最終話 旅立ち



 それから数十年後。立派な青年の姿に成長した氷雨ひさめは、神狐としても申し分ないだろう。銀花ぎんかの領域内にはふたりとの別れを惜しむかのように、皆が見送りに来ていた。


「俺たちが留守の間、くれぐれも頼んだぞ」


「任せてください。俺がちゃんとお役目を引き継ぎます。だから安心して行って来てください」


「共に行くと駄々をこねると思っていたが、少しは成長したようだ。これからしばらくふたりだけになるが平気かい、ゆずりは?」


 秀麗な顔がふたつ並んで、楪を見つめてくる。少しだけ幼さが残るのが氷雨で、凛としている方が銀花だ。いつからか見分けがつかないくらいふたりはそっくりなのだが、性格はまったく違うようだ。


「銀花様と色んな場所を見てまわるのは、とても楽しみです。少しの間でも、皆さまとのお別れはとても寂しいですが、すぐにまた逢えます。だってここは、私たちの帰る家ですから」


 急に訊ねられ、楪は慌てて言葉を返す。変なことを言ってしまっていないか不安だったが、皆の反応を見るに問題なかったようだ。


「うん。水月様たちと一緒に、ふたりの帰りを待ってる。だから、俺のことは気にしないで?」


 にっと満足そうに満面の笑みを見せて、氷雨は頷いた。


「氷雨様、どうかお元気で」


 楪は氷雨の手を取り、瞳を閉じて祈るように言葉を紡ぐ。ずっと、三人でいられると思っていた。いつかは離れなければならないとわかっていたけれど。それでも、本当に自分の子のように大切にしてきたのだ。


「ユズちゃん、大きな町に行ったら絶対に銀花から離れちゃ駄目だよ? 人間はみんながみんな善人ばかりではないんだから。ひとりになって変な輩について行ったり、甘い言葉に騙されて、身ぐるみ剥がされたりしちゃうといけないからね?」


「はい、ぜったいに一生離れません!」


 ぎゅっと銀花の腕にしがみ付き、自信満々の表情で楪が答える。そんな中、黒鴉くろあはいつまでも別れの挨拶に行かない蛭子ヒルコに対して、仕方ないなぁと背中を押してやる。


「蛭子も楪と挨拶したいってさ」

「は? ちょっと、ま····っ」


 蛭子の軽い身体が前のめりになり、反射的に右足が前に一歩出てしまう。みんなに注目され、思わず振り返って睨むが、黒鴉はへらへらと笑っているだけでなんの効果もなかった。


「お見送りに来てくださり、ありがとうございます。蛭子様とお話ができなくなるの、寂しいです。帰って来たら、またたくさんお話したいです」


「······ボクは別に寂しくない。好きなだけ留守にすればいいさ」


「素直に行ってらっしゃいって言ってあげなよ〜」


 うるさい、バカ鴉! と茶々を入れる黒鴉にいつものように毒づいて。それから再び楪に向き合う。


「楪、元気でね? 帰って来たらまた一緒に遊んで欲しい······たくさんおしゃべりしてね?」

「もちろんです! 帰って来たら、私も蛭子様とたくさんお話したいです! 約束します」


 ぎゅっと楪の腰のあたりに抱きついて、蛭子はしばらく離れなかったが、黒鴉がひょいといつものように抱き上げて引き剥がした。


「では、しばしの別れだ」


 言って、楪を抱き上げると銀花は空へと飛びあがった。一瞬で領域を離れ、その先に広がる景色に目を細める。あの時と同じ、真っ白な雪が山を染めていた。春も夏も秋も冬も、一緒に見てきた。何度もめぐる季節を、永遠ほど。


 知らなかった外のセカイは、今でも興味が尽きることはなく、いつだってはじめてを楪に与えてくれた。ぎゅっと首に抱きついて、銀花に甘える。本当はとても寂しい。寂しくて泣きそうだ。


「泣いてもいい。故郷を離れるようなものだ。ひとは、こういう時に感慨深くなるものだと聞く。だがそう嘆くこともない。皆とはまたすぐに逢える。俺たちにはいくらでも時間があるからな」


 慰めてくれているのだろう。銀花は頬を寄せてぬくもりを分けてくれた。どんなに時間を経ても、変わらない気持ち。そんなものがあるなんて、知らなかった。きっと、これから先も離れることなく、ずっと傍にいてくれると信じている。


 生きるのも、一緒。

 死ぬ時も、一緒。


 それが、山神のつがいとなった者の宿命。楪にとって、それは一番の願いでもあった。いつか本当の終わりが来た時、銀花の傍にいられるなら、いい。こうやって抱き合って死ぬのも、いい。


 めぐる季節をふたり。

 春夏秋冬、時を刻む。

 四季折々に揺蕩うふたりの恋物語は、終わることなく永遠に続いていく―――。




最終章 めぐる季節の中で 〜 了 ~

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