ちちくびりんぐ

はゆ

第1話 安全ピンと転校生

 関ケ原花見の左乳首に突き刺さった安全ピンを、瑞穂才華は凍てつくような眼差しで見つめる。才華の瞳には、絶望と苦痛が凝縮された金属の棘が刺さっているように映った。


 花見と才華に面識はない。対面したのは、ほんの数分前。ただ同じ空間を共有するだけの赤の他人。互いの思惑を気にしたり、機嫌を伺うような関係ではない。


 なぜ、才華は出会って間もない花見の乳首を凝視する状況に至ったのか。花見が見せに来たのか、それとも、才華が見るために来たのか。どちらかと考えがちだが、どちらでもない。



 ここは教室。他の生徒らの姿もある。



 転校生の才華が教室に入ったとき、花見はすでに服を身につけていなかった。

 花見を取り囲む生徒らが制服を着ている中で、花見だけが一糸まとわぬ姿。床には制服の切れ端が散らばり、ゴミ箱からは制服と同じ柄の布が覗く。その光景が、花見の置かれている状況を物語る。


 生徒らが嘲笑しながらスマホを見つめる。そのスピーカーは『乳首にピアスを開けるので見てください。たくさん見てもらえると嬉しいです』と生気のない声を繰り返す。

 花見の乳首を地面と水平に貫いている安全ピンは、花見自身の意思で刺したもの。再生されている動画は、その事実を明白にし、言い逃れるための証拠として機能する。



 花見への虐めが行われている現場に、才華が現れた。これが二人の出会い。



 意図せず虐めの最前線にいる才華。心配そうな声色で、加虐側に加担する意思を示す。

「痛そう。これ、触っても?」

 加虐側でなければ、痛そうだと思って見つめている部位に触ろうとはしない。ましてや、相手の身体を指差して『これ』と言わない。


 加虐者は被虐者の返事を待つ必要がない。なぜなら、結果はすでに決まっているから。

 花見の返事を待つことなく、才華が痛そうと言った部位に手を伸ばす。

「んっ……!」

 才華は、まるで粘土を弄るように花見の乳首をこねまわし、ねじ切るように引っ張る。

 乳首には多くの神経終末が分布しており、他の部位よりも刺激に敏感。それは痛みに対しても例外ではない。才華が力を加えるたび、花見は言葉通り傷口を抉られる重い激痛に襲われる。


 才華は、花見の反応を観察する。


 常識の範疇に収まるペルソナは、痛みから逃れようとする。たとえ鍛え上げた肉体を持つ格闘家であっても、痛みを和らげるための防御行動をとる。


 しかし、花見は痛みを避けようとしない。

 痛む乳首を隠そうとせず、才華の手を払おうともしない。花見の意思とは無関係に体がビクッと動いたり、痙攣するような不随意運動はあるが、自らの意思では痛みを回避しようとしない。

 その理由は、花見には怪我をした経験がなく、人生で最も痛かった出来事が注射だったことにある。注射時の、痛くても動かず我慢しなくてはならないという経験が、逃げる発想を欠如させていることを知るよしもない。



 痛がることと、嫌がることは一致しない。


 

 花見は、普通の感性では考えられない振る舞いをする。

 裸を大勢に見られても、隠そうとしない。着衣している状態と変わらず、羞恥心がない。

 スマホのカメラを向けられても気にしない。普通の人は、裸の写真や動画が家族や近しい人に届くことや、何に使われるかわからないことに恐怖を覚える。

 そして、痛みに対して防御行動を一切取らない。

 頬を赤らめてはいるが、現状を嫌がっていない。



 花見が生粋のマゾヒストであることは、誰の目にも明らか。



 マゾヒストであっても、人並みに痛みを感じるし、不随意運動はある。ただ、苦痛や屈辱に対して快楽や満足感を得る特性があるため、加虐側は後ろめたさや罪悪感を抱かず済む。不必要な手加減を望まないマゾヒストと虐めは、需要と供給が一致するため、相性が良い。


 虐めは、被虐者が停止を望んだところで止まるものではない。けれど、停止を望まなければ、加虐者は継続して大丈夫だと判断し、行為はエスカレートしていく。



 現状を整理すると、花見自身が虐められることを望んでいる。花見が停止を望んでいないため、さらに加虐することが好ましい。



「これはどうかな」

 才華は、花見の血を滲ませた乳首を口に咥える。才華が歯を立て噛むたび、花見は十八年の人生で経験したことのない激痛を繰り返し味わう。

 花見は、才華の頭を両腕で締め付ける。才華はその腕の中で、むさぼるように乳首を噛み続ける。


 花見は表現することに意識を集中させる。

 求められているのは、花見自身が感じている痛みを表現することではない。この状況に置かれているペルソナがどう感じ、どう反応をするかをリアルに表現すること。それが花見に与えられている役目。


 少なくとも、無反応が正解ではないことはわかる。無反応なペルソナを虐めても加虐者に充足感はなく、見ているペルソナもつまらないだろう。ただ、花見はそういった場面を見たことがないため、どう反応するのが正解かわからない。

 しかし、未知であることは判断を誤っていい理由にはならない。花見が現実離れした表現をすれば、たちまち批判の的にされてしまう。


 花見は批判を恐れ、避けたいと考えた。その結果、何かを感じていることを示し、それが何かを曖昧にする表現として、才華の頭を抱え込んで締め付けた。そうすることしか思い浮かばなかった。

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