第2話 新しい生活

「いやぁ、まいった。すっかり遅くなっちまって悪いな。」

 凪は疲れた様子で頭を掻きながらやってきた。「時間がかかるから」と治安局近くのカフェでカンナを待たせていたのだ。

「大丈夫です!私も何かと頭の整理が必要でしたから。」

 カンナは笑って見せたが、問題続きでだいぶ疲れているのが見える。賑やかだった町も少し静かになり、外はいつのまにか夕焼け色に染まっていた。

「じゃあ、行こうか。ここからちょっと離れてるから飛んでくぞ。」

「え?」

 カフェを出ると凪はあの時のように両手を広げた。黒く大きな翼が夕日に照らされ、うっすらと赤や紫が混じったような色で輝いている。

「ほら、おぶってやるから、掴まって!」

「えっ、いや、でも……。」

 カンナは少し恥ずかしそうに周りを見回して、ドレスの裾を手で握った。

「あぁ、その恰好じゃ難しいか。大丈夫!見えないぐらい高く飛ぶから多少めくれても気にすんな!ははっ」

 凪はけらけら笑いながら身を低く屈め催促した。凪の顔を見たカンナもなぜか口元が緩んでいた。

「ふ、うふふふっ!私こんなの初めてです。お父様が見たら顔を真っ赤にして怒るのでしょうね。ふふふっ!」

 カンナも凪につられて声をあげて笑いながら、凪の背中にそっと掴まった。

「あの、これでいいんでしょうか?」

「良いワケねぇだろ!落ちるぞそんなんじゃ。しっかり掴まれよ。」

「ご、ごめんなさい。……これでどうですか?」

 カンナは両手両足で必死にしがみついた。

「よし、じゃあ行くぞ。落ちんなよ。」

 凪が思い切り翼を羽ばたかせると、背中を押す強い風圧と共にグンッと体が持ち上げられた。どんどんと地面が離れていき、あっという間にカフェの屋根が足元に見える。カンナは足元がスッと冷えていくのを感じた。

「あ、あの……やっぱり一度おろしてもらえませんか……。む、無理です!」

「あん?こっからじゃアパートまで時間かかるぞ。また人攫いに遭いたいのか?」

「それは……。」

「はは。冗談!そんじゃ安全運転で行くよ、お嬢さん!」

 凪は更に力強く羽ばたいた。すると一気に高く舞い上がり、町が一瞬で小さくなってしまった。

 金匣町がオレンジ一色に染まっている。店や家々、石畳の大通り、中央広場の噴水、町の北側に広がる海……

「すごい……綺麗!!!すごい!!!ふふっ!すごいすごい!あははっ!」

「お、おい!動くな!結構バランス難しいんだから!」

「凪さん、私、初めてこの町に来た時は正直……怖い街だと思ってました。なんだか煙で薄暗いし、人攫いに遭うし……。でも、今すごくなんだか楽しいです。こんなキレイな景色が見られるなんて。」

 カンナは港の方角を見つめた。朝、船を降りた港だ。今はもう、ずっと昔のようだと彼女は思った。そうして眺めているうちに、凪達は海沿いまで近づいていた。

「あそこが、アタシの住んでるアパートだよ。」

 港から少し東にそれた所に、一軒の大衆居酒屋が見える。凪はゆっくりと滑空し、その店の前で着地した。

「一階は居酒屋、二階が住居なんだ。だから……夜は騒がしいけどすぐ慣れるよ。」

 凪は気まずそうに扉に手をかけた。年季の入った木の引き戸は、ところどころ色褪せている。潮風で削れた木の看板には店名が書いてあるようだがもはや読めない。

 カラン、と鈴の音を鳴らして引き戸を開けた。

「よう、いらっしゃ――なんだ凪か。おかえり。」

 仏頂面の大男が威勢よく挨拶しかけて、凪の顔を見てため息をついた。まだ開店直後の店に客はおらず、せっせとグラスを磨いていた。

「あ、あの、お邪魔します。」

 凪の後ろから控えめにカンナが顔を出した。

「なぁ、ここ一部屋空いてたよな。入居希望者を連れてきてやったぜ。」

「入居希望者だぁ?……ん?まさかその嬢ちゃんか?」

 店主は目をまんまるくしてカンナをじっと見た。

「がっはっはっは。お前、ここは高級ホテルじゃねぇんだぞ!」

 冗談だと受け取ったらしく、店主は次のグラスを手に取ってまた磨き始めた。

「いや、まぁいいや座って話す。適当に飯出してくれ。腹減った。」

 凪はカウンターの椅子を引くと、倒れるように座った。カンナは店主に会釈をして凪の隣に座った。

「お前、先月の家賃はどうした?ツケがえーっといくらだったかな?」

「わーったようるさいなぁ。言われなくても今払うって。くそぉ、せっかくの臨時収入がぁ。」

 凪は店主に聞こえるか聞こえないかの小声でぶつくさ言いながら腕のマジェットを操作した。しばらくしてチャリンという決済音が静かな店に響いた。

「ん。確かに。まいどあり!さて、じゃあ今日は何がいい?お前さんも。」

 仏頂面に似合わない笑顔で店主はお品書きをカンナに渡した。

「あー、アタシはいつもの。」

「あ、私は……えっと……」

 カンナはお品書きを端から端まで丁寧に眺めている。

「——あっ!これ!これください!」

 カンナはメニューのイラストを指さしてカウンターに身を乗り出した。

「うおっ、お、おう。嬢ちゃんは魔郎油麺だね。結構量があるが大丈夫か?」

「ええ、食べきってみせます!」

 カンナは目を輝かせて椅子に座った。

 心配そうな表情で店主はカウンター裏の厨房へと入っていった。店は店主一人で回しているらしく、狭い厨房ですべての作業を一人でこなしているようだ。暖簾の隙間から焜炉こんろの火が見える。カチャカチャと道具のぶつかる音と共に熱した油の匂いがした。

「お前、意外だったな。そういうの好きなのか?」

 凪は頬杖を突いてカンナの方を見た。

「好きというか、実は食べたことがないんです。」

「え?……本当に言ってんのか?一度も?」

「ええ、実家だとこういうお店には連れて行ってもらえませんでしたから。」

 カンナは恥ずかしそうに頬を指でなぞる。

「それはヤバイって!実物見たことあんのか?」

「いえ、実は写真でしか見たことがないんです。でもすごく美味しそうですよね。」

 カンナは無邪気ににこにこと笑ったが、凪は気まずそうに厨房に目をやった。厨房から溢れた湯気が暖簾を抜けてこちらに漏れている。ぐつぐつと鍋の茹る音と、せわしく動く店主の足音が聞こえる。

 しばらくすると、香味野菜の匂いが漂ってきた。蔓土蒜マンドノビルは肉や魚の臭みを消し、料理に食欲をそそる匂いと味を加えてくれる。

「あぁ、蔓土蒜の香りですね。こんなに強いのは初めてです。」

 カンナはくんくんと匂いを嗅いで、両手を握った。もう待ちきれない、といった表情だ。

「そういえば、凪さんは何を頼まれたんですか?」

「ん?アタシはこの店だと決まって羊瓢箪バロメッツのローストかな。」

「それも美味しそうですね。」

 カンナがそう言ったタイミングで、店主が大皿を運んできた。

「お待ちどうさん!」

 羊瓢箪バロメッツのローストが一足早く凪の前に置かれた。香ばしい匂いをまとった熱気がふわりと漂う。「これこれ!」と凪はフォークを手に取り肉に突き刺した。艶やかな焼き目のついた肉は、表面がカリッと仕上がっている一方で、ナイフを入れると肉汁が溢れだす。ほんのりピンクが残る断面はしっとりと柔らかく、皿の端に添えられた焼き根菜の香ばしさとともに、見た目にも食欲をそそる。その下には、肉から流れ出した肉汁がソースとなって滲み広がり、皿の上で黄金色の油と濃い肉の旨味が溶け合っていた。

「くううう!仕事した日はこれでなきゃね。お前も一口食えよ。」

 凪はナイフで一口分に切り分けた肉をフォークで刺してカンナに向けた。

「あっ……えっ、いいんですか?……じゃ、じゃあ……。」

 カンナは両手で顔周りの髪の毛を押さえながら恐る恐る口に含んだ。

「……ん!!!」

 口元を手で隠しながら、カンナはくりくりとした目で凪を見つめた。羊瓢箪バロメッツの肉の歯ごたえは、肉というには柔らかく、野菜というには弾力のある噛み応えだった。噛むほど内側から滲み出る脂と肉汁に臭みはなく、どことなく焼きたてのパンのような香りがする。そう思った頃にはもう、それはするんと喉の奥へと落ちてしまった。

「すごく美味しいです!」

「だろ?よかったなオヤジ。」

 店主や満更でもない顔でにやりと笑いながら、どんぶりを持ってカンナの前に置いた。

「はい、お嬢ちゃんの分もお待ちどうさん!」

「こ、これは……!!!」

 カンナは一瞬たじろいだ。それもそのはず、目の前のどんぶりは、その淵から溢れんばかりの具材が山のように盛られているのだ。

「おい、本当に大丈夫か?」

 凪が心配そうに顔を覗き込んだ。

「……ええ、もちろん、大丈夫に決まってます!私、これがずっと食べたかったんですから!!!」

 カンナは勢いよくフォークを掴むと、もう片方の手でしっかりとどんぶりを掴んだ。

 魔郎油麺――、それはヤポーニア帝国の鉄板庶民飯だ。安価な麺に、栄養価の高い空豚そらぶたの出汁と背脂を加えたスープを合わせ、野菜や肉などの具材をこれでもかと乗せるのが特徴である。熱量のかなり高いこの食事は主に、工事現場の作業員や鉱山労働者などの力仕事をしている人々から絶大な支持を得ている。

「それでは、いただきます!」

 そこからは早かった。

 カンナは手前の具材を少し分けて麺を露出させると、フォークを底まで沈めて一気に引き出した。ほどよく油の絡んだ麺が金色に輝いている。まるで日の光を受けた稲穂のように、しなやかに、美しく。カンナはそのままフォークを口へ運んだ。滑らかな舌触りと、鼻を抜ける蔓土蒜マンドノビルの香り。

 続いてスープだ。一度フォークを置きスプーンに持ち替える。どんぶりにスプーンを沈めると、黄金色のスープに白い空豚の脂が雲のように浮いている。カンナはゆっくりスープを飲み込んだ。空豚の旨味と香味野菜の香りがそれぞれ主張しつつも一つにまとまっている。塩加減は強いが、それが一日動き回って汗をかいた体を癒してくれる。

 カンナは間髪入れずに二口目を頬張った。今度は具材の野菜も一緒に入ってくる。シャキシャキとした野菜の歯ごたえがアクセントとなり一層食欲が増す。2口目を飲み込んんだところで焼空豚を一口頬張る。空豚の羽の付け根は脂が多く、肉質がしっかりしている。調味料に漬け込んで焼いた肉は内側までしっかりと味が染み込み、表面は香ばしい。

 ――あっという間に、食べきってしまった。

「ええ。本当に食べやがった。」

「すごいなあの子。」

「この娘に、乾杯!がははははっ!」

 気が付くと、店には5、6人の客がカンナを囲って見届けていた。店の中は盛大な拍手に包まれた。静かだった店内は知らず知らずの間に賑わい、酒瓶の音と人々の話し声が楽し気に響いている。

「顔に見合わずよく食うよな。アタシが言うのもあれだけど。」

「へへ、恥ずかしながら……。すごく、美味しかったです。」

 カンナは照れながら残ったスープを飲み干した。

「こりゃすごいな。全部食べ切ったのか!」

 店主も驚きを隠せない様子で空になったどんぶりを覗き込んだ。

「それで、さっきの話なんだけどよ。」

 関心する店主に向かって、凪は今日の出来事を話し始めた。


「——そういう訳で、部屋を一室カンナに貸してやってくれよ。」

「あぁ、もちろんだ。なんなら、うちで働いてくれたっていいんだぜ。ウェイトレス募集中だからな!がははははっ!」

 店主は笑いながら、壁に貼られた店員募集の紙を親指で指した。いつから貼られているのか、端は切れて汚れている。

「やめとけよ。こんなエロオヤジと働いてると碌なことねぇぞ。」

「誰がエロオヤジだ。儂はエルフ専じゃから関係ないわい。」

「出たよ。熟女好きの間違いだろ?」

「あ、あの!私やります!仕事も必要ですし。」

 カンナは立ち上がって身を乗り出した。

「よろしくお願いします!」

 カンナは丁寧に頭を下げた。

「おおお!助かるよ。儂はダンザ。ダンザ店長と呼んでくれ。」

「え?本当に?やんの?」

 戸惑う凪の前で、二人は固い握手をした。

「今日はもう遅いし、詳しい話は明日しよう。今回は入居&入店祝いに無料サービスだ!明日から頼むよカンナちゃん!」

「はい!ありがとうございます!私頑張ります。」

「じゃあ凪、鍵渡すからカンナちゃんを案内してやれ。儂は店を離れられん。」

 店主はカウンターの奥から鍵を取って凪に投げ渡した。

「あいよっ。ありがとよオヤジ!ごっつぉーさん。」

「ダンザ店長、ご馳走様でした。おやすみなさい。」

 カンナはもう一度深くお辞儀をした。ダンザは仏頂面に似合わない笑顔で手を振った。

「住居は二階だけど、外から上がるんだ。こっちだよ。」

 二人は、居酒屋の脇にある外階段へとまわりこんだ。金属製の階段は、踏みしめる度に「ギイ、ギイ」と頼りない音を立てる。手すりを掴もうとすると、錆が浮いていて触らないほうが良さそうだ。

「ちょっと古いけど、まぁ落ちることはないから大丈夫。」

 凪は先に登りながら、そう言って振り返る。もうすっかり暗くなった足元をチカチカと点滅するランプが照らしている。

 二階の踊り場に着くと、そこは年季の入った木の扉があった。中に入ると、木造の建物特有のきしむ音がする。細い廊下には裸電球が弱弱しく灯っていた。廊下には三つの扉が並んでいる。

「手前のそこがカンナの部屋だよ。アタシはその隣の真ん中。一番奥は別の奴が住んでるからそのうち会うと思う。変わった奴だけど悪い奴じゃないよ。」

 一番奥の部屋には、小さな鉢植えと履き古されたサンダルが戸口の脇に置かれていた。

「ちょっと待ってな。鍵あけるから。」

 凪は店主から受け取った鍵を取り出して部屋を開けた。鍵の頭には色褪せたリボンが結ばれている。かつての入居者が使っていたのだろうか。

 ガチャリ、と軽い音を立てて鍵が開いた。

「……おじゃまします。」

 部屋の中は、壁紙も塗装も飾りもない、むき出しの木材だけが広がった簡素な造りだった。正面には壁から少し張り出した窓があり、壁際には前の住人が残したものか、ベットが一台置かれている。布団をなぞると埃が大きく舞った。

「こんなとこで悪いけど、ないよりはマシだわな。」

「あ、あの……ここってお家賃はいくらなんでしょう?」

 カンナは凪の方に振り返って聞いた。

「アタシは月2万だけど、交渉してもうちょっと安くできるかもな。ここで働くみたいだし。」

「え?たったの?いいんですか?」

「このボロ屋で2万も高いと思うけどなアタシは。」

『わっはははははははは!乾杯ー!!!』

 下の階から大きな笑い声が聞こえてきた。

「ほらな、夜はこれだしよ……。」

 カンナは苦笑いしながら頷いた。

「凪さん、本当に何から何までありがとうございます。凪さんがいなかったら本当に途方に暮れていました。」

「いいっていいって。今日はゆっくり寝な。まぁちょっと騒がしくて難しいと思うけど。あ、オヤジは朝は仕入れに出かけてるから、明日は昼頃に下に降りれば会えると思う。アタシもそのぐらいに顔出すよ。」

 そう言って凪はカンナの部屋をあとにした。一人きりになった部屋は先ほどよりも広く感じられる。下の階からくる笑い声が、今は妙に寂しいとカンナは思った。

 カンナはドレスのスリットから杖を出した。

「少なくとも、埃は綺麗にした方が良さそうね。」

 カンナが杖を振ると、杖の先からそよ風が吹き始め、つむじ風となって床の埃を巻き上げる。天井も壁も、風がなぞった場所から埃が舞い上がっては渦の中に巻き込まれてゆく。小さなつむじ風は部屋の真ん中で黒い塊になって静まった。

「すごい量!これが全部埃?」

 黒い塊を良く見ると、埃に交じって蜘蛛の巣や枯れ葉、糸くずなどが絡まっている。カンナは杖の先を埃に向けて振った。ぼうっ!と音を立てて埃が青い炎に包まれたかと思うと、燃えカスとなって崩れ落ち、見えなくなってしまった。

 カンナは多少綺麗になった布団に座り、バッグを取り出すとベッドの横に置いて布団に入った。

「はぁ……、サリーおばさん、どこに行ったの。」

 ベッドから窓の外を眺めると、ちょうど三日月が見えた。青白い光がカンナを優しく照らしている。カンナは親戚の手掛かりだという手紙を取り出し、ぎゅっと握ったまま、いつの間にか眠ってしまった。


 

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