第3話

 講堂内に新生活の門出にふさわしい少年少女の笑い声が響いている。ニーナは耳を塞ぎたくなりながら靴を脱ぎ捨て、椅子の上に足を乗せて身体を縮こまらせると膝の間に顔を埋めた。ニーナ流話しかけるなオーラ全開の体勢である。


(あぁ……うるさい)


 昔から人と関わることが苦手だ。コミュニケーションを取ることが嫌いだ。ニーナにはセヴラールさえいればそれでいいから。


(早く、戻ってきてよ……)


 そんなこと、言えやしないが。と、ニーナがよりきつく目を閉じた瞬間、大講堂に鐘の音が鳴り響いた。


「新入生諸君、静粛に! これより入学式典を開式する」


 教員が声を張り上げると同時に新入生たちは一斉に口を閉ざす。大講堂に静寂が戻った頃合いで老齢の学院長が壇上に登壇した。ニーナは顔を上げて周囲を見回してみたがセヴラールの姿は見つけられない。小さくため息をついて再び膝に顔を埋めた。隣に座っている眼鏡をかけた男子生徒は信じられないものを見るような目でニーナを見たが、ニーナは気づかないふりをする。退屈な式典は寝て終わりを待つのが一番楽なのだ。


「まずは新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。今日から皆さんも正式にウェルキエル帝国学院の生徒です。これから約六年間、学友たちと切磋琢磨しながら有意義な学校生活を過ごしてください」


 柔和な印象を与える穏やかな口調。学院長は手慣れた様子で講堂全体を見渡しながら当たり障りのない言葉を並べ立てる。どこの学校でも行われているような代わり映えのしない挨拶だった。実につまらない。ニーナは上目遣いで壇上に立つ男を見据え、男がこれまでに打ち立ててきた功績の数々を思い返す。


 十年前の首都防衛や八年前の友軍撤退支援。数多の難局を乗り越え、帝国を最前線で支え続けた優秀な魔導師であることはもはや疑いようがない。現役時代は『結界師』の二つ名を冠し、少将まで上り詰めたという。恐らく結界構築系の異能に絞ったならば、彼ほどの実力者は今の帝国には存在しないだろう。何せ後進の育成に回されてからも戦況次第ではいまだに前線へ駆り出されるほどの豪傑なのだ。


「さて、それでは時間も押していることですし前置きはここまでにして本題に入りましょう。皆さんもご存じの通り、我がウェルキエル帝国学院では実力主義と成果主義を徹底しています。そして、ここで起こることはそのすべてが自己責任です」


 弛緩していた空気が途端に張り詰める気配。わずかな間を置いて放たれた一言に、新入生は揃って息を呑む。空気の変化を敏感に感じ取ったニーナが顔を上げると、壇上の男と一瞬だけ目が合ったような気がした。


「皆さんも数年後には戦場で戦うことになるでしょう。怪我や死亡も、当然あり得ます。それが戦争です」


 セヴラールを帝国学院に招いた男。ニーナが平穏な引きこもり生活を手放す元凶になった男。完全な私怨を込め、ニーナはその双眸を真っ向から睨み返す。


「そのことを踏まえた上で、各自勉学に励んでください。私からは以上です」


 そう話を締めくくり、学院長は壇上から降りた。それを確認した教員が続きを引き継ぐ。


「ではこれより新入生には寮へ移動してもらう。事前に郵送した荷物を持って向かうように」


 教員の言葉を皮切りに生徒たちが次々と移動を開始した。だがニーナはその場を動かず膝を抱えたまま微動だにしない。ただただ目を閉じ感じ慣れた気配が近づいてくるのを待つ。どれほどの時間そうしていたのだろうか。


「セヴ、式典サボったでしょ」


 ニーナが薄目を開けるとすでに講堂には教師も含め誰一人として残っていなかった。セヴラールは一足早く回収していたらしいニーナの荷物を投げ渡しながら口を開く。


「主役はあくまでもお前らであって、俺じゃないからな。出番もねぇし。いてもいなくても同じだろ?」

「そういう問題じゃない」

「なんだ、寂しかったのか?」

「そんなわけないでしょ! なんで私が寂しがらなきゃいけないのよッ? そもそも今までどこ行ってたわけ。迎えに来るのも遅いし! それに……」


 口々に捲し立てるニーナの頭を撫で、セヴラールは苦笑した。


「わかったわかった、俺が悪かったよ。ほら、寮まで送ってやるから」

「まったく……」


 一通り文句を言って満足したのかニーナは渡された荷物をセヴラールに投げ返して立ち上がる。


「俺に持たせる気か?」

「当然でしょ、私を待たせたんだから」

「なんて横暴なんだ……」


 互いにいつもの軽口を叩き合い、寮までの道を並んで歩く。もうこうして共に歩く機会も減ってしまう可能性を考えるとセヴラールはこの時間を大切にしたかった。ニーナが自分から離れていくとは考えにくいが、やはり学院に入学した以上は同学年の友人が必要だろう。それが彼女の成長にも繋がるはずだ。


「ついたぞ、明日からは自分で起きろよ」

「無理」

「じゃあ同室の奴に起こしてもらえ」

「やだ」

「ニーナ」

「……わかってるわよ」


 拗ねた調子で言い、ニーナはセヴラールから荷物を強引に奪い取る。そして振り返ることなく寮の中に消えていった。その後ろ姿が見えなくなるとセヴラールは大きく息を吐き出す。


「あぁ……クソ。俺も子離れしねぇとなぁ」

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