十五、一輪花



『ついさっきまで外に出ていたみたいだけど、今はこの領域内に戻って来てるよ』


 水月みなづきにそう教えてもらい、ゆずりはは庭を抜けて領域の入り口付近に向かっていた。最初に連れて来てもらった時に降り立った場所。耳を澄ませて集中して。銀花ぎんかが身につけている鈴の音を追う。


 リン。

 リン。


 楪の耳に届いたその音色は、涼やかで美しい鈴の音は、邸の中から鳴っていた。


(大広間の方から鈴の音がする)


 邸の方へ踵を返して、楪は足早に音のする方へ向かった。


(あの時も、あの時も、ぜんぶ。銀花様が私にくれた贈り物だったの?)


 春には桜。

 夏には朝顔。

 秋には撫子。

 冬には椿。


 四季折々、春夏秋冬。天井の小窓から優しく降り注ぐ花びらの雨。最後は必ず一輪花が落ちてくるのだ。楪は母親に頼んで、水を入れた陶器にその一輪花を差し、花が枯れるまで飾っていた。花は季節が終わるまで咲き続け、次の花が降ってくるまで楪の傍にいてくれた。


「銀花様!」


 自分でもびっくりするくらいの大きな声が出た。銀花もすぐに気付いてこちらを振り返った。なにもない大広間の真ん中で、ふたり。視線が重なる。


「楪、そんなに慌ててどうした?」


 少し困惑している銀花のところまで駆け寄って。はあはあと肩で息をして。


「……銀花様、私、水月様とお話してて、あれはぜんぶ銀花様がくださったものだと、知って。嬉しくて。大好きです!」


「ありがとう。俺も大好きだよ、楪」


 あわあわと楪はいざ口にしたものの、言いたいことがうまく伝えられなかったわけだが、返された言葉に顔が真っ赤になってしまう。銀花はその綺麗な顔に微笑を浮かべて、動揺している楪の腕を軽く掴んで自分のもとへと引き寄せ、見下ろしてくる。


 銀花の肩や髪には雪が残っていて、外は冬なのだということを思い出す。


「銀花様、肩に雪が……、風邪を引いたら大変、で……す、」


 楪の心配をよそに、そっと銀花の指先が楪の右耳の上あたりを撫でた。髪の毛になにか違和感を覚え、首を傾げる。確かめるように触れられた場所に右手を伸ばすと、ある感触が指先に当たった。微かに香ってくるそれは、間違いなく。


「よく似合っている。そのまま飾っておいてあげて欲しい」

「……やっぱり、銀花様だったんですね」


 楪の髪の毛を飾ったのは、白い椿の花だった。本人には視界の端にぼんやりとしか見えていないが、飾った銀花は満足げだった。否定も肯定もしない。しかしそれは結果、肯定しているようなものだ。


「今年の冬はまだ贈っていなかったから、」


 楪はその言葉を聞いて、胸の奥がじんとした。視界が滲む。ずっと、救われていたから。あの薄暗闇の中で、光の届かない場所で。あの小窓から降り注ぐ花びらを、時折見上げては期待して。残された一輪花が枯れてしまった時は悲しくて。でもまた新しい一輪花が楪の心を救ってくれた。


「わた、し……、銀花様に、なにをお返ししたらいいですか? なにもない私は、銀花様になにをあげられますか?」


 銀花の藍色の衣の袖をきゅっと掴んで、楪は泣きそうな顔で見上げてくる。必死に訴えるようにそんなことを訊ねてくる花嫁を、銀花はそっと抱きしめた。近づけば微かに香る程度の白い椿と楪自身から香る匂いが混じり合って、心地好い。


「もうじゅうぶんすぎるほど貰っている。なにも返す必要はないよ」


 なにもわかっていない楪は銀花の肩口に顔を寄せて、ぐずっと鼻をすすっていた。悲しい涙ではないと知っているから、それ以上の言葉は紡がず、その長く柔らかい髪の毛を撫でた。きっと、水月が余計なお節介をやいたのだろう。銀花は穏やかな眼差しで楪の髪の毛を飾る白椿を見つめた。


「春になったら、一緒に菜の花畑を見に行こう。丘一面に咲く菜の花の中を、いつかお前と手を繋いで歩きたいと思っていた」

「はい、私も銀花様と一緒に見てみたいです」


 もしかしたらいつか贈られた菜の花は、その菜の花畑から摘んできたのだろうか。


 冬がおわって春がきたら、たくさん外に出てみたい。色んな場所を銀花と一緒に歩きたい。どんどん溢れてくる願いに、楪は目がまわりそうだった。


 なにもなかった場所が満たされていくような。あたたかい感情。銀花がくれるものは、ぜんぶ宝物なのだと。


「銀花様、昨夜はすみませんでした……」


「なぜ謝る必要が?」


「……でも、途中で止めてしまったのは、私のせいですよね?」


 湯船でも。部屋に戻ってからも。


「では早いけど、今から儀式の続きをするかい? 俺は全然構わないよ」


 腰のあたりに手を伸ばされ、よりお互いの身体が密着する。心臓がどくんと大きく飛び跳ねたかのような音を響かせ、その意味を知ってしまえばだんだん恥ずかしくなってきた。昨夜、銀花が喰んだ項が急にじんじんと疼く。あのなんともいえない感覚が余計に楪の心をざわつかせた。


「……私は、銀花様のものです。銀花様が望むようにして欲しいです」


 言って、なんの迷いもなくまっすぐに見つめてくる楪の額に、銀花はそっと口付けをした。それが本心かどうかは別として。そんな風に言ってくれたことが嬉しかった。


「冗談だよ。それよりも、共に庭を見て回ろう」


 身体を離し、代わりにその小さな手を握って。

 ほんのり赤く染まった頬に満足して。

 時が止まったあの庭で、ふたり。

 たくさん話しをしよう。

 



第一章 山神様と番の花嫁 〜了〜

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