あたしの、春は。

豆ははこ

二人の、春。

 終われ、終われ、終われ。

 あたしにとって、春はそんなものだった。

 早く終われ、なろくでもないもの。


「こんなにかわいらしい女の子に生まれたんだから、かわいらしいものを着なくちゃね」

 一年のなかでも、とくにたくさんひらひらとしたものを着せられる、そんな、嫌な季節。

 フリルやレース。あの感触は、嫌い。

 春の服にはとくに、あたしを刺してちくりとさせるあいつらが、多く生息していた。

 ちくちくなら、あたしは春の公園の茂みに突っ込んで、毛虫に刺されてみたかったのに。

 かわいらしい外見、外見に合う、かわいらしい服装。

 かわいらしい、が身内の欲目ではないことが、不運となることもあるのだ。

 あの人に着飾られて歩いていたらスカウトされた、キッズモデル。

「あのキッズブランド? すごいわ!」

 スカウトさんからもらった名刺を握りしめ、はしゃぐあの人を冷ややかに見つめながら。

 あたしは、スカウトってほんとうにあるんだなあ、と思っていた。

「どうしたい?」

 一応は形式的に確認された、我が子の意思とやら。

 お給料のためのあたしの口座を作ってくれるなら、と引き受けた。

 実際、中学校卒業までは、仕事があるからと言えば他人と深く関わらなくてすむので、楽だった。

 仕事、勉強、たまに学校。

 その間に、あたしは、だんだんと身長が高くなり。

 キッズブランドには、似合わなくなれた。

 あの人は、悔しがった。

 あたしは、ここがチャンスだと思った。

 あの人の意識を、キッズモデル仲間から聞いた、今どき、スマホが校内では禁止という名門女子高へとうまく誘導したのだ。

 モデル業は、休止したけれど。

「あの名門女子高に合格できたなんて!」  

 それは、あの人の母親としての顕示欲を刺激したらしい。

 勉強と、高校は、楽しかった。

 スマホの自由はないけれど、逆に、アイドルや配信者も、わりと自由な女子高生ができる名門女子高。

 自称ではない、もと有名キッズモデルくらいなら、大して目立たなかった。

 勉強していたら、大学は、指定校推薦が取れた。

 遠方なのが、よかった。 

 あの名門女子高から、あの大学に!

 あの人には、嬉しい春だったらしい。


 家を出られる、春の日。

 花粉が飛び散り、黄砂がふいても、爽やかな日。

 あの人は、見送りなどしない。

 予想どおりだ。

 他人の目が存在しないときは、あの人は母親を演じないから。

「今まであたしがあの人の面倒みたんだから、あとはよろしく。父さんには連絡してる、でなんとかなるでしょ」

 そう伝えたら、笑えていない笑顔が返ってきた。

「分かった。今までほんとうに、悪かった。あいつには連絡しなくていい。いや、するな。お前は自由になれ」

 そう、言われた。

 父さんは、自由にならないの?

 そうきいてあげられるほどの余裕は、あたしにはなかった。

 その代わり。

 お互い、見た目がいいのが辛いよな。

 そう言っていた、父親の目を、じっと見て。

「じゃあね」

 それだけ言って、あたしは歩き出した。


 あたしは、父親似なのだ。



 大学入学のために引っ越した街で、あたしが二番目にしたこと。

 それは、よさげな古着屋を探すことだった。

 その街は、街じたいにもだけれど、電車や自転車を使えばさらにそういう店には事欠かないところだった。

 キッズモデル時代にお世話になったカメラマンさんやスタイリストさんからの情報なので、確かだった。

 あの人は、ブランド関係者やモデル事務所の役職付きの人や雑誌の編集長とかにしか愛想がよくなかったから。 

 あたしがこの街を選んだ理由なんて考えもしないはず。

 父親が、伝えていたらの話だけど。


 その、特によさげな店は、結局、住むことになった街で見付かった。

 石畳みたいな入口と、丸太を組んだ赤い屋根が面白い古着屋さん。

 カートを引いて、中に入ると。

「このブランドのお洋服が、こんなに……しかも、状態がすごく、いい!」

 店員さんの、喜びの声。

 キッズモデルのときの服は、割引で購入したりもできたから、大量だ。

 あの人が特に気に入ったものは、実家のクローゼットとたくさんのキッズ向けファッション雑誌の中にある。


「これ、すごく素敵な春ね」

 あたしは、お世辞は分かる。

 仕事を、していたから。

 店員さんの声は、お世辞の口調ではなかった。

 シルクモスリンの、桜柄の春のミニドレス。

 桜が、花じゃなくて花片で描かれている。

 覚えてる。

 珍しく、ちくりとした不快感なしに着られた服だ。

「あら。ひとつだけ、桜のお花が。素敵。まるで、お客様みたい」

「え。花、あるの?」

 気付かなかった。

「ええ、ここに」

 店員さんは、顔立ちは整っていて、イケメンという人もいそうなお兄さんだった。

 ただ、ゴツい。そして、デカい。きっと、190近い。

 キッズモデルでも180超え男子や170近い女子はいたから、身長はかなり正確につかめる。

 ちなみに、あたしは175。

 この身長じゃなかったら、あたしはまだブランド服の、あの人の。

 着せ替え人形だったのだろうか。

「ほら、ここに」

 嫌なことを考えずに済んだのは、店員さんの声が聞こえたから。

 まだ買取をしていないからと、丁寧に襟元に触れる店員さんの、太い指の先。

 そこには、襟に隠れていた桜の花が、いた。

「桜の花」

 あたしは、声に出してそう言った。

「ね。春だから、っていうのはありがちだけれど。こうやって、隠れている桜の花、素敵ね。こちらはお手元に置いたらいかがかしら? サイズのお直しなら、わたしが……」


 そうか。

 あたしは、春が嫌いなわけじゃ、なかったんだ。

 今さらだけど、気付けてよかった。

「あの」 

 ありがとうございます、と店員さんに言おうとしたら。

 店員さんの表情は、固まっていた。

「……キッズモデルの、マリヤちゃん! ごめんなさい、お店にいらしたときから、かわいらしいお客様だと思ってたんです。でも、お客様のお顔をじろじろ見たら失礼だから……」

「かわいらしい」

 言われすぎて、あたしにはなんの意味もなかった、言葉を言われた。

 久しぶりに。

「ええ、とっても」

 やっぱり、お世辞じゃない言葉。

「よく分かりましたね。このスタイルにしてから、声がけなんてされたことないのに」

 女性からの逆ナンはあったけど。

「このブランドの専属モデルさんの頃も、とても、かわいらしかったけど。今のほうが、かわいらしいわ。素敵」

「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 あたしがこの街に来て、一番目にしたこと。

 それは、腰まである長い髪を切り、ツーブロックの短髪にすることだった。


 生まれて、初めて。

 あたしは。

 かわいらしい、を、嬉しいと思った。



『卵がゆ、食べられたのね。よかった! 痛み止めはいろいろカゴにいれました。お薬手帳、出しといて。ナプキンは製品名、羽付き、なし、サイズ、希望あれば教えて。昼用と夜用両方いるかしら』

『おいしかった。お代わりしたいくらい。マリ、ありがとう、愛してる。お薬手帳出しとく。羽あり多いときの昼間用25センチならどれでも。26個入でよろしく。もっとあっても大丈夫。熱烈大感謝。お礼に飲みものとか好きなもの千円分くらい買って』

『マリヤのためだもん。お言葉に甘えて、ダッツ買うね。もちろん違うお味で』

 あたしと恋人との、このメッセージのやり取り。

 ただ見たら、気の利く女性の友人、身内、もしかしたら彼女。そんなふうに思われるのだろうか。


「あ、寝てなきゃだめでしょ? お腹冷やさないように、って編んであげたオーバーパンツ、ちゃんと履いた?」

「履いてるよ、春の毛糸のパンツ。桜の模様。マリの手編み、最高。あ、お薬手帳テーブルの上。頭痛薬のアレルギーはなし、です」

「毛糸の……。マリヤ、あのね、わたしに感謝してくれるなら、そのかわいらしいお顔とお声で、もう少しだけ、素敵な言葉を話してくれない? お薬手帳はありがとう」

 こう言いながら、不織布マスクを外してゴミ箱にイン。

 うがい手洗いをして多分定番と春の味、四種類のダッツを冷凍庫に入れ、ミネラルウォーターをコップに入れて頭痛薬と一緒に持ってきてくれた。 

 もう分かられてると思うけど、卵がゆはマリのお手製だ。

 食べた食器を流しに運んでプッシュ式の洗剤をかけておくことはしておいた。  

 さすがに、申し訳ない。


「なんでよ。愛する彼氏の手編みの毛糸のパンツ。希望内容以上にしてくれる、かゆいところに手が届きまくりな生理中の買い出し。ダッツ付き。素敵すぎて世の中の彼氏持ちたちから恨まれそうじゃん」

「わたしは世の中の女性を愛するすべての人から恨まれそうよ。こんなにかわいらしい彼女がいるんだから。ゴツくてデカくてこういう口調のわたしを、そのままで好きだって言ってくれる、最高の彼女」

「もと有名キッズモデルの?」

「もう! なんども言ってるでしょ。マリヤちゃんは、推し! マリヤは、わたしの大好きな彼女よ!」

「ごめん。そう言ってくれるときのマリ、すごくかわいいから」

 そう。付き合い出してから初めてマリのうちに遊びに行ったとき、あたしが表紙のキッズ向けファッション雑誌とマジックを出してきて、「マリヤちゃん、サインを頂けますか!」って。

 かわいかったなあ。

 雑誌、すっごくきれいに保管されてて。

 保管用と観賞用だっけ。読むやつは別みたい。


「そうやって、かわいい、って言ってくれるところも、大好きよ。それに、ね。わたしをマリ、って。嬉しかった。真理って、素敵な名前よ。でも、かわいくはなかったから」

 かわいいかわいい、あたしの真理マサミチ

「あたしはさ。マリ自身がかわいいから、真理マリでも真理マサミチでも。どっちでもいいと思うけどね」 

「もう。麻莉也マリヤったら。ほんとに、かわいくて、かっこいいんだから! マリヤの体が落ち着いたら、お花見行きましょうね。おいなりさん、作るから」

「から揚げも、いい?」 

「もちろんよ!」

「マリ、大好き」

「わたしもよ、マリヤ」


 ろくでもなかった、あたしの春。


 マリのおかげで。マリとの、なら。


 あたしは、春を、好きになった。

 お花見、楽しみ。

 

 着ていくものは、もちろん、決まっているから。


 待っていろ、春。

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あたしの、春は。 豆ははこ @mahako

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