四光時代 作:初瀬ソラ

 がこんっ。


 もしこのボールが入れば──なんていう人がいたのかもしれない。


 西日はたぷんと湯にしずむようにくれていく。あんまり気持ちよさそうで、今夜は湯を張ろうかと思案してみたり。冬には定期的に入るがこうもあたたかいと水道代ガス代がどうしてももったいなく感じてしまう。大して節約上手でもないし、好きな漫画を買い漁る手は止まらないのがわたし。


 ばんっばんっ。


 みじめだな。お金なんて、考えるの、チマ楊枝。


 サッ。


 がこんっ。


 何度めか、はじかれて、はじかれてもわたしは入れにいく。こんなに明るい雄大な真ん丸西日、照らされ、わたしの目はちっと輝くか。ちっぽけなオタク女子が光るか。


 もしこのボールが入ったら──


 そこの王子様はどんな想いで告げたろうか。どんな想いで放ったろうか。唾液が舌を先までコーティングしていく。光線が飛びぬけるような叫び声をあげちゃいたい。シュートフォームなんか気にしないでまたボールを手放す。


 そのとき異性のだらだらした混声がした。


 ぬらっとした黒い顔面がひしゃげた口を持ち上げて見つめている心地がした。わたしの顔のそばで返ってきたボールが飛び跳ね回る。


 ボールはそのままフェンスの網掛けにめり込み、背中からにごった喚声がした。




 上々。成果は上々。


 決してカンペキとは言えないけど、いい。これでいい。


 うちのカルタ部は人数がそろっていなくて僕は一年なのに今日の団体戦に出された。ただのオーダー穴埋め要員だ。他の高校はみんな二年か三年さ。部長も「ま、がんばれっ」って心の声だだ漏れな応援だったし、先輩たちみんな僕が相手の主将とあたれば万々歳ってばかり毎試合祈っていた。正直、ふてくされるよ。


 だけどかえって気合になったみたいに一勝だけもぎ取ってやった! それに五枚差とか九枚差の惜しい試合もあったし、試合中の掛け声はバスケ部時代の声を出して誰よりも大きかったはずだ。


 きっと僕には才能があったんだ。骨格や筋肉のつき方、脳のつくり、感じのよさ。かるたは最高だ。「一勝!」って叫んだとき気持ち良すぎた。先輩たちがそこから何枚か取られてたの、さては動揺したな。最後は三位決定戦を部長が粘りの自陣守りから相手のお手つきを誘っての一勝で三対二の辛勝だったけど、ゆいいつ純粋な声援をくれた顧問は僕をいちばん褒めてくれたし、結果がどうでもいいくらい気分が良かった。


 夕日がまぶしい。


 試合会場で解散して、へとへとだったからコンビニでチョコ菓子を買って近くの公園で食べることにした。暑かったからちょっと失敗した。公園は狭くはないが誰もいない。家や高校よりも南の方で、草の斜面に座ってひと息つけば赤く色づいた海が見える。見えるだけじゃない。感じる。


 読手の舌と歯とくちびるの有音を聞くように。地面の振動、向こうの梢の擦れ、車の排気音、とおくの子どもの遊び声を、確かに有る音を僕は捕らえるんだ。そして、シュバッ!


 札に一直線、払う。いや、こうか。こうか?


 シュッシュッ。


 空中にある札を払っていると、公園の常設されたバスケットゴールが目についた。なんとなく立ち上がって近くに行く。


 バスケは、ダメだった。中学の三年間を費やしたけど、どうにもチームプレイがいけない。技術は持ち前の器用さってヤツでそれなりだったつもりだ。だけどうまくいかない。最後の総体、途中でチーム全体が崩れた。僕のせいかもしれない。


 運が良いことに誰かの忘れ去ったボールがあった。妙なことに近くのフェンスの目にからまって忘れ去られていたが。


 だんっだんっ。


 サッ。


「あ」


 前時代の感覚を思い出しながらレイアップを入れてみた。すっぽりと輪っかに吸い込まれる。


 しかしボールはバスケットの網に閉じ込められて抜け出せず静止してしまった。長年そこにありつづけた網は風雨か何かでだんだん硬化してとおさなくなったのかもしれない。


 そういえば今はカルタをしているのにバスケットボールで突き指をしては大変じゃないか。あぶない。触れちゃダメ。手放せてむしろ幸いだ。


 僕のカルタ時代が到来しているのだ。


 ほら、西日が僕を見つめている! 僕の時代を謳っている!


 シュッシュッシュッ。




 生徒指導の先生が言うには、あたしはド○クエで言う〈はじまりのムラ〉そこらでロクに装備もマップも解放されていない状態なんだと。分かんね。イミフ。とにかく死にたい。


 じゃあ死ねば?


 当然のささやきがする。塞げた耳を突いてくる。あたしは小学校卒業から短くした髪を振りつかして逃げ、なんも感じないように人助けをする。人助けしているときだけ、ささやきはかき消える。


 勉強でミスをする自分がキライだ。ニキビの吹き出だした自分の顔がキライだ。人の話についていけなくて生返事する自分がキライだ。ひとりになったとき、自分の身体に触れてしまう自分がキライだ。


 あたしのこんな荒れ姿を知る人は、あの先生だけだ。友達も家族も知らない。あたしは笑うのがちょっと巧かった。面の皮だけ丈夫なのが、内側の腐りを進ませて、先日の生活実態調査に隠れがくれ書いたことでやっと漏洩した。先生との日暮れまで続いた二者面談で得たものはほとんどないが腐敗をこし出せただけありがたかった。


 だけど核はまた腐蝕の種を流動させる。あたしは今日も人助けする。


 家から幼いころ使っていた折りたたみ式のムシとりあみを持ってきた。展開すればバスケットゴールの高さに十分届く。誰か困っている人がその場にいるワケじゃないが、あんなところにボールが引っかかっちゃって誰かが困ってないワケないじゃない。人助け。人助け。これであすあさってはよく眠れる。


 あたしはムシとりあみを逆手に持った。


「こんにちは。お嬢ちゃん」


 不意に、背後から声がかかった。


 まずい、知らない人。制服のまま来ちゃったから名札の名前見られちゃう。急いで名札をひっくり返してまるい胸元のポケットに入れた。


 振り返ると、どこかの家のお父さんって感じの優しそうな男性だった。陽の差し方で影がものすごく長細く伸びている。


「驚かせちゃったかな、ごめんねえ。いやあ、ちょうどよかった。ちょっと困ったことがあって、お嬢ちゃんの持ってるその網を借りたいんだよ。来てくれるかな」


 ずいぶん困った風だった。だったらこっちだってちょうどいい。もっと人助けできる。


 バスケットボールは後でいいや。あたしはムシとりあみをかついでついて行った。木々に押しあてられて漏れる日光に余った手をかざす。今日は良い日だ。




 公衆トイレの近くに落ちていたあみは長く伸びるみたいで、トモダチがもってきたのよりも高いとこの昆虫をつかまえられた。人のモノかってに使っちゃいけませんって教わってたけどオレは悪くない。使ったのはトモダチだから。その日はセミを七匹、アゲハを二匹つかまえたけどカブトとクワガタは見つかりもしなくてザンネンだった。そのうち夕方だ。


 トモダチのひとりがボール遊びしようって言った。


 ボールなんてどこにあるんだよって言ったら、高いとこで誰かのワスレモノのボールが引っかかっているみたい。


 幼稚園のころから木登りをして遊んでたからヨユーだ。地面にささったポールをよじ登っていってひょいと取って落とす。ズシンッ。


 トモダチに言われて気づいたけど、体操服がポールの汚れで茶色くなっていた。


「お母さんにおこられるぞー」鼻につくあおり声。


「うっせえ、うらぁ!」


 ムカついたから飛びついて体をすりつけた。


「なにすんだ、ばしゅーんっ!」


 トモダチははねのけてボールを投げつけてくる。キャッチ。


「きかねーぞおらぁ! くらえっ!」


「うぃー! あっぶねーな!」


「へいパァス、パァス!」


「うっ、かってー! なにこのボール固いって!」


「知るかっほら来いよっ」


「ッどーんっ!」


 コートの線はなんとなくで決まった。ルールなんてない。当てればうれしい。当てられればくやしい。クソあっちぃ中で砂とか茶色の汚れとかと大量の汗が混じりまくってすっげー臭い。だけどただのボールのぶつけ合いがめちゃくちゃ楽しかった。日の光がなくなる最後の最後までオレたちはハチャメチャなボール投げ合戦をして盛り上がった。

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