31 ここに骨をうずめるのだ

 フラッシュさんのお父様から届いた手紙には、オルナン国王が王子であったころ、若武者として訪れたときの話が仔細に書かれていた。

 それによると、兵たちが興奮して地元の女性を襲おうとするのを、「そういうことは然るべき相手とやれ」と命じて、街娼に支払うお金を代わりに出していた……とのことだった。王子本人はまだ若かったので街娼にも相手にされていなかった、という。


 もちろんそののちの戦場がどうであったかは定かでない。現地の女に手を出す可能性がないとは言えないし、もしかしたら娼館に行くなり街娼と遊ぶなりしたかもしれないが、だとしてもお酒がオマケでついてきたら使い道にならなくなる。


 なるほど。

 そういう人間なら、無理に女を襲うことはなかろう。

 国王にまつわる噂はほとんどが芝居か誤解であった。ずっと疑って申し訳ないことをしたなあと思ったついでに、アルベルトをとっちめておいた。アルベルトの渡してきた情報はぜんぶただの噂であったのだ。

 とっちめられたアルベルトは「申し訳茄子」とションボリしていた。こういう、当時の王子についての噂は使用人の間で広がっていたものなので、主人の悪口の側面もあったのだろう。


「アルベルト、いえ田嶋くん。もうあちらの世界に未練はなくて?」


「藤堂さんこそしゃべり方が完全に貴族ですよ」


「そうかしら。わたくしはこの世界に骨をうずめようと思いますの」


「自分もその考えに同意です」


 こうして、わたしと田嶋くんは、令和の日本に戻ることをきれいさっぱり諦めたのだった。


 ◇◇◇◇


 婚礼の3日前、わたしは王に拝謁していた。これからは妃として横に座ることになるわけだが、その前に話したいことがあった。


「運動と芸術文化の大会を開きたく存じます」


「運動と……芸術文化、の大会か」


「はい。走るのが速いのはだれか、跳ぶのがうまいのはだれか、泳ぐのが速いのはだれか、球技が上手いのはだれか……絵が、彫刻が上手いのはだれか、歌が上手いのはだれか、器楽が上手いのはだれか、ボードゲームが強いのはだれか。それを属州からも選手を招き、優勝したものには褒美を与える、という……」


「実に面白い話じゃないか。よいな、ちょうど父の代の緊縮財政でケチくさい王家という印象がついてしまったところだ、賑やかにそういうものを催すのも国威発揚につながろう」


「その現場に、国王陛下がわたくしとキャロル妃を伴ってご観覧になり、いわゆる『天覧試合』とすれば、選手たちも奮い立つことでしょう」


「よし! 決まりだ! すぐ会場を押さえ、開催の予定を立てよ!」


「ははあっ!!」


 あっという間に宰相と大蔵大臣と文部大臣が相談を始め、その部活の役人がわらわらと出てきてさまざまな段取りに取りかかった。

 令和のオリンピックほどの規模でないにせよ、こういうでっかい大会は段取りが大切だ。それに関われることに、なんというか幸せを感じた。


「私はマリナの願いを、なんでも叶えてやりたく思う」


 オルナン国王はにこりと笑った。


「わたくしだけでなく、キャロルの願いもなんでも叶えてあげてくださいまし。わたくしなどとは比較にならないほどの苦労をなさっているのですから」


「そうか。それもそうだな」


 ◇◇◇◇


 というわけで婚礼の日がやってきた。お神輿のようなもので担がれて、つまりこれが玉の輿の「輿」なわけだが、王都の大通りをキャロルと並んで移動する。

 2人の妃を同時に立てることには懸念の声もあったようだが、2人とも申し分のない家柄と申し分のない素行のよさで、国民からはたいそう愛される妃になるだろうと、例の文春みたいな雑誌に書かれていた。

 そうなのだ、キャロルもただぼーっとしていたわけではない、救貧院にお菓子や果物を届けたり、小児病院を見舞って病気の子供らと歌を歌ったりしていたのである。


 沿道からは「マリナ妃ばんざい!」「キャロル妃ばんざい!」の声が聞こえる。駅伝区間賞を思い出す盛り上がりである。


 王宮に到着して輿を降りると、そのまま王宮内の聖堂に通され、婚礼の儀式が始まった。オルナン国王は、見たことがないほど穏やかな顔をしていた。


 ……その次の日、わりと早い時間に目が覚めたので、ベッドをそっと抜け出し、属州にいたころに作った「走っても大丈夫な靴」を履いて王宮の周りを軽く一周ゆっくり歩いた。王宮はとても大きいんだなあ、と小学生のような感想を持った。


 ここで暮らして、ここに骨をうずめるのだ。

 それはそれでいいんじゃないかな、と思う。どうせ走れないなら生きているほうが断然マシだ。


 ◇◇◇◇


 婚礼から半年後、王国全土、属州の奥地に至るまで、ありとあらゆる運動競技や美術芸術工芸、知的競技の上手い人が、オルナン国王の名前のもとに、王都に集められた。

 それぞれに属州代表だとか王都代表だとかの名前を背負い、王都に昔からあって最近すっかり忘れられていた円形競技場にずらりと並んでいた。

 その円形競技場の貴賓室に、わたしとキャロルとオルナン国王がいて、その壮大さにみんなでしみじみと見入っていた。

 王都の白い肌の民だけでなく、黄色い肌や褐色の肌、いっそ真っ黒に近い肌の人もいる。世界中のさまざまな人種が、さまざまな民族衣装の礼装をまとい、そこに大集結していた。


「わたくしが提案したことながら、壮大ですわね……」


「マリナさまのお考えはなんというか桁が違いますわね……」


 キャロルが感動していた。さあ、第一日は陸上競技から始まる。わたしが走り方を教えた、属州の若者が代表団の中にいた。(つづく)

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