第四章 真の番

一、徒夢



「今回は男の花嫁か……前々回の花嫁も男だったと聞いたな」

「神様の考えは俺たちにはわからん」

「男でも女でも、生贄になるならどっちでもいいのだろう」

「嫁入りしたら最後、二度と戻っては来ない。だがそれで村も山も守られるなら必要な犠牲なのだ。俺たちは掟に従い、十五歳になるまで守る必要があるのだ」


 小さい頃。ゆずりはの耳に聞こえてきた会話。いつの頃だったかは忘れてしまった。


「花嫁に選ばれた子どもは一生屋敷から出ることは赦されず、掟に従い、五つになると幽閉されるのが決まり。可哀想だが、村のため、この地に住む者たちのため、その責務を全うしてもらうしかない」


 年老いた男性や女性の声。中年の男性の声。無邪気な子どもの笑い声。赤子の泣き声。優しい女性の声。怒る声。世間話。両親の噂。花嫁のこと。


「花嫁に選ばれた子どもの親はもちろん、その村もまた山神様の守護を一番に与えられるという。故に、不幸なのではなく僥倖なのだ」


 花嫁として選ばれたこと。仕方のないこと。泣いても喚いても意味はないのだと。思い知るにはじゅうぶんだった。子どもながらに、山神様の生贄の花嫁になることで村が救われるのなら、両親が喜ぶのなら、それが自分の運命なのだろうと、早い段階ですべてを諦めた。


 けれども、あの日。差し伸べられたその右手に導かれたその瞬間から。何度も何度も繰り返してきた徒夢が、意味のあるものへと変わったのだ。


 涙が目尻を伝って耳の方へと流れてきた。それはそのまま枕を濡らし、楪を深い眠りから目覚めさせた。明るい部屋の天井。知らないうちに心が落ち着くような好い香りのお香が焚かれていたようだ。虚しい夢。戻らない時間。聞かなければ良かった言葉。夢の中でさえ、こんなにも悲しい。


 起き上がって、妙にすっきりとしている頭に首を傾げる。あの夢を見て起きると、いつも泣いている自分がいた。そういう時はずしんと気分が鉛のように重たく沈んで、悲しい気持ちのまま一日を過ごすことになるのだけれど……。


(……銀花様が焚いてくれたのかな?)


 お香が焚かれていた銀色の小さな柄香炉からはもう煙は出ていなかった。可愛らしい花模様のついた蓋が特徴的で、枕元に置いてあったそれに視線を落とす。


 ここに来て、もうひと月が経った。数日前、お正月は水月みなづき黒鴉くろあ蛭子ヒルコが社に遊びに来て賑やかで楽しかった。


「また、たくさんお話したいな……」


 あの時助けてくれた幼い子どもの姿をした神様。蛭子様、と呼んだら蛭子でいいと言われたのだが、楪には難しく、結局「蛭子様」で落ち着いたのだった。また近いうちに遊びに来てくれるのだという。約束。とても優しくて可愛らしい神様ですね、と銀花や黒鴉に話したら、ふたりとも反応が違っていて不思議だった。


 身なりを整え、着替えた後。いつものように部屋の前にある庭へと下りた。目を閉じて耳を澄ませ銀花の鈴の音を探してみたが、今は社にはいないようだ。ここ最近、頻繁に外へ行っているように思う。正月明けから穢れが頻繁に生まれ、この山を蝕んでいるのだという。


(私は……ここにいていいのかな?)


 部屋に戻り、社の中を意味もなく歩いて回る。なにをしたらいいのかわからない。ひとりでいると、暗い道を歩いているようだった。楪は自然とある部屋の扉を開けていた。広い部屋にいると色々と考えてしまうことに気付いた。そして、自分なりに落ち着く場所を見つけたのだが……。


「……このまま、役立たずの花嫁でいいのかな?」


 狭い物置小屋の隅に膝を抱えて座り込むと、そのまま膝に顔を埋めた。銀花のことをどう思っているかと問われたら、少し戸惑う。この気持ちはいったいなんというのだろう。銀花はずっと優しい。それに甘えたままでいいのだろうか。


「銀花様のお身体は大丈夫なのかな? 穢れ、はいつまでその身に留めておけるのだろう」


 穢れがその身に入ってくる嫌な感じを、楪は身をもって知った。たくさんの悲しみや心の痛みが襲ってきて、自分ではどうすることもできなかったのだ。銀花はあんな風に平然としているが、本当はどんな状態なのだろう。こちらから訊こうにも、銀花は心配するなと言って話してはくれない気もする。


「私の気持ちは……? 私は、銀花様のことをどう思っているのかな?」


 大好きなひと。

 自分を大切にしてくれるひと。

 守ってくれるひと。

 それから。


「大好き、ではだめなのかな? 好きと、身も心もというのは違う?」


 わからない。

 でも、もやもやするこの気持ちはなんだろう。


 薄暗い部屋。あの四畳半の部屋と同じ。なんとなく落ち着いてきた頃、楪は顔を上げた。


「私が傍にいたいと思ったら、いてもいいいと銀花様が言ってくれた。帰ってきたら、お願いしてみようかな?」


 でも疲れているかもしれないのに、迷惑にならないだろうか。そう思うと、身動きができなくなる。


 誰もいない狭くて暗い部屋に閉じこもって、感情を消して。ぐちゃぐちゃになりそうな心を抑え込む。こんな風に心を乱されることなどなかった。消して消して消して殺して。なにを言われても耳を心を閉ざしてしまえば、なかったことになる。


 銀花とはそうはなりたくない。ぜんぶが大切で、なくしたくない。もらった言葉も、触れられた記憶も、なにひとつ失いたくないと。


 あの徒夢はきっと、あの頃のなにもない自分を忘れないための戒めなのだ。



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