八、初夜の儀式



「始めるとは? 前任者からはなにも聞いてはいませんが、」


 銀花ぎんかは怪訝そうに水月みなづきを見据える。この神は唐突すぎていつも胡散臭いが、嘘は吐かない。ではいったいなにを始めようとしているのか。


 ゆずりはも内心はおろおろした様子ではあったが、銀花に背を預けたまま腕の中で借りてきた猫のようにじっとしていた。


「君は前の山神から任を引き継いで何年経つ?」

「十五年ですが、それがなにか?」


 なにが言いたいのだろうか、と銀花は質問に質問で返す。


「十五年もの間、君は穢れをその身に溜め込んでいるっていうことだよ。君が山神に就いた数日後の極月ごくづきの夜に、一蓮托生となるつがいの子が生まれた。番の子は十五になるまで隔離され、清浄な身体を保つのが習わし。山神がその身に取り込んだ穢れを完全に浄化するためには、番と交わる以外方法はない」


 水月は楪を指さし、先ほどと同じようににっこりと他意のない笑みを浮かべた。


「つまり、初夜性交が必要ってこと」

「…………って、なんですか?」


 そんな真面目な顔で問われても答えに困る。銀花は見上げてくる楪に対してどう説明したらいいかを考えていなかったので、結果口を閉ざしてしまう。首を傾げたまま、今度は水月の方へと顔を向けた楪は、その答えを安易に求めてはならないひとに求めてしまった。


「人間もそうだけど、初夜っていうのはとても大事でね。神とひとが共に生きていくためには、神側の神気をひとの中に共有する必要がある。人間の夫婦でいうところの体液交換みたいなもので、男の精液で女のそれを満たすことで血統が交わり、両家の結婚が本当の意味で結ばれ完結するのが初夜性交。けれども君たちにとっての初夜の儀式はもっと特別な意味があって、」


「水月様、少し待ってもらえますか?」


 ぺらぺらとさも当たり前のことのように水月は一気に説明を始めたわけだが、楪の思考がすでに許容範囲を超えていた。後ろ姿しか見えないが、動揺しているのが手に取るようにわかる。


 水月の言い方はかなり直接的だったので、さすがにそれがどういう意味かを理解したのだろう。恥ずかしさからか体温が先ほどよりも上がっている気がする。しかしそんな楪だったが、急に真っ青になって申し訳なさそうに銀花を見上げてきて、今度はとんでもないことを口にする。


「……で、でも……どうしましょう。私は女性ではないから、銀花様を受け入れられません」


 それには銀花も固まってしまい、水月はそんなふたりを目の前にして、堪らずに「あはは!」と声を上げて笑い出す。ひとしきり笑い転げた後、あわあわとしている楪を涙目で見つめて、「それは問題ない! 全然大丈夫だよ!」と明るい声で否定した。


「現に、過去に男の花嫁は何人かいたしね。なににでもやり方はあるってことだよ。私の口からは言えないから、直接その子に教わるといい」

「水月様、本題に戻ってください」


 銀花は言葉を被せるように淡々と言い放つ。

 これ以上楪に余計なことを吹き込むのは本当にやめて欲しい。


「神気を注ぐ方法はいくつかあってね。まあ、一番は直接的に交わるのが早いんだけど。時間をかけてゆっくり馴染ませるなら、三晩かけて番の印をむとか、手っ取り早いのは接吻が効果的かな。とにかく同衾どうきん、簡単に言えば一緒に同じ布団で寝るのが必須って感じだね」


「なぜ前任者はそんな大事なことを俺に教えなかったんですか?」


 いずれ本当の意味で楪が自分のことを想ってくれたなら、そういうこともあり得るだろうと思っていたが、今はまだ手探り状態だ。嫌われてはいないと思う。しかし急に近づけば怯えてしまうのではないかという懸念が否めない。


 今はこうして自分の腕の中になんの疑問も持たずにいてくれるが、もし拒否されるような出来事が起きたら? 気持ちが離れていったら?


「それはこの地を統べる土地神、君たちの主である私の仕事だからね。前の子にも同じように説明したよ。ずっと先の話だけど、君が別の山神を指名する時もそのつもりでね?」


「……今までの花嫁さんたちは、どのようにされていましたか?」


 ふたりの空気など読めない楪は、水月にどうしても気になっていたことを訊ねる。歴代の花嫁は初夜の儀式をどうしていたのか。そもそも花嫁に選ぶ権利などないのかもしれない。それでも、今後の参考にはなる気がした。


「その時の山神の意思に従っていたと思うよ。前の子は自我があんまりなかったから、最期まで義務的に、良い意味で服従していたかも?」


「……最期? そういえば、前の山神様と花嫁さんは、銀花様と交代した後、ふたりでどこへ行かれたのですか?」


「それは……」


「それを聞いたところで、君にはなにも得られないと思うけど?」


 楪の問いに、銀花は口ごもり、水月は落ち着いた声音で優しく答えた。どこか哀しげな笑み。その意味を知らない楪でも、あまり深く聞いてはいけないことなのだろうと思うくらい。


 話を戻すように、水月がゆっくりとこちらに歩み寄り、それから楪の頬に右手を伸ばした。触れられた指先には温度があり、なんだか安心感を覚えた。


「君には、これからどんな未来が待っているのだろうね、」


 言って、水月は楪を見下ろし慈しむように目を細めた。



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