第17話:再会、テラルドと現代の狭間で(前編)

「時の水晶」のかけらが、また光った。


 朝の光が差し込むアパートの部屋で、俺はベッドから起き上がり、テーブルに置いたかけらを手に取った。昨夜聞こえたフリーデの声が、まだ耳に残っている。


「会えるわ……きっと……」


 あの声は、紛れもなくフリーデのものだった。彼女もこちらに繋がる手段を見つけたのだろうか。かけらを握りしめると、温かさと共に微かな鼓動が伝わってくる。


 スマホの着信音が鳴り、田村からの連絡だった。


「勇者さん、椎名さんに変化が! すぐに来てください!」


 急いで身支度を整え、アパートを飛び出した。


 ***


 椎名のマンションに着くと、田村が玄関で待っていた。彼の表情は興奮と困惑が入り混じっている。


「どうした? 椎名に何があった?」


「それが……言葉では説明しづらくて……」


 部屋に案内されると、椎名が窓際に立っていた。背を向けた彼女の姿は、いつもと少し違って見える。


「椎名?」


 俺が声をかけると、彼女はゆっくりと振り返った。


「勇者さん……」


 その瞬間、俺は息を呑んだ。椎名の姿形に大きな変化はないが、その目は深い森のような緑色に変わり、耳はより明確に尖っていた。まるでテラルドのエルフのように。


「どうなってるんだ?」


「昨晩、眠りについた時に……」


 椎名は困惑したように言った。


「夢の中でルーツである星見と会話したんです。そして目が覚めたら、こうなっていました。銀の冠をかぶっていなくても、エルフの血の特徴が現れるようになったんです」


 田村がノートを取り出し、記録を始めた。


「それだけじゃないんです。椎名さん、見せてください」


 椎名はためらいながらも、手のひらを広げた。そこには「月の涙」があった。しかし、昨日までの白い石とは違い、内部から青い光が漏れている。まるで「時の水晶」のかけらのように。


「これも変わったんです。昨晩から光り始めて……」


 俺はポケットから「時の水晶」のかけらを取り出した。二つの石を近づけると、互いに反応するように光が強まった。


「何かが起きている」


 椎名が静かに言った。


「テラルドとの境界が……薄くなっているんです。それを感じます」


 彼女の言葉に、田村が口を挟んだ。


「リーゼルさんと田野倉さんにも連絡しました。もうすぐ来るはずです」


 俺は窓の外を見た。いつもの現代の風景。しかし、何かが違うと感じる。空気が微妙に違う。まるで異世界の匂いが混じっているかのように。


「俺も昨晩、フリーデの声を聞いた。かけらを通してだが、確かに彼女の声だった」


 そこに、ドアチャイムが鳴った。田村が出迎えると、リーゼルと田野倉が入ってきた。二人とも椎名の変化を見て、驚きの表情を浮かべる。


「やはり変化しているわね」


 リーゼルが椎名に近づき、その変化を観察した。


「エルフの血が完全に目覚めたのね」


 田野倉は「月の涙」と「時の水晶」のかけらを見て、深く頷いた。


「魔王の介入によって、何かが根本的に変わったようだ」


 彼は考え込むように窓の外を見た。


「皆さん、外に出てみましょう」


 ***


 五人で街を歩きながら、何かを探すように周囲を観察していた。一般の人々はいつも通りに行き交い、街の風景も変わりはない。しかし、俺たちにはわかる。何かが確実に違うのだ。


「あれを見て」


 リーゼルが空を指差した。青空の中に、薄いもやのようなものが漂っている。一般の人には見えないだろうが、俺たちには見えた。


「あれは……」


「テラルドの空の色だ」


 俺は思わず言った。懐かしいテラルドの空の色が、現代の空に僅かに混じっている。


「境界が本当に薄くなっている」


 田野倉が真剣な表情で言った。


「星見神社に行きましょう」


 全員が頷き、神社へと向かった。


 ***


 星見神社は外見上、昨日と変わりはなかった。しかし、鳥居をくぐった瞬間、違いが明確になった。石畳の小道の両脇に咲く花々が、俺のよく知るテラルドの花と似ていた。「銀蕊花」に似た白い花が、本来この季節、この場所にあるはずのない花が咲いているのだ。


「おかしい……」


 椎名が花に近づき、そっと触れた。


「これはテラルドの花のようですが、でも少し違う。まるで二つの世界の花が融合したような……」


 八本の木に囲まれた場所に立つと、より強い違和感があった。地面には昨日描いた八芒星の痕跡はないが、代わりに草が生え、その草はテラルドの「星草」に似ていた。


「ここで何かが起きています」


 椎名が銀の冠を頭に載せた。彼女の目がさらに鮮やかな緑色に変わり、耳がより尖った。彼女は目を閉じ、両手を広げて何かを感じ取ろうとしている。


「見える……テラルドが見える……」


 彼女の言葉に、全員が息を呑んだ。


「でも、それだけじゃない。テラルドと現代が……重なっている」


 椎名は目を開け、驚いた表情で俺たちを見た。


「テラルドと現代が同時に存在している場所があります。まるで二つの世界がオーバーラップしているような」


 その言葉に、「時の水晶」のかけらが強く反応した。俺のポケットから青い光が漏れ、温かさがより強くなる。


「勇者さん、かけらが……」


 田村が指差す先を見ると、かけらから細い光の筋が伸び、ある方向を指していた。


「あっちか……」


 その方向は、神社の奥、最も古い木のある場所だった。


「行こう」


 俺たちは光の導きに従って進んだ。最も古い木の前に立つと、かけらの反応がさらに強くなった。


 木の幹に近づくと、不思議なことに、幹の表面がぼやけて見えた。まるで実体がないかのように。


「触れてみて」


 リーゼルの言葉に、俺は恐る恐る手を伸ばした。すると、指先が幹に触れるはずの場所で、まるで霧の中に入り込むように、手がすっと通り抜けた。


「これは……」


 俺は思わず一歩踏み出した。すると、体全体が木の中に吸い込まれるように進んでいく。周囲の風景が歪み、光に包まれる。


 そして次の瞬間、全く違う景色が目の前に広がっていた。


 ***


「エメラルドの海」。


 目の前に広がるのは、間違いなくテラルドの風景だった。緑がかった海が地平線まで広がり、空には二つの月が浮かんでいる。目を凝らすと、海を見下ろす丘の上に一軒の家が見える。


 フリーデの家だ。


 心臓が高鳴る。あの家には、フリーデがいるのだろうか。


 後ろを振り返ると、仲間たちも続いて通り抜けてきていた。全員が驚いた表情で周囲を見回している。


「これは……テラルドだ」


 田野倉が静かに言った。


「でも、完全にテラルドに来たわけではないわ」


 リーゼルが空を指差した。テラルドの二つの月の隣に、薄く透けるように現代の太陽が見えている。


「二つの世界が重なっている場所なのね」


 椎名が感覚的に説明した。


「『星の門』が開いた影響で、テラルドと現代の一部が重なる『境界領域』が生まれたのでしょう」


 俺は丘の上の家を見つめていた。「時の水晶」のかけらがますます強く脈動している。


「フリーデがあそこにいる。わかる」


 迷わず丘に向かって歩き始める。みんなも黙って後に続いた。


 道なき道を進み、丘を登っていく。草の感触、風の匂い、全てがテラルドそのものだ。しかし時折、現代の景色が透けて見える。まるで二重写しの世界。


 丘の上に着くと、そこには確かにフリーデの家があった。小さな石造りの家。テラルドでの最後の日々を過ごした、俺たちの家。


 扉の前で立ち止まり、深く息を吸った。鼓動が早くなる。「時の水晶」のかけらが熱を持っている。


 勇気を出してノックしようとした、その時だった。


 扉が開き、そこに彼女がいた。


「フリーデ……」


 彼女は変わっていなかった。銀灰色の髪、凛とした表情、そして深い青色の瞳。俺が「定年」で去った日と同じ姿。まるで時間が止まっていたかのように。


「来たのね……」


 フリーデの声は震えていた。彼女の手には「時の水晶」のかけらが握られている。俺のかけらと同じように青く輝いていた。


 言葉が出ない。二年間、この瞬間を夢見ていた。毎日、彼女のことを想い続けてきた。そして今、彼女が目の前にいる。


「フリーデ……俺は……」


 言葉を探していると、彼女が一歩踏み出した。そして、迷いなく俺の胸に飛び込んできた。


「待っていたわ……ずっと」


 彼女の体温、匂い、全てが現実だと実感する。俺は彼女をしっかりと抱きしめた。


「俺もだ。毎日、お前のことを考えていた」


 二人の間には言葉が必要なかった。抱き合うだけで、二年間の思いが伝わる。


 しばらくして、フリーデは俺から身を離し、後ろにいる仲間たちに気づいた。


「あなたの新しい仲間?」


「ああ、みんなだ。こっちは田村。こちらは椎名、それから田野倉とリーゼルだ」


 フリーデは皆に丁寧に会釈した。


「中へどうぞ。話すことがたくさんあるわ」


 ***


 フリーデの家の中は、記憶通りだった。シンプルな家具、石造りの暖炉、そして窓からは「エメラルドの海」が見える。しかし、テーブルの上には見慣れない道具や書物が広がっていた。


「『時の門』の研究をしていたのね」


 リーゼルがテーブルの書物を見て言った。フリーデは頷いた。


「ええ。あなたが「紫眼の魔女」ね。ずいぶん変わったようね」


 リーゼルは微笑んだ。


「あなたは全く変わっていないわ」


 フリーデは自分の姿を見下ろし、少し困ったように笑った。


「時間の流れが違うからね。こちらでは、あなたが去ってからそれほど経っていないの」


 彼女は俺を見た。


「魔王から聞いたわ。あなたの世界では2年が過ぎたって」


 魔王の名前に、俺たちは驚いた。


「魔王と会ったのか?」


「ええ。彼が協力してくれたの。『星の門』を開くために」


 フリーデは「時の水晶」のかけらを取り出した。


「彼があなたを殺さなかったことに、感謝しているみたい。『均衡』を重視する選択をしたことで、新たな可能性が生まれたって」


 俺は自分のかけらを見た。最後の戦いで、俺は魔王を倒したが殺さなかった。世界の均衡のために、彼の存在も必要だと判断したからだ。まさかその選択が、今の状況に繋がるとは。


「でも、なぜこんな『境界領域』が?」


 田野倉が尋ねた。フリーデは窓の外を見た。


「昨晩、あなたたちが『星の門』を開こうとした時、魔王も同時に門を開こうとしていたの。二つの力がぶつかった結果、完全な門ではなく、世界が重なる『境界領域』が生まれたのよ」


 彼女の説明に、椎名が質問した。


「この『境界領域』はどれくらい続くんですか?」


「それはわからないわ。魔王も予測できなかったみたい。でも、『時の水晶』のかけらが変化したことで、より安定した繋がりができたのは確かね」


 フリーデは台所に立ち、お茶を準備し始めた。その仕草、動きの一つ一つが懐かしく、胸が痛むほど愛おしい。


「さあ、ゆっくり話しましょう。あなたの新しい世界のこと、この2年間のこと、聞かせて」


 フリーデが出してくれたのは、テラルドの「青草茶」だった。淡い青色の液体から立ち上る香りが、無数の記憶を呼び起こす。


「懐かしい味だな」


 一口飲むと、体の中から温かさが広がった。まるでテラルドでの日々が戻ってきたかのような感覚。


 田村は興味津々で茶を味わい、椎名は懐かしそうに目を閉じた。


「不思議と親しみを感じます。エルフの記憶からかもしれません」


 会話が弾む中、フリーデは俺の隣に座り、さりげなく手を重ねてきた。その温もりが、全てが現実だと教えてくれる。


「で、これからどうする?」


 俺の質問に、フリーデは真剣な表情になった。


「この『境界領域』が続く限り、行き来できるわ。でも……」


「いずれ消えるかもしれないんだな」


 彼女は静かに頷いた。


「だから、選択が必要なの」


「選択?」


「どちらの世界に住むか。あなたがここに残るか、私がそちらに行くか、それとも……」


 彼女の言葉が途切れた時、外から物音がした。誰かが近づいてくる足音。


 フリーデが立ち上がり、窓の外を見た。


「魔王だわ」


 全員が緊張した。テラルドの魔王、フォルドレイクがこの家に来るというのか。


「大丈夫よ。彼は敵じゃない」


 フリーデの言葉に不安は残ったが、全員が静かに待った。ドアがノックされ、フリーデが開けると、そこには魔王の姿があった。


 黒い装束に身を包み、長い銀髪を後ろで束ねた威厳ある男性。しかし、かつての敵意に満ちた表情はなく、穏やかさすら感じる。


「来たか、勇者よ」


 魔王の声は低く、落ち着いていた。


「フォルドレイク……」


 俺は立ち上がり、彼と向き合った。二年前の最後の決戦以来の再会だ。


「説明しよう。なぜ私がこのような手助けをしたのか」


 魔王はそう言って、家の中に入ってきた。そして彼が持っていたのは、見覚えのある水晶の破片。


「それは……」


「『時の水晶』のかけらだ。私も持っていたのだよ」


 彼の言葉に、全員が驚きの表情を浮かべた。


 ***


 つづく

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