第3章ー第2話「未完成という選択肢」

翌朝、進路希望調査票はまだ、鞄の底で沈黙していた。


名前だけが書かれたその紙は、昨日のまま、少しくしゃっと折れ曲がっている。


教室に入ると、いつもより声が騒がしい。
黒板には「文化祭準備期間」の予定が書かれていて、ホームルーム前から何人かがソワソワしていた。


「出し物、何にする?」

「また焼きそばとかマジ勘弁なんだけど」



僕が席に着くころには、すでに教室の空気は浮き足立っていた。


「劇とかはどう?」


「えーでも準備めんどくない?」


遠くで誰かが笑う声がして、ようやく“文化祭の季節”が始まったことを思い出した。


「おっ!透、珍しく遅いじゃん。お前は何がいいと思う?」


航平が、ペンをくるくる回しながら笑って話しかけてくる。


隣の白石は、机に腕を置いたまま、軽く視線を向けてくる。


「……あんま、思いつかないけど。バンドとかやるクラスあるよ 」


僕がぼそっと言うと、航平が即座に反応した。

「うちのクラスじゃ無理だろ〜。まともに楽器できるやつ、誰がいるよ」

「俺、タンバリンならいけるかも」


白石が小さく笑いながら言うと、航平が

「いや、お前は絶対DJっぽい」

って突っ込んだ。


そんな風に、教室の中にだけ流れてる“いつもと違う時間”。


自分の中で沈んだままの進路希望票の“白さ”とが、微妙にズレていた。


「展示とかどう? カエルの標本展とか。」


至って真剣な顔で、白石が問いかける。

「それ、参加するの白石だけだろ。」


冗談めいた声で、航平が茶化す。

「そういう航平は何がいいんだ?」


「….メイド喫茶?」

こちらも至って真剣な顔で、答える。

「それお前が女子のメイド姿見たいだけだろ!」

冗談めいた声で、白石が突っ込む。


冗談と本気のあいだを行き来しながら、意見はばらばらに飛び交っていた。

──その雰囲気が、少しだけ羨ましかった。

チャイムが鳴ると、教室のざわめきが少しずつ静まり、担任がガラガラと音を立てて、教室へ入ってくる。


「お前ら席につけー。早速盛り上がってるようだな。

……そしたら今日は出し物決めていくぞ〜」


先生の声に、あちこちでペンの音と小さな笑い声が重なる。


「出し物は、基本自由だ。そしたら、班に分かれてアイデア出して、黒板に書いていってな〜」



先生の一声で、教室は一気にざわついた。


椅子を引く音、机を寄せる音、笑い声、ペンが走る音。


全部が一斉に動き出して、まるで“祭りの予兆”みたいに教室の空気が浮き立っていく。

「透〜、こっちこっち」


航平に手招きされて、僕も机を引きずってグループに加わる。


隣には白石と、同じ班になった数人のクラスメイトがいた。


「で、マジで何やる?もう焼きそばは無理だろ。去年やったじゃん」



「じゃあ脱出ゲーム?でもあれ、準備めちゃくちゃ大変そうじゃない?」



「ってかさ〜、ライブとかどう?あの隣のクラスのさ……バンドやってる子いるじゃん?」


「若菜でしょ?あの子曲も作れるらしいじゃん。」

“若菜”の名前が出た瞬間、僕の手がほんの少しだけ止まる。


誰も気づかない程度の、そのわずかな反応。


「ライブな〜、でも誰が歌うのさ」



「俺、ボーカルとか無理だしな」



「いや、透とか意外と声いいじゃん?」


「え、無理だって」


思わず笑って、即座に否定する。

「とりあえず一人ずつアイデア出してこうぜ。どうせ投票だし、それを全部書く!」

航平がそういうと意見が出始め、机の中心にある紙に徐々にアイデアが増えていく。


「焼き鳥、お化け屋敷、脱出ゲーム、メイド喫茶、演劇、未完成展」

みんなのアイデアでいっぱいになった紙を航平が代表して、黒板に書きにいく。


投票用紙が配られ、ひとりひとりが選びながらザワつく中—

「“未完成展”って誰のアイデアだ?」
先生が問いかける。



航平がこちらをチラリと見る。


一瞬戸惑うも、小さく手を挙げる。


「……あ、ごめん。僕書いた」



「なにそれ。なんの展示?」


「うーん……上手く説明できるかわかんないけど、


 “途中でもいいから、誰かの“いま”を見せる”みたいなやつ。
未完成の絵でも、写真でも、作りかけの何かでも、アイデアとかでも

……そういうのが集まったら、面白いかなって」


ざわ…と一瞬、場の空気が止まる。


「それ、ちょっと面白くない?」


結だった。


「未完成ってことは、完成させなくていいってこと?」



「なんか……ちょっと、自由な感じするな」


そして数分後—投票結果が黒板に書かれる。


未完成展:16票


次点:お化け屋敷(13票)


焼き鳥(5票) 

メイド喫茶(2票)


「ということで、今年のうちの出し物は……“未完成展”に決定〜!」


ぱらぱらと拍手と笑いが混ざる中、
透の中に、何かがほんの少しだけ温かく芽吹く。

すっかり、進路希望票のことなんて忘れ、穏やかな気持ちで一日を終える。

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