幸せな時間よ、ありがとう

月影いる

幸せな再会

『きみは幸せでしたか?』


穏やかな水の音が聞こえる。

真っ暗な中、ゆっくりと流れている空。

…いや、流れているのは私自身。

ゆっくり、ゆっくりゆらゆらと自分の体が波打っているのを感じる。

どうやら小さな箱のようなものに乗って、川を漂っているようだ。

ゆっくりと起き上がる。

あたりには何もない。ただどこまでも広がる闇が私を包んでいた。

何も見えないけれど、なんだか落ち着く。そんな感じがした。


少しずつ、進んでいく真っ暗な道に突如小さな光が見えた。

なんだろう、と興味本位に身を乗り出す。

すると光はどんどん大きくなっていき、やがて箱ごと私を包み込んだ。


『ぅ…ぐすっ…』

真っ白の空間で誰かが泣いている。

眩しくて目を細めながらも、ぎゅっと目を凝らしてみる。

だんだんと周囲の景色が鮮明になってきた。

光の中で一人の女性が何かを抱えて泣き崩れているのが見える。

何もないこの空間で彼女は背中を大きく震わせ、項垂れている。

遠目からじっと見つめる。

すると突然私を乗せていた小さな箱はゆっくりと消えていった。

私は真っ白な大地へと降り立ち、女性に近づく。

「…」

丸まった背中に向けて声をかけようとしたがなぜか声が出ない。

くるっと移動して横顔へ声をかけようとしたその時、見覚えのあるものがそこにはあった。

…私はこの女性を知っていた。

そして、彼女が抱えているものは…私。

私は唖然とした。

目の前の私はぐったりしていて動くことはなかった。


_思い出した。

私は死んでしまったんだ…。

この人は私とずっと一緒にいてくれた人。

…最期まで、ずっと。

私が彼女の宝物の置物を高いところから落とした時、こちらを心配しながら片付けてくれた人。

彼女のお気に入りの壁紙で爪研ぎをしていたら少し困った顔で怒ってきた人。

いつも優しい手で撫でてくれたり、お尻をぽんぽんしてくれた人。

いつも優しく微笑んで、私の好きなご飯をくれていた人。


…私が一番、大好きで信頼していた人。


私は彼女の顔を見上げる。

彼女は私の亡骸に顔を埋めた後、ゆっくりと顔を上げた。

そして、いつも通りに優しく微笑みかける。

『ありがとうね、ミケ。私と一緒にいてくれて。もう大丈夫。ゆっくり休んでね。』

私の亡骸にそう言った。

「にゃぁ…」

声を絞り出すように答える。

微かで今にも消えてしまいそうなそんな声。

彼女は聞こえたのか驚いた様子で周囲を見回している。

そして、私自身を見つけると、目を見開いた後涙を流しながら笑いかけてきた。

『ふふ、心配で来てくれたの?ミケは優しいんだね。ありがとう。』

彼女がゆっくりと顔を近づけてくる。

私はそれにすり寄るように顔をぐいっと近づけ、そしてこすりつけた。

彼女は優しく、私の頭を撫でてくれた。

温かい…安心する。

だけど、お別れの時間は刻々と迫っていた。

私の小さな体が次第に薄くなっていくのが見える。

手が、足が、尻尾が。徐々に消えてゆく。


最期に、最後に大好きな人に会うことができてよかった。

きっと彼女はもう大丈夫。寂しくても、きっとちゃんとやっていける。

優しい彼女のことだからきっと誰かに愛され、愛し合い、幸せな人生を辿ってくれることだろう。

私は安心して逝くことができる。

この不思議な空間に、彼女に感謝を。


消えゆく私に彼女が泣き叫びながら言う。

『ミケ!本当に、本当にありがとう!あなたのおかげで私はとっても楽しかった!幸せな時間を過ごせたよ!』

そして一呼吸おき、少し悲しげな表情を浮かべると

『ミケは、きみは幸せでしたか…?』

そう問いかけた。

私は、とても、とても幸せだったよ。と鳴いた。

彼女に伝わったかはわからない。だけど、彼女はまた優しく笑いかけてくれた。

きっと伝わった。

よかった。

私は、待ってるね。あなたが幸せな人生を送り、再び会えることを。

だから、さようならは言わないんだ。


一匹の猫が姿を消したこの空間で彼女は涙を拭うと一言だけ、つぶやいた。

『またね。』












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