帰り道には夕日が水面に浮かんでいた。

 島には朝と変わらない静けさと夏の暑さだけが居残って、柊たちを包んだ。


 そんな暑さに、汗をかきながら必死に自転車をぐ柊とは裏腹に、椿は涼しげな顔のまま海に目を向けた。


「ねぇ、柊。今日、夏凪から貰ったやつあるやろ?」

「ああ、あの願い事が叶うやつか」

「うん、それなちょっとだけ貸してほしいねん」


 椿が何故そんなことを言い出したのか、柊は少し考えてから、考えるのをやめた。

 考えた所で、どうせ貸してもらうまで椿は子供のように駄々をこねるだろう。

 そう考えて、柊は答えた。


「それはええけど、無くすなよ。俺もこっそり使いたいねんから」

「柊はどんなお願いするん?」

「う~ん......億万長者になりたい。いや、不老不死も案外ええかもな」

「......なんやねんそれ、しょーもな!」

「うっさいわ」


 柊の願いごとに、椿は心底楽しそうにケタケタと笑った。



 住宅街に入って、真っ直ぐに続く軽い坂道を登り切ると、椿が自転車から飛び降りた。


「家の近くまで送ってこか?」

「ううん、ほなまた後でな!......遅刻すなよ!」

「お前が言うな!」


 イタズラぽく笑う椿に呆れながら、反対方向に自転車を走らせる柊。

 そんな柊に、椿は右手を口に添えて、左手で招き猫を突き上げながら、大きな声で何かを叫んでいた。


「ねぇ、柊......! 私の願い事なにか知りたい?」

「......別に、興味ないわ。お別れ会遅れんなよ!」


 知りたい。

 口をついて出そうになった言葉を柊は、咄嗟に飲み込んだ。


 どう答えるべきだろうか。

 柊は一瞬だけ迷って、嘘を付いた。


 きっと、今それを聞かなければ後悔する。そんな予感があった。

 それでも、聞くのが怖かった。

 それを聞けばきっと、今まで見えないように蓋をしていた何かがぶわぁっと溢れ出て、何もできない罪悪感に飲み込まれてしまいそうな気がしたから。


 椿の質問から逃げた言い訳をするとすれば、そんな抽象的な恐怖に足がすくんだのだ。



 家に帰ってから少しだけ、夢を見た。

 大事なものがぐちゃぐちゃに溶けて、指の隙間から零れ落ちる悪夢。


 何度も何度も掴もうとして、その度にドロドロに溶けていくそれが、やがて地面に落ちて消えていく。そんな悪夢。


「......きて......ぉきて」

「......起きなさい! 柊!」


 時刻は八時を回っていた。

 気付かないうちに眠っていたらしい。


 目が覚めると、母ちゃんが俺の身体を揺さぶっていた。


「母ちゃん......あ、やべぇ、みっちゃんのお別れ会遅れ―――」

「それはいいから! 行くよ!!」


 俺が起きたのを確認すると、母ちゃんは俺の腕を強引に掴んで、ベッドから無理やりに体勢を起こさせた。


「それはいいって......じゃあ、どこに行くんだよ」


 俺が聞くと、母ちゃんは何か言いづらそうに目を背けた。


 そうして、母ちゃんは意を決してから俺を見る。そんな行動を数回繰り返してから、しばらくしてジッと俺を見つめた。


「あのね、柊。落ち着いて聞きや」

「......なんやねん」


 何か、嫌な予感がする。

 母ちゃんの様子に、さっき見た悪夢が頭の中をグルグルと駆け回った。


 鳥肌が背中から立ち昇っていく気持ちの悪い感覚が、寝起きの状態と相まって軽い眩暈めまいを引き起こして、母ちゃんの顔がどんどん歪んでいく。


 歪んだままの母ちゃんが、言葉を選びながらゆっくりと話し始めた。


「椿ちゃんが......死んだって」

「...................................は?」

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