第4章ー第2話「迷いのまま、隣にいる」
1時間目と2時間目のあいだの、ほんのわずかな休み時間。
まだ気だるさの残る教室で、何人かがノートに書いていく。
「これ、言ってたやつ……で合ってる?」
「中身とか、変だったら消していいよ。てか気まずいし」
書いていく、みんなの言葉はなぜか小声で、どこか照れていた。
中には人目を忍んで書いていった人もいて、ラブレターみたいだなと思った。
ノートは何故かみんな順番じゃなくて、
ちょっと飛ばして書かれているものもあったりする。
そこに書かれているのは、絵の下書き、途中でやめた詩、
授業中に走り書いた内職、
それから──ただ一言、「なんか疲れた」とだけ書かれたページもあった。
(……これが、誰かの“未完成”)
僕はページをめくるたびに、少しずつ呼吸が浅くなっていくのを感じた。
想像していたよりも、どれも“近くて、重たい”。
たとえそれが、ほんの数行でも、ゆがんだ線だけでも。
(これ、どうやって、並べればいいんだろう……)
僕は、集まりつつある”未完成”を前に、少しだけ不安になっていた。
そんなことを考えていたら、授業が始まり、
あっという間に午前の終了を知らせるチャイムがなる。
「……透くん、ちょっとだけ、時間ある?」
チャイムが終わり、そう声をかけてきたのは、結だった。
いつのまにか僕の隣に座っていて、ノートを持って眺めている。
「透くん、このノート……読んでみた?」
「……うん。ちょっとだけ」
「思ったより、重かったよね。私もさ、最初はもっと軽いのかと思ってた」
「“今ハマってるゲーム”とか、“途中まで描いたマンガ”とか、そんな感じかなって」
「でも、みんな……たぶん、すごく“信じて”書いてる」
僕は頷くしかなかった。
ページの中の“未完成”が、どれも思っていたよりずっと近くて、重たかったから。
「透くんは……出すもの、決まった?」
「……まだ。決めきれなくて」
「うん、それでいいと思うよ。ちゃんと迷ってるの、伝わってくるし」
少しの沈黙のあと、結は言った。
「今日の放課後空いてる?準備物見に行こうよ。
展示用のスタンドとか、足りなさそうだし。
私ちょっと用事あるから遅くなるけど」
「……うん、いいよ」
その日の放課後、教室に残っていた生徒たちも次第にいなくなり、
廊下には靴音だけが響くようになった。
ふと、隣の教室から、ギターの音が聞こえてくる。
──昨日と同じ音。いや、少しだけ違うかもしれない。
結は「遅くなる」とだけ言っていたのを思い出す。
その音に、胸のどこかがふっと揺れて、
気づけば足が、音の方へ動いていた。引っ張られるように。
思考より先に、胸が動いた。
扉の隙間から見えたのは、昨日と同じ
──いや、 たぶん、どこかで“今日もいてくれたら”って期待してた背中だった。
若菜は、髪をかきあげながらギターを構え、静かに音を確かめている。
教室の空気が、コードの余韻と一緒にふるふる震えていた。
ギターの音が止んだあと、思わず、声が漏れた。
「今日も……練習、頑張ってるんだね」
彼女は少し手を止めて、指を弦の上にそっと置いたまま、微笑む。
「うん。透くんって、声のかけ方が優しいね」
少し照れたように笑ってから、続ける。
「……さっき、音止まるまで待ってくれてたじゃん。
そういうの、ちゃんと聴いてくれてるって感じがして、なんか嬉しかった」
(若菜……会話の回数なんて、たぶん数えるほどしかない。
なのに、話しているときだけ、他の誰とも違う“なにか”が響く気がする。
もしかしたら──まだ名前もない、音のような“感情”かもしれない)
「透くんのクラスって、文化祭、何やるんだっけ?」
「未完成展。みんなが未完成なものを持ち寄って、展示するんだ」
「……へえ。なんか、いいな、それ」
若菜は、ぼそっとこぼすように言った。
「“完成させなくていい”って、ちょっと羨ましいかも。 クラシックって、ミスしちゃダメな世界だから。途中のものって、なかなか出せないんだよね」
「……たしかに」
僕は、言葉を飲み込んでから、少し間を置いて言った。
「でも、“未完成”って言っても、案外、出すのこわいよ。 ちゃんと形になってないって、バレる気がして」
「透くんは、もう出すもの決めてるの?」
「……まだ」
「そっか……」
若菜はそう言って、ギターの弦を指先でつまみながら俯く。
僕も、少し俯きながら答える。
「“らしい”って……なんだろうね。
最近、自分の声がよくわからなくなるんだ。
頭ではわかってるつもりでも、 本当にそれが“僕の”なのか、
ちょっと怖くなる」
若菜はギターを抱えたまま、膝の上で弦をなぞるようにして言う。
「……わかる。 “自分の声”って、すごく静かだもん。 他の音が大きいと、すぐかき消されちゃう」
「うん……。 それに、静かすぎて“気のせいかな”って思っちゃう」
若菜は、ギターの弦をそっと押さえたまま、少し目線を落とす。
「……でも、気のせいじゃないんだと思うよ。
だって、それが“聞こえた”から、透くんは迷ってるんじゃないかな」
僕は思わず、若菜の横顔を見つめた。
「気のせいだったら、きっととっくに黙ってるし、 何も考えずに、出せるものを出して、終わらせてたと思う」
その言葉が、じんわりと胸の奥にしみてくる。 僕は、小さくうなずいた。
「……でもさ、 それでも“出そう”って思えたとき、きっと、それが“自分の音”になるんだと思う」
「……うん」
「私はね、たぶんもう、聞こえなくなってた。 クラシックの音って、完璧であることが“当たり前”だから。 間違えないことが大事で、正しく弾けることが“評価”になる」
「……若菜は、それがつらい?」
「ううん、嫌いじゃないよ。 でも、“わたしの音”かって言われたら
……うーん、ちょっと違う気がする。
だからたまに、こうしてギターを弾く。
下手でも、ちょっとズレてもいいから。
……自分の“好き”だけで、音を鳴らせるから」
彼女の声は、ギターの余韻みたいに、優しく残った。
そして、ふと僕に目を向ける。
「透くんって……どんな“未完成”を出すんだろうって、思ってた」
その言葉に、胸のどこかが静かに揺れた。
(……ずっと考えてた。何が“自分の未完成”なのか。
形にはなってない。でもずっとそこにある。
いつもポケットに入れて持ち歩いてるみたいに)
僕は何も言えずに、目を伏せた。
カバンの奥で、紙の角がふと指に触れる。 ──進路希望調査票。
まだ名前しか書かれていない、くしゃっとしたままの一枚。
(見せたくない。けど……)
僕は小さく息を吸った。
「悩んでる……でも…..」
僕の葛藤を感じ取ったように、若菜が静かに言った。
「……悩んでる君も含めて、君は君だよ。
だから、私もクラシックとバンド、どっちかに決めきれなくて。
でも……両方やってる。悩んだままで、やってる」
彼女の声は、まるでギターの余韻みたいに、じんわり胸に染みてきた。
言葉がすぐには出てこなかった。 でも、カバンの奥にしまったままだった進路希望票のことを、 ふと、指先が思い出していた。
僕は、視線をノートからそっと外して、若菜のほうを見た。
少しだけ、笑って答える。
「……ありがとう。」
放課後の空が、すっかり夕方の色に染まってきていた。
若菜と別れたあと、僕は教室へ戻る廊下をゆっくり歩いていた。
ふと、昇降口の前で結の姿が見えた。
片手にエコバッグを下げて、どこか何かを探すように、あたりを見回していた。
「……あ、いた。透くん」
結が僕に気づいて、駆け寄ってくる。
「ごめん、待たせた!ちょっと、野暮用で……」
「ううん、大丈夫。僕もちょっと寄り道してたから」
「寄り道?」
「……ギターの音が聞こえてさ。つい」
それ以上は聞かれなかった。結は、にこっとだけ笑って、
「じゃあ、お互い様ってことで」
「さっき、ノートまたちょっと見返しててさ
……なんか、あらためて思ったんだよね
展示ってさ、思ってたより、見せるっていうより“受け取る”ことなんだなって」
「……受け取る?」
「うん。誰かの“途中”って、けっこう……その人の内側じゃん。
それを見せてもらうって、こっちもちゃんと“見る”覚悟いるっていうか、
途中で終わってる小説の冒頭とか、1日で終わった日記の1ページ目とか……。
なんか、どれも声がこっちに届いてくるんだよね
で、受け取ったこっちが、どう見せるかも、けっこう大事でさ。
ただ並べるんじゃなくて、“声が届く形”にしてあげたいなって、ちょっと思った」
結の言葉に、僕は小さく頷いた。
それは、準備の話というより、どこか“祈り”みたいに聞こえた。
「展示の“形”って、思ったより奥深いんだな……」
「でしょ? だから、ちゃんと準備しないとさ」
結がメモ帳を開いて、また歩き出す。
「あ、そろそろこっち曲がって、文房具屋のほう行こう。スタンドとか見に行くなら、あの店のが種類多いし」
「おっけー」
そうして、僕らは交差点を渡る。
信号待ちのあいだ、夕方の風がふっと吹いた。 日が少し傾いて、影が伸びていく。
「透くん、写真立てって、シンプルなのがいいと思う?それとも、ちょっと個性的なやつ?」
「うーん……悩むね。でも“声”が引き立つほうがいい気がする」
「わかるー。それ。展示が主張するんじゃなくて、中身を邪魔しないやつがいいよね」
そんなふうに、僕らは“誰かの未完成”を並べるために、少しずつ準備を進めていった。
「ねぇ透くん、付箋って、どれにする?」
結が数色のパックを手に持ってる。
「このへん、目立つけど、なんか騒がしいよね」
「……このマスタードっぽいやつ、落ち着いてていいかも」
「あ、それ。昔、スケジュール帳に貼ってたやつに似てる
……前の手帳、どこにいったっけ」
そう言って、結が少し笑う。
でも、そこから先は何も言わない。
僕も、何も聞かなかった。
結は、何かを思い出したような目をしてた。
でも、そのまま笑ったから、それでいいと思った。
僕らは、買い物袋の音をカサカサ鳴らしながら、並んで帰った。
透けた声 迷中(まよなか)だい @mayoi_logic
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。透けた声の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます