第24話
中間試験開始から約三十時間が経過した。迷宮の外で、セヴラールは怪しまれない程度にベレスの警戒に当たっている。と言っても遠巻きから姿を目で追うだけの、地道な作業だ。
「……暇すぎる」
先ほどエリノラが血塗れで運ばれてきたときには驚いたが、あれは恐らくニーナの仕業だろう。他の一年では多人数で奇襲をかけたとしても勝ち目のない相手だ。どうにかしてエリノラからその辺りの詳しい話を聞きたかったが、彼女は他クラスの生徒だし下手に接触するのは危険すぎる。
「やっぱノエルを借りときゃ良かったかねぇ」
一瞬そんなことを考えて、セヴラールは首を横に振った。アルヴィスが相手ならばともかく、無口なノエルが自分の話し相手になってくれるとは思えない。
(アイツ、どっかで俺のこと見張ってるんだろうな)
アルヴィスがそう簡単に引き下がるとは思えないし、きっとセヴラールも捕捉できない遠距離からこちらの様子を窺っているはずだ。もしくは使い魔を通して校舎から偵察している可能性もある。
「エリノラが脱落したってことは、ニーナが生き残る可能性が高まるってことだ。アイツを使えなくなった以上、ベレスは自分で動かざるを得ない。エリノラ以外にニーナを殺すのは無理だからな」
となれば、ベレスが何らかの仕掛けを発動させることも視野に入れておかなければ。セヴラールは脳内で、すでにいくつかベレスの策を封じるための案を考えついていた。だが、それを実行するよりも早く状況は変化してしまう。
中間試験開始から三十四時間が経過したころ、ベレス・ラシアイムは遂に動いた。職員が交代で仮眠を取り始める深夜、セヴラールは仮設テントから出ていくベレスの姿を捉える。それを見たセヴラールの対応は早かった。
愛用している拳銃の点検を手短に済ませ、腰のホルスターに戻すと見失わない程度の位置から尾行を開始する。ベレスが向かったのは迷宮裏の広大な面積を誇る森の中。夜間であることに加え、足場の悪い森では事前準備がかかせない。だがセヴラールは地図もなしに躊躇うことなく獣道を進み始めた。
ここはアルヴィスの庭。つまりはノエルの庭でもある。セヴラールの監視を命じられているはずのノエルは、おそらくセヴラールの後を追ってくるはずだ。最悪の場合、ノエルに案内してもらえば遭難して野垂れ死ぬ、という展開だけは避けられるだろう。と、自身の命運を他者に託しつつセヴラールはベレスの靴跡を追っていた。
追跡を悟られないよう、足音を極力殺しながら慎重に歩く。しかし。
「見られているな……」
ノエルではない。本気で隠形に徹した彼女の気配を読み取るのはセヴラールでも不可能だ。森の中から感じる複数の視線は、ベレスが放った使い魔のものと考えるのが自然だろう。状況からして、誘い込まれたと考える方が無難だ。
(それでいい。狙うならあの子じゃなくて俺にしろ。お前が本当に殺したいのは、俺のはずだろ?)
だがニーナを脱落させなければ、ベレスは決闘でセヴラールに負けてしまう。エリノラが敗北した今、多少のリスクを負ってでも数日以内に動くと踏んだセヴラールの予測は見事的中した。
(……この血生臭い死の臭い。相変わらず悪趣味な召喚を繰り返しているらしいな)
二十分ほど歩き続けると、戦場で嗅ぎ慣れた死と血の臭いがセヴラールの鼻をつく。あの少女との日常を通して忘れ去ったはずの感覚が、徐々に蘇ってきた。それと同時に、元軍人としての冷徹な思考回路が研ぎ澄まされていく。否が応でも腰の愛銃を意識せずにはいられない。
あの頃の自分には、決して戻りたくないと思っていた。帝国陸軍から、特務部隊から逃げるように軍人を辞めた自身の醜さを、セヴラールは素直に受け入れることなどできなかった。その醜さを覆い隠すために、軍から逃げる口実にするためにニーナを拾った。すべては、自分自身のためだった。
「……だから俺は今でも、あの子に負い目を感じ続けているんだ」
かくして、運命は流転する。かつて逃げ出した宿命が、巡り巡ってセヴラールに牙を剥く。もう逃げられない。引き返せない。
あの少女との日常を平穏を望むならば、戦う以外の選択肢は今この場で放棄しなくてはならないのだ。
「よぉ、ラシアイム。決着、付けに来たぜ」
広大な森の一角、少し開けた空間にベレスは一人佇んでいる。その足元には赤黒い血溜まりが広がり、完成間近の魔法陣がマナの光を帯びて輝いていた。法陣に使用されている血の正体は、きっと知らない方が幸せだろう。
「やはり貴様だったか、アグラシア。先ほどから気配は感じていたが……」
ベレスはゆっくりと振り返ると、手を振って付着した血液を払った。直後、セヴラールの両脇から二頭の召喚獣が襲い掛かる。事前に何体かの召喚獣を用意しておいたらしい。だが、セヴラールはどこまでも冷静だった。
「先に手を出したのはお前だぞ?」
一度背後に跳んで間合いの外に逃れると、同時に腰のホルスターへ手を伸ばす。身体に染み付いた感覚に従って銃を抜き、流れるような動作でセーフティーを外した。刹那、響く銃声。
放たれた銃弾は召喚獣の眉間を正確無比に貫き、光の粒子へと変える。続けてもう一度引き金を引き、残った召喚獣も消滅させた。
「どうした、ラシアイム。今更こんなもので俺に勝てるなんて思っていないだろう? 勿体ぶらずに本気を出せ。でなきゃ、次で終わる」
セヴラールの能力は『停滞』。どんなに優れた異能力者であろうとも、セヴラールを中心とした半径十五メートル以内では接続回路の励起を行えない。つまりあらゆる異能が無効化され、ASSの起動が不可能となる。
対するベレスの能力は『召喚』。魔法陣を介して、自身が想像した召喚獣を現世に具現化させる能力だ。この場合、召喚後の召喚獣はセヴラールの異能力でも消滅させることはできない。だが、召喚前ならば阻止すること自体は可能である。
これはセヴラールの能力が、接続回路のみに作用する能力ゆえだ。マナそのものに干渉できるほどの能力ではないため、マナの塊に過ぎない召喚獣にも直接的な干渉は行えない。
「終わるのはお前だ、アグラシア」
「……っ!」
静かな殺気を漏らしながら口元を歪めるベレスの様子を見たセヴラールは即座に能力を発動させ、接続回路を停滞させる。だが。
「断言してやろう。貴様の愛娘は、数分後に臓物をぶちまけて無様に死に絶える」
ベレスは余裕の笑みを崩さない。
「まさか……」
直後、大地を震わせるほどの轟音と衝撃がウェルキエル帝国学院全体に響き渡った。
「条件起動式の……魔法陣?」
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