魔女の愛

holin

魔女の愛 本編

「ただいま帰りました!」


 溌剌とした声と共に、木製扉が開かれる。その声の主は、黒髪のボブカットが良く似合う少女だった。


「おかえり、ユイ。薬草は見つかったかい?」

「はい、師匠! たくさん採れました!」

「どれどれ……」


 師匠と呼ばれた女は、藤色のロングヘアーをしており、年は二十歳ほどに見える。そんな彼女が、ユイから受け取った植物を一つ一つ確かめていく。その眼はすべてを見透かすようで、その仕草はどこか美しさがあった。


「……ユイ、そんなに見つめなくてもいいだろう? 私に見惚れているのかい?」

「ち、違うんです、その。あっ、リケさんが美しくないと言っているわけではなくて、えっと」

「ふふっ、そんな慌てなくてもいいだろうに。それと呼び方。また戻っているよ」

「あっ! すみません師匠!」


 ユイの言葉にリケは満足そうに頷き、再び手元の植物に目を落とす。


「おや、これはダメだね」

「えっ! ホントですか?」

「ああ、ここを見てごらん。少しざらつきがあるのが分かるかい?」

「……あっ、ホントだ」

「これは今回指定した薬草とは別の薬草だね。でも他はちゃんと合っているよ。初めての採取にしては上出来さ。よくやったね」


 リケはそう言って、ユイの頭を撫でた。ユイは少し不満げな表情を見せたものの、次第にそれも和らいでいった。


「髪もさらさらでいい感じだね。さすが私の薬を使っているだけはある」

「ん? それって私、褒められています?」

「もちろんだとも」

「……まぁ、いいですけど。師匠の髪も綺麗ですよね。私もいつか師匠みたいに髪を伸ばしてみようかな?」

「――それはダメよ、ユイ。ユイにはこの髪型が良く似合うから」


 いつになく真剣なリケの面持ちに、ユイは一瞬言葉を詰まらせる。


「……え、私そんなに長髪が似合いませんかね?」

「絶対にこっちの方が良いさ。これ以外の髪型なんて考えられないね。せっかく可愛いんだからこのままにしときなさい」

「えぇ……」


 口ではそう不服そうに言ったものの、可愛いという言葉に少し照れた表情を見せるユイ。リケはそんなユイを尻目に、棚から器具を取り出していく。


「さて、今回はユイのために、杖なしで薬を作ってみせようかね」

「おー! ついに魔女の秘技を?」

「風邪薬を作るだけだけどね」


 リケはユイが採ってきた薬草を手に取り、器具ですり潰していく。


「次からはユイにもやってもらうから、よく見ておきなよ」

「はい!」


 その後も淀みなくリケは動き、あっという間に完成となった。


「久しぶりに杖なしで薬を作ったけど、まぁまぁの品質だね」

「さすが師匠! 途中から何やっているか全く分かりませんでした!」

「それじゃあ困るんだけどねぇ。まぁ、このぐらいユイならすぐ出来るようになるさ」

「頑張ります! たくさん頑張って私も、師匠みたいな魔女になります!」

「……嬉しいことを言ってくれるね。でも、魔女になるのは、簡単な事じゃないよ?」


 魔女――それは、選ばれし人間。杖を振るう彼女らに敵う魔法使いはおらず、倍の寿命を持つ彼女らは、魔の深淵を覗き得る。


「前にも言ったけど、魔女になるためにはまず学園に入る必要がある。これだけでも難しいのに、入学しても魔女になれるのは半分以下。そして残りは――」

「――死んでしまうんですよね?」

「その通り。それでも魔女を目指すと?」


 リケが試すようにユイを見つめる。しかしユイはあっけらかんと答えた。


「もちろん。私を拾ってくれたのは師匠で、私は師匠の弟子ですから。魔女を目指さない理由はありません」

「……そうかい」

「というか、このやり取りこの前もやりませんでした?」

「大事なことは何回言ってもいいんだよ、覚えておきな。それにユイはまだ十歳かそこらだろう? 今後、心変わりするかもしれないからね」

「そんなことないですよーだ」

「はいはい、拗ねないの」

「拗ねてません!」


 ――それから五年ほど時が経ったある日のこと。


「ユイ、準備はできたかい?」

「問題ないです!」

「そうかい。それじゃあ行こうか。学園へ」


 ユイは成長し、学園入学の試験を受ける日になった。ユイの背は伸び、体つきもいくらか大人らしくなっている。一方でリケの容貌は変わらぬままであった。

 二人が住んでいた家を出ると、リケはユイと手を繋ぎながら浮遊魔法を行使する。空へと高く舞い上がった二人は、時に野鳥と並走しながら、とある街へと向かった。


「学園の場所は特殊でね。例年一人の魔女が、受験者全員をまとめて送り出すことになっている。今回は私が担当って訳さ」

「その担当の魔女って、どうやって決めるんですか?」

「だいたいは固定さ。今回はユイが行く年だから、代わりに私が務めるだけだね」

「わざわざありがとうございます」

「弟子のためだからね」


 ユイとリケが到着した時には、すでに何人もの人々が待機していた。みな、いずれも馬車を用いて赴いているようで、空から降りてきたユイたちは注目を集めていた。


「わっ、あの馬車特に豪華ですね」

「ん? ああ、あれはこの国の王家の馬車さ。確か第六王女が試験に参加すると聞いているよ」

「王女様! 私、そんな人と関わって大丈夫でしょうか?」

「どういうことだい?」

「いや、だって私、礼儀作法はそんな勉強していませんし」

「ああ、心配ないさ。それに私も王家ぐらいの力はあるからね。立場は同じようなもんさ」

「……師匠ってやっぱり凄いんですね」

「ああ、凄いんだよ、私は。――おや? どうやら珍客が来るようだね」

「え?」


 リケは後ろを振り返り、ある一点を見つめる。その瞬間、リケの目の前で、金属同士が衝突したような、耳をつんざく音が響く。光が飛び散り、衝撃が地面を揺らした。


「これはこれは、ご挨拶だね」

「――チッ、私を案内した魔女じゃねぇのかよ」


 その場に現れた彼女の手には、杖があった。そう、彼女もまた、魔女である。


「それで、一体君は何をしに来たんだい?」

「決まってんだろ。あんたを殺しに来たんだ」

「なるほど。同じ魔女として、事情もだいたい察しは付くが――君ごときが私を殺せるとでも?」

「はっ! そんなもん、やってみなきゃ分からねぇだろ!」

「今日は、弟子の門出なんだ。さっさと終わらせよう――おいで『■■』」


 リケが杖の名を呼び、召喚する。そしてそれと同時に、凄まじい威圧感が辺りを襲った。ユイもまた、条件反射的に体をピクリと反応させる。


「……てめぇ今なんて言った? 弟子、とか言わなかったか?」

「ああ、そうだとも。ユイは私の可愛い弟子さ」

「……おいおい、正気かよ。でも、ちょうど良かったかも知れねぇな。これで私も心置きなくてめぇをぶっ殺せる」

「君、魔女になってまだ一年ってとこだろう? 格の差を見せつけてあげよう」


 こうして突如始まった殺し合い。それは二人の独壇場。ただの魔法使いが魔女に対抗できるはずもなく、周囲の人間はただ呆然とした様子で眺めることしかできなかった。

 だが、逃げようとする者は居なかった。誰の目で見ても、リケの言う通り、格の差は明らかだったのだ。リケが攻撃魔法を使うごとに相手は傷が増えていき、逆に相手の攻撃魔法はあっさりと無効化されてしまう。まさに完封。流れ弾の心配も無いほどに安定感があるその戦いは、あっという間に決着を迎えようとしていた。


「――辞世の句を聞いてやろう」

「はっ! クソくらえだ!」

「……そうか」


 そう言ってリケは、彼女の首を刎ねた。命の灯が消え、同時に杖もまた消滅した。


「お待たせしたね」

「……色々聞きたいことはあるんですけど、とりあえず一つ。なんで杖も消えたんですか?」

「魔女と杖は魂のレベルで繋がりがあるのさ。魔女が死ねば、杖も消える。そういう摂理になっている」

「へー」

「薄い反応だね」

「いや、ちょっと抽象的だったので」

「魔女になれば嫌でも分かるさ」

「なるほど。にしても師匠やっぱり強いんですね。年の功ってやつですか?」

「誰が婆さんだって? え?」

「そこまで言ってないですよー」

「ふーん、まぁいいさ――さて諸君、学園へ向かおうか」


 リケはそう言って杖を振るうと、何もなかったはずの空間に真っ黒な穴が生まれた。


「何ボケっとしてんだい。受験者はさっさと行きな!」


 リケの鶴の一声で人々は動き出し、素直に穴へと向かって行った。先ほどの攻防を見て、リケに反抗する精神は誰も持ち合わせてはいなかったのだ。


「おっと、あんたらは入っちゃいけないよ。ここから先は受験者のみが行けるのさ」


 受験者の付き添いをしていた人たちに、リケはそう告げる。


「もし落ちたらすぐに帰還。もし受かったらそのまま入学。受験内容も授業内容も詮索無し。そういうルールなんだ。知っているだろう?」


 すべての受験者が穴を通り、最後にユイとリケがその穴をくぐった。

 穴を抜けるとそこは森の中だった。そんな彼女らを迎える女が一人。耳が長く、その容姿はまさに絶世の美女。受験生全員が初めて見る、エルフ族であった。


「よく来ましたね、みなさん。今回の受験及び合格後の授業を担当する、エルフ族のピクと申します。まずは契約を結びましょうか」


 ピクはそう言うと魔力を放ち、受験者全員へと行き渡らせた。


「契約内容は三つです。一、学園内の情報を第三者に伝えることを禁ずる。二、私たちエルフへの攻撃を禁ずる。三、自死を禁ずる。この契約に同意できない方は、記憶を消したのちにお帰りいただきます。さてみなさん、同意しますか?」


 一方的にピクはそう告げた。あまりにも唐突で、それでいて重要な選択が受験生へと突きつけられる。そこで受験生のうちの一人が挙手をした。


「質問、よろしいですか?」

「ええ、どうぞ」

「ありがとうございます。では、この契約はどのような意図によるものか、お聞かせ願えますか?」

「この学園は私たちエルフ族が管理しているのですが、ヒト族のみなさんからすると、私たちの容姿は非常に優れているようなのです。昔はそれが原因で、エルフ族を奴隷にしようと考えるヒト族も居りました。ゆえに今では、私たちの存在を秘匿しているのです」

「ありがとうございます。さらに、自死を禁ずるという契約の理由も教えていただきたいです」

「魔女には生半可な努力ではなることができません。その分過酷な修練を要求するので、昔は自死される人も多かったのです。これで答えになりましたか?」

「……はい、ありがとうございます」

「さて、他に質問がなければ契約を進めたいのですが、同意しない方はいらっしゃいますか? ……いないようなので、契約を実行します。はい、完了です」

「え、こんな短時間で?」


 契約魔法自体は、ありふれた魔法である。しかし、契約の対象が一人であっても、数十分かかるのが一般的である。そんな契約魔法をあっさりと複数人相手に同時に、それでいて瞬く間に終わらせたピク。これだけで魔法の技量が、まさに神の領域に達していることは容易に想像できた。


「さて、学園入学にあたって試験が行われると聞いているでしょうが、内容は単純です。才能があるか否かを私が見極めるだけです。では、試験結果をお伝えしますね」


 ピクがそう言うと、受験生の八割が一瞬で姿を消した。


「はい、不合格の方々には帰還していただきました。つまり、今ここに残っている方々は合格です。おめでとうございます」

「……あ、私受かったんだ」

「おめでとうユイ」

「ありがとうございます、師匠。でも、ちょっと拍子抜けですね」

「私が付き添うのはここまでだから、ここで一旦のお別れだ。また四年後、生きて会えることを楽しみにしているよ」

「え、もうお別れなんですね……次会うときは、立派な魔女になっていますから、期待していて下さいね」

「ああ、期待しているとも。それじゃあ、またね」


 リケはそう言って、元居た場所へと帰還した。


「さて、担当の魔女の方もお帰りになったので、今から入学に関する説明を行います。まずは、バディの発表です」


 ピクがそう言うと、受験生たちは二人一組になるように、位置が移動させられた。


「今近くにいる相手が、みなさんのバディです。これからそのバディとともに暮らし、学び、そして卒業を目指していただきます」


 ユイのバディは、青みがかった銀髪を腰辺りまで伸ばしている少女だった。ユイが少女に話しかける暇もなく、ピクは説明を続けた。


「現状みなさんは、半人前にもなっていないひよっこ同然です。これからの授業を通じてマシな半人前となり、二人で立派な一人前を目指してください」


 新入生はみな、これまで懸命に努力を重ねてきた者たちである。それでも「ひよっこ」と称される現状に悔しさを覚える者が多い中、ピクはさして気にした様子もなく説明を続ける。


「さて、今みなさんの目の前に浮かんでいる地図のうち、光っているのがこれからバディと暮らしていただく寮の部屋です。扉はみなさんの魔力を認識して開錠できるようになっています。その部屋に今後の流れについてまとめられている書類があるので、今日はそれを理解するように努めてください。明日からの授業を楽しみにしています。それでは、解散」


 ピクはそう言い切ると、次の瞬間には姿が消えていた。


「……一旦、割り当てられた部屋に向かいますか? あ、私はユイって言います。これからよろしくお願いします」

「私はケオンと申します。こちらこそよろしくお願いします。それと、私に敬語は必要ありませんよ、ユイ様。ユイ様は、かの魔女のお弟子様なのですから」

「いやユイ様って、確かに私は魔女の弟子だけど……その豪華な服を見る限り、あなた貴族じゃないの?」

「ええ、お察しの通り、私は第六王女という身分を持ちます。ただ、この学園ではただのケオンとして接して下さいまし」

「ああ、君が……うん、じゃあお互いに敬語は無しにしよ? これから私たちはバディになるんだし。敬語だとやっぱり距離を感じちゃうから」

「そうですね。じゃなくて、そう、ね?」

「なんで疑問形?」

「実は私、敬語を使わない喋り方になれていなくて」

「じゃあ、これから慣れていこっか。ケオンって呼んでいい?」

「ええ、もちろん。では、私もユイと呼びますね」

「もっと砕けて」

「あ、えっと、ユイと呼ぶね?」

「うん、そっちのがいいよ! ところで、バディって何するんだろうね?」

「さぁ? 私も初耳なので。とりあえず部屋に向かおっか、ユイ」

「そうだね、ケオン」


 こうして始まった二人三脚の修行の日々。ユイは今年の新入生のうち唯一の魔女の弟子であり、やはり魔法や薬学の知識が誰よりも豊富だった。一方でケオンは礼儀作法や政治などの分野に関して精通していた。

 普段の授業と課題についてはユイがサポートを行い、それ以外の時間でケオンが社会について教える。そんな形が自然と形成されるまでに、あまり時間はかからなかった。


「ケオン、そろそろ粗熱も取れたよ」

「じゃあクリームを塗っていこっか」


 この日、ユイとケオンは共用の調理場を借りて、ケーキを作っていた。バディ結成から一年経ったことを祝うためである。


「……うん、初めて作ったにしては上出来じゃないかな。ケオンもそう思うでしょ?」

「そうね、フルーツの飾り付けもいい感じよ」

「忘れないうちに転写するね」


 ユイはじっとそのケーキを見つめ、手に持つ紙に魔力を通す。紙にケーキの絵が浮かび上がり、十秒ほどで魔法は完了した。


「よし、完成。あとでアルバムに入れとくね」

「お願いするわ。それじゃあ、切り分けて食べよっか。六等分にするね」

「おっけー」


 ケオンは慎重に、切断魔法を行使する。その断面は鮮やかで、下の皿には傷がつかないように制御されていた。


「私もそこそこ魔法が上達したわね」

「それは間違いないね。ケオンも私も確実に力はついている。まぁ、ピク先生に比べるとまだまだだけど」

「エルフ族の先生と比べるとどうしてもね。さっ、皿に移したわよ」

「ありがと! いざ、実食!」


 パクリと二人はケーキを口にする。


「……うん、まぁまぁだね」

「まだまだ上達の余地はありそうだけど、十分に美味しいと思うわ」

「舌の肥えた王族にそう言ってもらえると安心だね」

「別にそこまで肥えているつもりはないけどね」


 そこでユイは少し間を置き、気恥しそうに口を開いた。

 

「……でも、こうやって友達とスイーツを作ったのは初めてだったから、楽しかったよ。いつもありがとうね、ケオン」

「ふふっ、急に改まっちゃって。でも、私も対等な友人はユイが初めてだし、ユイがバディで良かったと思っているよ」

「照れるなぁ。……ねぇ、ケオン。ケオンはなんで魔女になりたいと思ったの?」

「今更ね」

「聞く機会が無くて」

「ユイはどうして?」

「……私ね。魔物の襲撃で、私を知る人間と、私の名前以外の記憶を失ったの。私自身も死にそうだったんだけど、奇跡的に師匠に拾ってもらえて。だから、私も師匠みたいな魔女になるんだって思ったの。私も誰かを助けられるような魔女になりたい」

「そっか……」

「私を産んでくれた親の顔も名前も覚えてないのはちょっと寂しいけど、その代わり師匠が私を育ててくれたから大丈夫なんだ。今では友達もできたしね。それで、ケオンはどうして魔女になりたいと思ったの?」

「私は……やっぱり秘密にしとく」

「えー、私は話したのに?」

「ごめんね。でも約束するわ。私が魔女になった時には、教えるって」

「もう、仕方ないなぁ。約束だよ?」

「うん、約束」


 ――それからさらに三年の月日が流れた。ユイとケオンは少女と呼べる年齢ではなくなり、魔法のレベルもすでに、魔女を除く魔法使いではトップクラスのものとなっていた。そしてついに明日は、最終試験日。これに合格すれば、晴れて魔女の仲間入りとなる。

 初めてケーキを作った日から、ケーキ作りは毎年の恒例となっていた。少しずつ二人のこだわりが増えていき、徐々にそのクォリティも上がっていく。そしてこの日も、明日の「合格祝い用」としてケーキを作成し、すでに冷蔵庫へ移していた。


「明日、食べるのが楽しみだね、ケオン」

「ちゃんと合格祝いとして食べられると良いけど」

「……入学の時みたいに、試験形態が発表されてないの、良くないと思うんだ」

「今更ね、ユイ。でも、気持ちは分かるわ。バディで受けるとは言われているけど、実際何をするのかしら」

「もしかしたら、入学の時みたいに、ピク先生が一瞬で合否を決めるかも」

「それだったらどんなに良いか……」

「不安?」

「ええ、正直不安しかないわ」

「大丈夫だって。私たちは同期の中でもトップの成績なんだよ? それに試験はバディで挑むんでしょ? 私たち二人なら、どんな試験だって大丈夫だよ」

「……そうよね、うん、きっとそうよ」

「ちょっとは自信がついた?」

「ええ……でも、えっと……今日は一緒に寝ない?」

「明日、寝坊したら大変だよ?」

「分かっているわよ……ダメ?」

「ダメなわけないじゃん。おいで?」


 翌朝、ユイとケオンは教室で待機していた。同期のバディたちが一組ずつ呼ばれ、試験会場へと向かって行く。どうやら成績順に呼ばれているようで、ユイとケオンは最後まで教室で待機をしていた。


「ユイ、ケオン。最後はあなたたちの番です」


 ユイとケオンは立ち上がり、ピクの後についていく。四年目にして初めて見る通路を眺めながら、ユイとケオンは気持ちを整えていった。


「会場は少々特殊な場所ですので、今回はこの転送陣を用いて、あなた方を送ります。準備はよろしいですか?」


 ユイとケオンは向き合い、強くうなずいた。


「結構。それでは健闘を祈ります」


 転送陣から光があふれ、ユイとケオンは反射的に目をつぶった。そしてユイが目を開けると、なぜか椅子に座っている状態だった。


「……闘技場?」


 観客席が環状に広がり、そこには多くのエルフが集まっている。ユイは中央舞台のすぐそばの座席に着席しており、一方でケオンはその舞台中央に呆然とした様子で立っている。


「――さぁ、いよいよ本日最終イベント! 今年の首席が悪夢へと挑戦だ!」


 その宣言に、わっ、と会場が湧く。その様子に、得も言われぬ悪寒を覚えたユイは、立ち上がり、ケオンの元へと向かおうとした。


「えっ、椅子から動けない? ……嘘、魔法も使えない」

「そういうものですから」


 いつの間にかピクがユイの隣に座っていた。


「さて、まずはおめでとう、と言いましょうか」

「どういうことですか?」

「ユイ、あなたは合格です。この試験が終われば魔女の仲間入りですね」

「……ケオンは、どう、なるんですか?」

「見ていれば分かります」


 ピクはもう話すことはないとばかりに、視線をケオンへと向けた。


「――今年の首席は、どこまで耐えることができるのか! 三十秒以内が一番人気で、オッズも低いものの、中には五分以上に賭けているギャンブラーも居るぞ! さぁそれでは、悪夢の入場です」


 突如闘技場中を襲う、禍々しい魔力。ユイが冷や汗を流しながらそちらへ目を向けると、そこには真っ黒な何かが存在していた。口のようなものと、それを覆う無数の触手たち。見ているだけで気が狂ってしまいそうな存在であった。


「――これより悪夢を開放します! 今年の首席の、えっと……ケオンさん! 頑張って長く生き残ってください! では始めっ!」


 悪夢を縛り付けていた鎖が解かれ、悪夢は目の前の得物を本能のままに襲う。スパンッ、という破裂音と共にケオンは吹き飛び、闘技場の壁へと衝突した。


「……っ! 危ないとこだったわ。まだよく分からないけど、要はあれを倒せばいいのね」


 攻撃が当たる直前に防御魔法が間に合ったのか、ケオンは辛うじて無事だった。そしてケオンは身体強化魔法を用いて、ステップを刻みながら、魔法の準備を行う。そんなケオンをじっと悪夢は見つめていた。


「いけっ!」


 ケオンは火炎魔法を用いて、悪夢へ炎をぶつける。しかし悪夢にはさして効いた様子はない。ケオンがめげずに、次の魔法を準備しようとしたその瞬間、ケオンの態勢がぐらりと崩れた。


「え……っ!」


 数瞬遅れて、ケオンは突き刺すような痛みに、声を詰まらせる。いつの間にかケオンの右足が無くなっていたのだ。ケオンが悪夢に目をやると、そこには自分の右足を咀嚼する悪夢が居た。


「あっ、あぁあああッ!」


 絶叫。右足をもぎ取られた痛みを紛らわすように、ケオンは声の限り叫ぶ。


「あーあ、こりゃダメだな」

「今回は足からか、ツイてないなぁ」


 そんな落胆したような声が、観客席からはあふれていた。


「……! ……!」

「ああ、ユイ。あなたの声は外に漏れないように魔法をかけているので、そう無駄に叫ばないでください。ふふっ、涙を浮かべながら睨んだって変わりませんよ」


 ケオンは魔法で止血し、片足を失った状態ではあるが、立ち上がることに成功する。しかし、その顔色は青く、かなり無理していることが分かる。魔法を行使しようと魔力を集めるものの、痛みからか集中が叶わず、魔力はそのまま霧散してしまっている。

 次の瞬間、次はケオンの左腕が消えた。痛みにより再びバランスを崩し、ケオンは地面に倒れ伏した。そして同様に、悪夢はその腕を咀嚼していた。

 さらに左足が消えた。これでもう、足を使って逃げることはできない。ゆっくりと、されど確実にケオンの生命は削られていく。

 残っている右腕でケオンは必死にユイへと手を伸ばす。すでに声も出ず、ただ口が動くのみである。


 ――ごめんね、ユイ。


 ユイは必死に椅子から飛び出そうと試みるが、その一切が効果を発揮せず、ただケオンが喰われる様子を眺めることしかできなかった。

 ケオンがユイへと伸ばしていた右腕、それすらも悪夢にもぎ取られてしまった。

 最後に悪夢はケオンの身体に触手を突き刺し、自らの口元へと持っていく。そのままぐしゃりと、悪夢はケオンをかみ砕いた。血が噴水のように噴き出し、地面を真っ赤に染めている。


「ここで試験終了だー! 結果は一分と三秒! 途中しっかりと錯乱させるような動きがあったことが、この好成績に大きく貢献したのではないでしょうか!」


 ケオンが喰われた。その過程の全てを、ただ傍観せざるを得なかったユイは、まさに茫然自失といった表情を浮かべていた。


「違う、ケオンは死んでない。今はいないだけ。またいつも通り、ケオンと会える。これは夢。目が覚めたらケオンは生きている。ケオンは、ケオンは――」

「……さて、ではケオンを回収しましょうか」


 そんなユイの様子は全く意に介さずピクは魔法を行使し、悪夢を封じた。その後ピクは、その場に生み出されていた固体を集め、さらに一見何もないように見える空間を結界で覆い、それらをユイの目の前へと持ってきた。

 ユイは自然とそれらに目を向ける。


「これらはケオンだったものです。これらによりユイを魔女にします」

「え……?」

「少し痛みますよ」


 ピクはそう言って、魔法を行使する。自らの根幹が変容するような、耐えがたい痛みがユイを襲う。


「ケオンの魂を用いて、ユイの魂を拡張します。これで器が今の二倍ほどになりますね。ヒト族にしては破格です。まぁ、エルフ族からすると微々たるものですが。そしてさらに、悪夢から排出された高純度の素材をもとに杖を作成しますね」


 ユイは痛みに苛まれており、ピクの言葉の一切を理解していなかったが、そんな様子を気にせずピクは魔法を進める。


「……完了です。これであなたも、杖持ちの魔女の仲間入りですね。おめでとうございます」


 ……耐え切れず、ユイは胃の中身をひっくり返した。

 だが、どんなに現実から目をそらしても、ユイは常にケオンを感じられるようになっていた。


「――『ケオン』」


 その呼びかけと共に、杖がユイの手元に現れる。ユイにとっては馴染みのある魔力の雰囲気。まさに、ケオンそのものだった。しかしそれに、温かさを感じることはできなかった。


「お疲れ様でした、ユイ。これで学園は卒業ですね。部屋の荷物を持って、元居た場所に帰省していただいて構いません」


 言われるがままに、ユイは寮へと戻った。今日が最終試験日であり、卒業日になることは聞かされていたので、荷物は既にまとめられており、部屋はすっきりとしていた。

 何気なく共用の冷蔵庫を除くと、そこには昨日、ユイとケオンが作ったケーキが存在していた。


「あぁ……!」


 堰を切ったようにユイは涙を流した。どうしようもない理不尽さや、何もできなかった自分に対する怒り、悲しみがあふれて止まらない。されど、入学当初の契約により、エルフ族に危害を加えることもできず、自ら命を絶つこともできない。

 そしてユイは、自らを拾った魔女、リケの元へと向かうことを決めた。


「――おかえりユイ。無事に魔女になれたようだね」


 虚ろな瞳で、ユイはリケを見る。


「師匠。いくつか、聞きたいことがあります」

「いくらでも答えてやるとも」

「なぜ、私が生き残っているのでしょう」

「それは、ユイの魂の器が、ユイのバディよりも大きかったからだね。より大きいほうに吸収する仕組みなんだ」

「なぜ、私は魔女を目指したのでしょう」

「それはユイがそう望んだからだね」

「――それは本当に私のことですか?」

「ふふっ、さすがに察しが良いね」


 リケは愉快そうに笑みを浮かべる。


「では最後に。私を拾ったのは本当に偶然でしたか?」

「そんな訳ないさ。世界中を探して一番近かったのが君なんだよ。でもそうだね。卒業祝いとして、君から預かっていたものを返してあげようか」


 ――おいで『ユイ』。


 リケはそう言って「杖」を召喚した。

 続いて魔法を発動し、ユイの記憶にかけられた鍵を解き放つ。


「……あぁ、どうして忘れていたんだろ。お父さんのことも、お母さんのことも。ああ、どうして私は、こんな悪魔を師匠と慕っていたんだ!」


 記憶と共に蘇る喪失感。目の前で両親を失ったその情景が、ありありと頭に浮かんでくる。


「力を貸して『ケオン』!」


 そうしてユイは、リケを殺した。





「ユイ師匠、ただいま帰りました!」


 溌剌とした声と共に、木製扉が開かれる。その声の主は、青みがかった銀髪を腰辺りまで伸ばしている少女だった。


「おかえり、ケオン。薬草は見つかった?」

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