第三章 穢れ
一、悪友
「
「なんだかあの鳥さん、こちらに手を振っているように見えます」
「ああ……あれは無視していい」
銀花はにっこりと笑って、楪の視界を塞ぐように立った。
「銀花様?」
「楪、その格好では寒くはないか? よかったらこれをもらって欲しい」
少し長めの銀花のそれよりは短く、ちょうど首周りに収まるくらいの長さの襟巻きで、楪はその肌触りの良いふわふわさが気に入ったのか、何度も触れては嬉しそうに笑みを浮かべた。
「銀花様、とってもあたたかいです。それに、なんだか守られているみたいで安心します」
「その襟巻きは、俺の本来の姿である神狐の毛を使って編んだものだから、ある程度なら穢れも寄せ付けないだろう。気に入ってもらえたなら、嬉しい」
「え? これは、銀花様が作られたのですか?」
銀花が自分の髪の毛を編んで作っている姿を想像して、楪は「?」と首を傾げる。神狐の姿がいまいち想像できないせいか、おそらく間違ったものを思い浮かべている楪の頭を撫でて、銀花は困ったように表情を曇らせる。
「神狐の姿はあまり見られたくはないんだ。大きくて恐ろしいと思われてしまうかもしれないし、なによりもその姿を見た楪に嫌われたくないからな」
「そんな……私は、銀花様がどんなお姿になろうとも嫌いになんてなりません」
ふたりはあの後、初夜の儀式の残りの二晩をなんとか完遂した。楪の身体には銀花の神気が流れており、人間が生きるために必要な『食』を必要としない身体になった。
食べられないというわけではなく、あくまでも食べなくても良い身体になったということらしい。その身もこれ以降老いることはなくなり、銀花が生きている限りは同じ時間を生きられるのだという。
危惧していた感情の欠落は今のところは見つからず、どちらかといえば前よりも銀花の傍にいたいと思うようになった。この気持ちはいったいなんなのだろうか。触れられると胸のあたりが締め付けられるように、なんだか落ち着かなくなるのだ。
(あれから十日経ったけれど……私はまだ、真の番として銀花様のお役には立てていない。なにが足りないのだろう? 身も心も、とはどういう?)
銀花が最初の日に言ったあの言葉。その意味を、楪はまだ理解できないでいた。そんな中、バサリという大きな音が頭上で聞こえ、思わず空を見上げる。そこには先ほどまで枝に留まっていたはずの鴉が旋回しており、ひらりと落ちてきた数枚の羽根が楪の視界を遮ったその瞬間。ふたりの前に現れたのは、端正な顔立ちの短髪の青年だった。
青みを帯びた黒い濡羽色の長めの短髪。薄紫色の切長の瞳が特徴的で、白衣の上に鈴懸と呼ばれる黒い上衣に赤い結袈裟、黒い袴という山伏のような格好をした青年は、ふたりのちょうど真ん中に立ち、にっと口の端を上げた。
「君が銀花の花嫁? ふーん。近くで見てもやっぱりふつーだね」
「絡むな。近づくな。見るな。消え失せろ」
「せっかくお祝いしに来てあげたのに、相変わらず俺の扱いがひどいっ」
青年は子どもっぽく頬を膨らませて、終始ふざけた態度で銀花をイラつかせた。
「必要ない。さっさと自分の領域に帰れ」
「まあ、そんなこと言わずに付き合ってよ。穢れの元凶について水月様から聞いてるだろ? そっちの話がしたいってのが本来の目的なんだ」
初対面とは思えないふたりのやり取りに対してひとりぽかんとしていた楪だったが、目の前の者に言われたことを特に気にしている様子もなく、ただ不思議そうに銀花を見上げてきた。銀花は青年を一瞥して背を向け、楪の手を引いて少し離れた場所に連れて行く。
「あれは
「はい、大丈夫です。あの方は銀花様のお友だちなんですね。いつもとは違う雰囲気の銀花様が見られて嬉しいです」
ふふ、と楪は口元に手を当てて小さく笑った。
「……少しの間、ひとりにしてしまうが、」
「私、ひとり遊びは得意ですから。お気になさらずに、ゆっくりお話ししてください」
嫌味などではなく気を遣って自然にこぼれたのだろうその言葉に、銀花はなんだか切なさを覚えたがあまり気にしても仕方ないと思い、襟巻きをそっと直しながら「ありがとう」と頷いた。
昼下がり。少しだけ曇り始めた空は、今にも雪が降り出しそうで。
さっさと終わらせて社に帰ろうと決意し、少しの間でも離れ難い気持ちを胸の奥に引っ込めて楪に背を向けた銀花は、腰に手を当ててだらしなく立っている黒鴉を視界に映した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます