17 大豆、そして納豆

 無理に美しくなるのを邪魔してしまったかな、とフラッシュさんに「もしかしてこの村の感覚で美しくなりたかったかしら?」と尋ねてみると、フラッシュさんはにこっと笑って「んーん、おうとのひとみたいにすらーってなりたい!」と答えた。

 婚礼自体は行われるらしい。花婿になる男性たちもいまではみな痩せているほうが美しい、と思っているそうで、それはそれは華やかな祝宴が準備されるそうだ。そりゃ地主の娘の結婚式だもの。


 雨の止み間のうっすらと明るい昼、アルベルトとフラッシュさんと3人でナマズの煮物をつつく。うっすら納豆の味がする。アミノ酸ということなのだろう。

 ああ、納豆と白い飯が恋しい。


 雨季が終わる直前には祭りが催されるらしい。王都の人間からしたら邪教ということになるのだろうが、お祭りというのは子供のころから大好きだ。見に行きたい、と言うと、フラッシュさんは「たのしいよー。かけっこたいかいあるよ」と笑顔だ。

 かけっこ大会。要するに徒競走だな。よっしゃまかせろと思っていまは虚弱体質の貴族令嬢であることを思い出す。


「そのかけっこ大会というのは、なにか景品が出たりするんですの?」


「おとなはいっとうしょうだと、だいずをひとふくろもらえるよ」


 大豆。


「大豆って、ソイ・ビーンズ?」


「そう。まめ。にてたべる。おいしいよ。じぬししかかえないやつだよ」


 そのときわたしとアルベルトの脳裏をよぎったのは、間違いなく納豆であった。


「……アルベルト」


「……りょ」


 通じてしまった。納豆は強い。


 ◇◇◇◇


 そういうわけでアルベルトを走らせる練習が始まった。幸い王都から履いてきた靴は布製のいわゆるズック靴というやつで、走るのには適している。

 ただ庭師のアルベルトという比較的筋肉質の肉体とはいえ中身が田嶋くんなので、走るのはどうにも上手くない。ハヒーハヒー言いながら毎日走っている感じだ。


「腕は真後ろに引くんですのよ。こんなふうに」


 まず走るフォームの改善から始めた。腕は正確に真後ろに引き、体幹をブレないようにするのが肝心である。


「ま、マリナ様。そろそろ休みませんか」


「さっきから休んでばかりではなくって? それで本当に納豆が食べられるとお思い?」


「うぬぬ……納豆を持ち出されると勝てない……そうだ。敵情視察をしましょう」


「敵情視察?」


「ハイ! 走るライバルの速さがわかれば、どれくらいのタイムで走ればいいのか確認できるかと」


「よろしいですわね。まだしばらく晴れそうですし、ちょっと行ってみましょうか。フラッシュさん、なんのお仕事をなさっているところかしら?」


「んー、さかなのからあげつくろーとおもって、さかなばらばらにしてたれにつけてた! しばらくひま!」


 というわけでフラッシュさんを通訳にして、荘園を出て村に向かった。村人たちはけっこうしっかりストレッチをしてから走る練習をしているが、どうも「えっさほいさ」という感じで、速そうに見えない。


「フラッシュさん、これはわたくしたちが敵情視察にきたからわざとのろのろ走っているのかしら?」


「んーん? おとなはみんなはしるときこうだよ?」


 これは田嶋くんでも勝ち目があるのではないだろうか。大豆、そして納豆はもう目の前だ。


「よし。これなら真剣に鍛えればアルベルトでも勝てますわね!」


「ええーっ!?」


 というわけで、毎日の筋トレとランニング、タンパク質中心の食事を心がけるうちに雨季の終わりが近づいてきた。もうざあざあ雨が降ることもなく、ある程度太陽が覗くようになった。


 村の祭りは村じゅうの婚礼の少し前にタイミングを合わせて行われ、元来の駆け比べ、つまりかけっこ大会は花婿が出走するものだったが、いまは子供や王都からウィステリア家の荘園に働きにきているアルベルトのような身分の人間も出走するのが当たり前のようだ。

 前の晩、アルベルトにはこれでもかとイモを食べさせた。炭水化物をエネルギーにドンドコ走ってくれることであろう。


 各選手がスタートラインに並んだ。村の長老が角笛を吹いたのをスタートの合図に、各選手走り出す。あっ、アルベルトが一瞬出遅れた。ピストルの音で出るイメージだったに違いない。

 しかし他の選手は例の「えっさほいさ」走りである。アルベルトはわたしが指導した通りの陸上競技ガチ勢のフォームで先頭を突っ走っていく。


「オヒイサマ!! アルベルトすごいよ!!」


「頑張れアルベルトーッ!!」


 頑張れ田嶋くん、納豆のために!

 アルベルトは全速力で走り、一位でゴールに飛び込んだ。向こうから地主の奥さんが豆の詰まった袋を持ってきた。アルベルトはこっちを向いてガッツポーズをしてみせた。


 アルベルトのぐるりを村の男たちが囲んだ。ボコボコにされない? 大丈夫? と見ていると、地主が入っていって話を通訳し始め、アルベルトはなにやら手をわたしのほうに向けた。村の男たちはぞろぞろとわたしの方に近づいてくる。

 地主によると、アルベルトのものすごい走りを見て、王都の人間はみんなこうなのか、誰に教わったのか、と聞いたのだそうだ。速く走ることはこの村では仕事のスキルとして必要なのだそうで、次の日からわたしは村の男たちに走り方を教えることになってしまった。(つづく)

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