第十八話∶迫りくる脅威と、希望の光
ルナリアに導かれるまま、健太はあかりの手をしっかりと握り、重厚な執務室を後にした。廊下には、先ほどの兵士の報告を受け、慌ただしく行き交う魔族たちの姿があった。彼らの表情は皆、一様に険しく、ただならぬ事態であることを物語っていた。
「健太くん、少し急ぐぞ」
前を歩くルナリアの声は、先ほどの優しい響きとは打って変わり、王としての威厳に満ちていた。その背中からは、押し寄せる脅威に対する、断固たる決意が感じられた。健太は、その凛とした姿を、どこか遠い存在のように見つめていた。昨夜出会ったばかりの、美しくも冷徹な魔界の王。彼女と共に、魔界の命運をかけた戦いに身を投じることになるなど、数時間前の自分には想像もできなかった。
廊下の突き当たりにある、巨大な扉が開かれる。その向こうには、夜の帳が降りた王都の景色が広がっていた。空には、満月が煌々と輝き、城下町を銀色の光で包み込んでいる。しかし、その美しい光景とは裏腹に、遠くの空には、不気味な、黒い影のようなものが蠢いているのが見えた。
「あれが……」
健太は、息を呑んで呟いた。それは、まるで巨大な蟲の群れのように、無数に蠢き、こちらに向かって迫ってきている。その異様な光景に、あかりは不安げに健太の服の裾を、さらに強く握りしめた。
「ああ。あれが、この魔界を脅かす新たな敵だ」
ルナリアは、静かに、しかしその瞳には、強い警戒の色を宿して答えた。彼女の指先が、微かに震えているのを、健太は見逃さなかった。絶対的な力を持つ魔王でさえも、これほどの脅威を感じているのか。改めて、敵の強大さを思い知らされた。
その時、ルナリアの背後から、重々しい足音が近づいてきた。振り返ると、漆黒の甲冑に身を包んだガルムが、巨大な戦斧を肩に担ぎ、仁王立ちしていた。その顔は、いつも以上に険しく、口元は固く引き結ばれている。
「陛下、迎撃の準備は完了しました。いつでも出撃できます」
ガルムの低い声には、揺るぎない忠誠と、敵を迎え撃つ覚悟が滲み出ていた。ルナリアは、静かに頷き、再び、眼前の敵へと視線を戻した。
「感謝する、ガルム。健太くん、あかり。私と共に来るがいい」
ルナリアはそう言うと、躊躇うことなく、夜空へと足を踏み出した。その瞬間、彼女の全身から、眩いばかりの魔力が溢れ出し、漆黒のローブが、夜風に翻った。まるで、夜空に咲き誇る、一輪の黒い薔薇のようだった。
健太は、その圧倒的な光景に、一瞬、息を呑んだ。しかし、隣で不安そうに震えるあかりの存在が、彼を現実に引き戻した。彼は、小さく頷き、あかりの手を引いて、ルナリアの後を追った。ガルムもまた、重々しい足音を響かせながら、二人の後に続いた。
夜空を舞いながら、健太は、眼下に広がる王都の景色を見下ろした。煌びやかな光を放つ建物、忙しなく動き回る魔族たち。この平和な日常を、あの黒い影たちが、今まさに脅かそうとしているのだ。
(俺に、一体何ができるんだろうか……)
昨夜、偶然発現した、不思議な力。ルナリアはそれを「希望の光」と呼んだ。しかし、未だに、その力をどうやって使えばいいのか、健太には皆目見当もつかない。ただ、あかりを守りたいという、強い願いだけが、彼の胸の中で、熱く燃え上がっていた。
敵の群れが、急速に近づいてくる。その異様な姿が、次第に、はっきりと視認できるようになってきた。それは、巨大な昆虫のような姿をした魔物で、鋭い鎌のような腕と、無数の、赤く光る目が、見る者を恐怖に陥れる。その一体一体が、昨夜の魔獣よりも、明らかに強い魔力を帯びているのが感じられた。
「来るぞ!」
ルナリアの鋭い声が、夜空に響いた。彼女は、両手を前に突き出し、その掌から、漆黒の、しかしどこか神聖な輝きを帯びた魔力を放出した。それは、まるで夜空に咲く、巨大な黒い蓮の花のように広がり、迫り来る魔物の群れを、飲み込もうとしていた。
しかし、その魔力は、魔物の群れに触れる直前、まるで何かに阻まれたかのように、弾かれてしまった。ルナリアの表情に、わずかな驚愕の色が浮かんだ。
「何……!?」
その直後、魔物の群れの中から、ひときわ巨大な一体が、異様な唸り声を上げた。その体からは、禍々しい、黒いオーラが立ち上り、周囲の空間を歪めている。
「あれが、奴らの核か……!?」
ガルムが、警戒の色を露わにして叫んだ。その巨大な魔物は、他の魔物とは明らかに異なる、強大な魔力を感じさせる。そして、その体から放たれる黒いオーラが、ルナリアの魔力を打ち消しているようだった。
「健太くん!」
ルナリアが、振り返り、真剣な眼差しで健太を見た。
「君の力が必要だ!あの核となっている魔物を、何とかしてくれ!」
その言葉に、健太は、改めて、自分がこの戦いに巻き込まれた意味を理解した。彼の持つ、まだ見ぬ力。それは、この、通常の魔力では対抗できない敵に対して、唯一の希望となるものなのかもしれない。
しかし、どうすればいい?彼は、自分の体に宿る力が、一体何なのか、どうやって引き出せばいいのか、全く分からなかった。焦りと不安が、彼の胸を締め付ける。
その時、隣で、あかりが、健太の服の裾を、さらに強く、震える手で握りしめた。その小さな手の温かさが、彼の心に、かすかな光を灯した。
(そうだ……あかりちゃんを守りたいんだ)
昨夜、魔獣の爪が、あかりに迫った時の、あの凍りつくような恐怖。彼女の泣き叫ぶ声。もう二度と、あんな思いをさせたくない。その強い願いが、健太の奥底に眠る何かを、静かに、しかし確実に、呼び覚まそうとしていた。
彼の胸の中で、熱いものが込み上げてくる。それは、怒りなのか、決意なのか、それとも、もっと別の、まだ名も知らない感情なのか。
「う……うわああああああ!」
健太は、心の底から叫んだ。その瞬間、彼の全身から、眩いばかりの、金色に輝く光が放たれた。それは、昨夜、魔獣を打ち倒した時と同じ、希望の光だった。
その光は、まるで意志を持つかのように、健太の体から溢れ出し、空を舞い、巨大な魔物へと向かって飛んでいく。その軌跡は、まるで夜空に描かれた、一条の золотойの軌跡のようだった。
巨大な魔物は、その光に気づき、警戒するように身をよじらせた。しかし、光は、容赦なく、その巨大な体に突き刺さった。
「グギャアアアアアア!」
魔物は、断末魔の叫びを上げ、その巨大な体が、内側から崩れ落ちるように、砕け散っていく。同時に、周囲の他の魔物たちの動きも、一斉に鈍くなり、まるで操り人形の糸が切れたかのように、次々と、地面へと落下していった。
夜空には、金色に輝く光の粒子が、雨のように降り注ぎ、辺りを、一瞬だけ、幻想的な光景へと変えた。
ルナリアは、その光景を、息を呑んで見つめていた。彼女の瞳には、驚愕と、そして、ほんのわずかな、安堵の色が宿っているようだった。
「これが……君の力……」
彼女は、信じられないといった様子で、呟いた。
健太自身も、何が起こったのか、よく分かっていなかった。ただ、あかりを守りたいという強い願いが、彼の内に眠る力を引き出したのだということだけは、何となく理解できた。
戦いは、一瞬にして終結した。空には、満月が静かに輝き、先ほどまでの騒乱が、まるで嘘だったかのように、静寂が戻っていた。
しかし、健太は知っていた。これは、終わりではない。ルナリアが語った、「禁忌の存在」の紋章。今回の敵が、それらと関係があるのだとしたら、これは、更なる脅威の序章に過ぎないのかもしれない。
それでも、彼の心には、確かな光が灯っていた。あかりを守れる力がある。そして、この、孤独な魔界の王の、力になりたい。その二つの思いが、彼の胸の中で、強く、熱く、燃え上がっていた。
ルナリアは、静かに健太の方へと歩み寄り、その翡翠の瞳を、真っ直ぐに見つめた。その表情は、先ほどまでの険しさとは打って変わり、どこか、柔和なものになっていた。
「健太くん。改めて、礼を言う。君の力は、まさに、希望の光だ」
その言葉に、健太は、照れくさそうに、頭を掻いた。
「いえ……ただ、あかりちゃんを守りたかっただけで……」
彼の言葉に、ルナリアは、微かに微笑んだ。その微笑みは、先ほどの氷の花のようだったが、今度は、そこに、確かな温かさが加わっていた。
「その想いこそが、何よりも強い力となる。私は、そう信じている」
そして、彼女は、隣に立つあかりに、優しい眼差しを向けた。
「あかり。怖かっただろう。でも、もう大丈夫だ。健太くんが、必ず君を守ってくれる」
あかりは、ルナリアの優しい言葉に、小さく頷き、健太の服の裾を握る手に、ほんの少しだけ、力を込めた。その小さな力が、健太の背中を、そっと、しかし確かに押した。
夜空の下、満月が、三人を静かに照らしていた。魔界を脅かす新たな敵。そして、それに立ち向かう、一人の平凡な高校生と、孤独を背負った魔界の王。そして、その傍らにいる、小さな少女。彼らの、未来をかけた戦いは、まだ始まったばかりだ。しかし、その胸には、互いを想う、温かい光が、確かに灯っていた。
(第十八話 完)
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