召し物をお持ちしました

 窓も出入り口も無い牢のような密室は、お義兄にい様方の歩むがままに従い、石壁に穴が開いた。通じる先にあるのは、間取りからして明らかに隣接していない、長い廊下だ。

 お二人が向こうへと進んで行くので僕も着いて行く。部屋を出て振り返った時には穴が無くなっていて、石ではなく木製の壁があった。またまた不思議なことに、この壁は僕たちが歩いても、常にすぐ後ろに控えている。

 床はよく磨かれた継ぎ目のない板張りで、年輪から長生きの木を使った上等な物だと分かる。手入れされていても、足がつるつると滑ってしまわないのはプロの仕事に違いない。

 見上げれば風流に泳ぐ金魚たちが魅了してくれる。天井全面が水槽になっているのだ。鮮麗な鱗が極彩色に交じり合う様は見事、一瞬毎に再現できない芸術を生み出している。

 照明は無い。代わりになるのは、足元を蟲のように這い回る鬼火の群れだ。人の表情は見えるが、本は読めないくらいの薄暗さ。現代は夜でも部屋が明るいものだが、この家では夜はちゃんと“夜”になるのだろう。そも、常夜に朝が来るとは思えない。ここはここで、体内時計が狂いそうだ。

 廊下の奥を見通すことはできず、遠くに待ち構える真暗闇があるだけだ。両側に壁が無く、閉ざされた障子が連なって仕切ることで、この廊下を成している。


「隣のお部屋は、どんな...」


 枯葩こは家の間取りは住んでも把握できる気がしない。せめて今居る場所の隣室くらいは分かっておきたくて、障子の向こうについて尋ねる。返されたのは、咎めるように鋭いクラウドお義兄様の目だった。


「絶対に開けるなよ。何処に通じ、何が這い入って来るかも知れん」


 障子一つ引くだけでも危ないのかよ。怖いものばかりだなこの家は。もっと安全な、くつろげる住処を築けばいいのに。曰く付き心霊物件の方が何兆倍もマシだな。


「そうだ、あの話をしてあげよう」


 興が乗ったように笑みを見せて、タダシお義兄様が振り返った。一方でクラウドお義兄様は彼に湿った目を向けて、呆れを露わに言葉をかける。


「笑い話じゃないでしょうに」


「猛省してるから許してくれよ。俺が枯葩家に迎えられて、未だ日が浅かった頃の事だ」


 始まった語りに耳を傾ける。この屋敷そのものがどれだけ危険なのか、具体例で教えて下さるなら注意する上で貴重な材料になる。クラウドお義兄様が笑わないということは、余程の事態だったのだろう。


「俺は家の中で迷子になってしまって。慌てて開けたふすまが、無間むげん地獄に繋がったんだ」


 それは確か、最悪の地獄として名高い場所だ。よく分からないが、引き戸一つ隔てて地獄の底に通じるなんてことは、流石に流石に、枯葩家といえども、そう起こる惨事ではないだろう。タダシお義兄様って、もしかして...。


「業火に焼かれそうになった俺を、飛んで来た姉様が庇って下さった。父様にはこっ酷く叱られたよ」


「危うく屋敷が大火事になるところだったと聞きます。無間の業火を鎮めるために、下郎らが文字通りに手を焼いたと」


「いやはや、よく枯葩から除名されなかったものだなあ」


 ほらあ。滅茶苦茶な仕掛けをするから被害が出ているじゃないか。この家の魔境ぶり、かつて迷いに惑った百鬼霊峰の災難を思い出すから、あまり聞かない方がいいかもな。今頃マサトはどうしてるだろう?平穏に過ごせていればいいが。アユミはきっと、その逆を行っていることだろうよ。


「だがね、我が家の戸は上手く使えば、世界旅行に大変便利で――」


 ばり、ばり、べりり。

 タダシお義兄様の語りを遮って、障子の紙の彼方此方が破られていく。どういう訳だ!?開かずとも、向こうから襲い来ることがあるとでも?余りな理不尽だろうそんな。お義兄様方に問う間もなく、破れたますの一つ一つから、出目金のようにギョロギョロと粘膜を剥き出した目が僕を凝視した。


『取柄のない凡夫が、御嬢様と婚姻するだなんて本当?』


『雑草程にも映えない奴だわ。顔も捉えられやしない』


『英傑の隣に召されたところで、物酷く破滅するだけね』


 からびたしゃがれ声が容赦なく僕を嘲笑う。障子に目ありとは、言葉の通りだと怪奇な様だな。枯葩家の使用人か何かだろうが、どうやら本当に嫌われているみたいだ。ユズハさんの婿だからといって、上面だけでも丁重に扱われることはない。陰口を叩かれるよりはいいと思おう。直接の害を及ぼされることはない筈だし。


『定命に囚われた酔生夢死すいせいむし、御嬢様は何を気に入りであらせられるのかしら』


『身体でお誘いするには見窄みすぼらしいものねえ。御嬢様の靴を温めた奴の、そのまた靴を舐めていればいいのよ』


『それとも鉄棒に肉を絡め踊って、爛れた媚態でもお目に掛けたのではないの』


『ねえ』


『ねえ、ねえ』


 下卑た侮辱が垂れ流されるも、お義兄様方は気になさることなく歩いている。僕を貶める言葉の数々に同意しているのだろう。しかし、貴人の伴侶を悪く言うのは、やはり危うい事だ。もう一方への侮辱にも発展しかねないから。


「その辺りにしておけ、女郎めろうら」


 ユズハさんへの無礼は言われる前からして、クラウドお義兄様が許さなかった。あるいは、使用人たちへの慈悲なのかもしれない。どちらにせよ、彼女らは取り返しの付かない一線を越えかけていたのだろう。


「失言するところだったな。悪口は良し、寧ろ言ってやれ。こいつだけに留められないなら...」


「優秀な君らに、こんなことを言わせないでくれ」


 皆、この場で処刑する。とでも察したのだろうか。おののくような呻き声が上がると、障子の目が一斉に閉じられ、破れた紙が元通りになる。お義兄様方の仕事、僕とユズハさんの逢瀬を覗き見る無粋な奴らは居なくなったようだ。


「ボクも兄さんも甘い奴だなあ。言葉に慎重を欠くなんて、正悟しょうご兄様、父様の前なら即死だよ」


「最悪、母様の機嫌を損なって仕舞えば...考えたくもないな」


 家庭内なのに随分と礼儀を気にして、窮屈そうに聞こえる。良家にはやはり、沢山の縛りが付きまとうものなのか?家族仲はいかがだろう?新参の僕は除いて、相関図を作ってみたいものだ。話にだけ出て、お会いしたことのないお義母かあ様は、恐ろしい方なのだろうか。自ら言及する度に、お義兄様方が微かに震え上がっている。

 しかしこの廊下、何処まで続くんだ。彼此かれこれ二駅くらいの距離を真直ぐに歩いているぞ。天井に金魚を泳がせている理由が分かったかもしれない。枯葩の屋敷は広過ぎて、部屋を移動するだけでも退屈してしまうのだ。


「あった、この障子だ。次の廊下に移ろう」


 足を止めたタダシお義兄様は、目的の戸を見つけたらしい。それも通過点のような言い方であり、まだ歩かなくてはいけない。インドア派で運動不足な僕は疲れてしまって、思わず溜息を漏らしそうになるのを堪えた。


「はは、近頃の子はなよやかだ。次の廊下で姉様の寝間に行き着くから、頑張って」


 優しく笑って、タダシお義兄様は障子を引いたのだが。


「兄さん...またやりましたね?」


 通じた先に廊下は無く、月明りも星空もない、おりのように沈鬱を誘う砂浜が広がっていた。寄せる波は緩やかで、生命など棲める筈がない不浄が漂っていて、眺めているだけで時間の経過を忘れそうになる。不快すら覚える程に詰まらない。ここは何かの牢獄ではなかろうか。そうだとすれば、ナニカが潜んで――?


『夜風ノ頬食ミ水面数ウル影三飛バシ六ツしずかゆらむるはふるのいにしわたるふねはかしらこどくうたいすえはしれずにきえゆくはもんのしらべよ』


 うわごと。瞬きをした。視界がぐるりと百度回って、突風のように廊下を進んで、目に映る物が捉えられない勢いで流れて行く。確かなのは、僕を抱えて走るタダシお義兄様、隣に付いて来ているクラウドお義兄様の姿。そして...。


『かれはふみおとなしたびとよあしいらんか暮レニ金色差セバ千秋ようやクニ終ヲ得ル』


 詠い上げる調子の奇声を上げ、後方から化け物が迫っている。大まかにはシーラカンスに似た姿をしているが、腹部がナメクジのような軟体になっていて、そこから甲殻類のような太い節足が生えている。魚と比較するなら怪魚と言える程の大きさで、足元の鬼火を蹴散らし猛烈な速度で僕たちを目掛けて来る。障子の向こうの海から飛び入ったモノだ。


わざとやってるんですか!」


 クラウドお義兄様が思わずな様子で声を荒げた。タダシお義兄様は視線を余所に向ける。返す言葉もないのだろう。さっき聞いたやらかしの話で、僕は一つの直感を持った。どうやらそれが正解らしい。


「申し訳ない。だが、これが俺の良い所なんだ」


 運が悪いんだな、この人...。只の不運ではなく、雷に何度も打たれるくらいの、“大凶”とでも言うべき域にある。それを長所だとか、訳は知らないけど、無敵のメンタルと称えるべきか。


「ちいっ!大妖おおあやしの類だな。しかも神性持ちとは面倒な」


「お義兄様方でも、倒せないのですか?」


「口を慎めよ。あれしきの雑魚、駆除自体は容易たやすい」


 舌打ちしたクラウドお義兄様に尋ねると、彼は更に不機嫌を露に低い声で僕を咎める。慎めと言われても。倒せるのなら、どうして逃げているのだろう?僕の疑問に答えたのはやはり、親切なタダシお義兄様だった。


「神殺しがどれだけの厄介事か、只人には想像も付くまい」


 そんな、素人に苦労を分かってもらえない玄人風に言われましても。一般人はそもそも、神様を殺すなんて発想からしてないですからね。神社の賽銭をくすねるだけでも末恐ろしい忌避感を覚える。


「君ら風には、“罰当たり”と言うやつだ。偶像を壊しただけでも祟りを受けよう。なら、神それ自身を殺してしまえば、どうなって仕舞うか」


「天国には、逝けなさそうですね...」


 考えるのも怖気が立つので、冗談めかした曖昧な想像を答えた。しかし、冗談になっていなかったらしい。タダシお義兄様は嫌な事を思い出したように顔をしかめる。


「生きながらにして地獄へ堕ちるに等しいよ、あれは」


「神を殺して赦されるのは神だけだ」


 短く苦痛を語るタダシお義兄様に続いて、クラウドお義兄様が結論を言った。つまり、お二人はあの古代魚もどき、神様を、倒すことはできる。だが、それによって罰が当たるのを恐れているのだ。だから戦わずに逃げている。でも、不戦で解決する方法があるだろうか?このままじゃ、屋敷が騒ぎになるかもしれない。


「兄さん、責任を持って駆除して下さい。神罰で寝込んでも、ボクが看病してあげますから」


「そうなるよなあ。止む無しか...」


 覚悟を決めたタダシお義兄様が、徐々に走る速度を落としていく。クラウドお義兄様が離れ、神様が距離を縮めて来る。抱えている僕をどうするつもりだろう?誰か任せられる人が居るだろうか。僕は誘拐されて来た身とはいえ、無力なばかりで情けないと、ふと残念な気分になってしまう。


「姉様!御夫君ごふくんを」


 僕は廊下の先、薄らに灯す鬼火の只中へと捧げられるように放り投げられた。タダシお義兄様が神様を振り返り、いよいよ戦闘が始まる――。


『やれ騒がしいこと』


 ユズハさんの声が轟く。

 廊下の奥から真暗闇が、鬼火を搔き消して瞬く間に廊下を呑み込んだ。

 極寒の微風が晒す肌を撫でる。目が潰れたのかと錯覚する黒塗れの虚。ぽつりと浮かんでいる、否、空気にも受け止められずに落ちている、分からない。気を狂わせる恐ろしい冥々。でも、僕にはとても優しい空間だ。母親に抱き締められているような平穏を感じる。

 闇が晴れつつあることに気が付く。本当にゆっくりと、視覚が機能を取り戻していく。色が見えるまで何分も、明瞭になるまでは何日も掛かっただろうか。しかし、実際には十も数えない間の出来事だったのだろう。


「ようこそ御越し下さりました、我がぼうへ」


 数畳程の間を空けて、僕の前にユズハさんが座っていた。運転して来た都合から着ていた礼服から、普段の和服姿に着替えている。素人目でもわかる上等な正絹しょうけん仕立ての着物には、骨になって尚泳ぎ続ける小魚の象形が描かれていて、華やかさが感じられないながらも耽美的な趣を醸し出す。艶のある深い茶髪と、秘められた宝石を思わせる真青な瞳が醸し出す威風が、高級な装いを贅沢とは感じさせない。服に負けていないのは当然の事、彼女ならば、例え無地の布切れ一枚であろうと天衣も同然に着熟すだろう。

 起き上がって見回すと、先ず部屋の広さに圧倒された。古代中国の神殿か王室の如しだ。普通なら何部屋、何階にも区切って使うような空間を、私室として独占するなんて規格外。

 内装の意匠も途轍ない。殊更ことさらに挙げるべきは、壁と天井一杯に描かれた、白と黒の曼荼羅まんだら模様。訳の分からない幾何学に従って描き上げられたこれが意味するのは、世界の真理か。説明されずとも分かる程に強烈な心象がある。森羅万象を左右する英傑たちの抽象画だ。絵の中の何処かに、ユズハさんも描かれているのかもしれない。


「召し物をお持ちしました」


 僕の手前で、お義兄様二方がユズハさんに平伏へいふくしている。最大限の礼儀を払いながらも、召し物と、クラウドお義兄様はやはり僕を情夫として扱うようだ。


「御苦労。義弟とは仲良くなさい」


「可及に善処致します」


 慕う姉から言われても、僕への侮蔑は揺ぎない。枯葩家が、使用人まで皆このように僕を嫌っているとしたら、認められるなんて当分先の夢だ。生き残ることを第一に考えなければならないだろう。新婚生活は大変なことになりそうだ。


「二人で交わす睦言むつごとがあります故、下がるとよろしい」


御緩ごゆるりと」


 タダシお義兄様が一言挨拶を残し、お二人は霧のように姿を消す。広い部屋を占めるのは、ユズハさんの巨大な存在感と、ダニのようにちっぽけな僕の命、二つだけになった。その筈なのだが、彼女はまだ僕と目を合わせずに、誰か追い出すべき邪魔者を見据えている。


「逃がして差し上げようと言うのに、分別なき駄神が」


 荒波が打ち寄せたが如き破砕音と共に、天井で暗闇が弾け、さっきのシーラカンスが姿を現した。節足を突き立てて逆さに佇み、白濁した目でユズハさんを睨んでいる。


『水打テドモ暗ガリニ慰メ無シこどうのねはなんぴとのつづみもたたくことあらずや』


 異形の神の脚が天井を引っ掻く――念仏を唱えるような抑揚のない怪文と共に、ユズハさん目掛けて飛び掛かった。

 神様の動きにしては、随分とゆっくりだ。着地するまでの間に茶を淹れられるだろう。この時間はどうなっている?神様の一挙手一投足が遅くなっているのだ。

 いやそれよりも、神様にどうやって対処したらいいんだ?殺せば凄惨な罰が下ると言う。地獄の苦痛にユズハさんが苛まれるなどあってはいけない。なのにユズハさんは、一向に頓着しなかった。彼女が神様に向かって手を伸ばす。


「待って、止めて下さい...」


 ユズハさんは見向きしてくれなかった。巨大な手をかたどった青白い霊体のようなものが現れる。しなやかな女性のそれであり、ユズハさんの手をそのまま模して拡大したものだ。鈍々のろのろと向かって来る神様を手が捕え、粘土でも弄ぶように握り締めた。


.........』


 骨が粉微塵に砕けていく残酷な異音。神様の絶え絶えな断末魔と共に、血のあぶくが口から噴き出した。僕はこの神様の名前も、どんな恵みや災いをもたらすのかも知らない。ただ、一つの自然を司る圧倒的格上には違いない。ソレが呆気なく、虫けらのように潰されてしまった。後には一片の骨も残らない。全身の髄まで液状化した死骸が床に降って落ちるが、絨毯に触れた途端、灼熱の鉄板を濡らした僅かな水滴の如く瞬時に干上がってしまった。


「大丈夫、なんですか...?」


 神殺しを犯してしまった。しかし、ユズハさんは苦しんだりしていないし、祟られている様子はない。彼女は僕を見つめ返して微笑んでくれる。いつも通り、超然としたかおだ。


「少し、くすぐったいだけです。さて、儀礼の前に務めを済ませてしまいましょう」


 ユズハさんが整った姿勢を更に正す。勿体ない程の誠意で、何かを伝えてくれるようだ。


「マコトさん。この数刻は突然の事ばかりで、大変に混乱させて仕舞い、御免下さりませ」


 目を伏せて謝罪されたものだから、僕は内心大慌てになった。恋人とはいえ、ユズハさんは遥かに格上の人だ。僕如きに正式な謝罪をするのはいけない。もしこの様を、枯葩家の誰かに見られようものなら、僕は本当に殺される。


「僕は貴女を信じていますから、どうか謝らないで。只、事情を説明して頂けさえすれば」


「ええ。全てお話し致します。短いものではありませんので、どうぞ楽に」


 僕は言われた通り正座を崩すも、ユズハさんは硬い姿勢のまま、謎解きの語りを始める。全てが明かされるのか、それとも分からずじまいが残るのか。どちらにせよ、現世うつしよを越えた真暗闇が、少しは歩きやすくなるに違いない。

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