第4話 タイムアタック

 2001年3月01日12:08


「百果さん!」

「キョウ君!」


 十二回目にして俺はようやくトラックから伸ばされた彼女の手を掴めた。

 彼女の手は白く柔らかく……それ以上に力強かった。腕相撲をしたら負けるかも知れないなどと妙な感想を抱いてしまった。


「まあ、僕が勝つのは確かだけど、惚れた女の手を握っての感想が、それかい?」

「んんっ!」


 また心を読まれたことに動揺しながらも、俺は荷台に足をかけて踏ん張り、なんとか中に潜り込んだ。今のところ運転手に気付かれた様子はない。これも予知のおかげだろうか。


「まあ、ね」


 二人で荷物を背に座り込む。

 後方を警戒すべきだったが、力が入らない。


「百果さん、あの」

「やっと話せたね、繰り返しになるが僕は予知能力者だ、キョウ君がタイムリープで僕を助けにきてくれたことは知っている、あの怪物は君にしか見えないようだね、そして僕の予知に機能不全を起こさせる」

「ええと、」

「事情の説明は省いてもらっていいよ、君の名前も含めて予知で全て見ているからね」


 かなりの早口だったが、テレビのアナウンサーよりも遥かに聞き取りやすかった。滑舌の良さなら彼らの方が上に思えたが、どういう訳か百果さんの声はするすると頭に入ってくる。


「君に分かりやすい話し方を何度も試してきたからね、周囲の車や風の音が途切れる瞬間も考慮に入れると、相手が聞きやすくなるんだ」


 もしかすると前の回でタクシーが吸い寄せられるように止まったのも、


「そうだよ」

「本当に、」

「心を読んでるわけじゃないよ、君が思ったことを口にする未来を見ているだけさ、君は素直だからね、相手だと大嘘つきだと中々こうはいかない」


 こちらが思ったことを正直に口にする分には、予知というのは心を読むのと殆ど変わらないらしい。


「すまない、分かっていてもつい手間を省いてしまうんだ、悪癖だと理解はしているんだがね」


 さっきから相槌の機会をことごとく奪われている。悪癖だと思っているのならお願いだから少しは喋らせてほしい。


「どうぞ」

「えっと……あの怪物のこと、なにか分かりますか?」

「分からないが想像はできる、僕を排除するために送り込まれた存在だろう」

「……誰にです?」


 百果さんは天を仰いだ。奴はそこからやってきたのだろうか。


「宇宙の摂理か、逆にそれを乱す側かな、どちらかまでは僕にも判断がつかないよ、宇宙から降ってきたのかどうかもね」


 思った以上に話が壮大になってきた。

 確かに百果さんの予知は凄いが、あいにく他の予知能力者を知らないので、どのくらい凄いのかが分からない。


「なるほど」


 そんなに宇宙の秩序を乱すなり守るなりできるほどなのだろうか。


「今までに予知能力者は十二万三千四十四人ほど見てきたが、僕の観測能の一割を越える者すら片手の指が余る程度だったよ」

「待って待って」


 いきなりインフレしないで欲しい。


「もう少し具体的に例えると、ハワイに大型の天体望遠鏡があるだろう?僕が、あれだ」


 唐突な切り出し方だったが、俺にはすんなりと飲み込めた。

 俺は天文部だ。あんな有名な天文台くらいは当然知っている。というか、百果さんの豊かな胸の間に掛かったペンダントの星がまさに同じ名だ。


「そして他の予知能力者は家庭用の……」


 家庭用の望遠鏡なら集光力は人間の前の百倍くらいで、ハワイの天文台は百万倍とされている。集光力だけが望遠鏡の性能じゃないが、それだけの差ということか。


「100円ショップのルーペかな」

「それはなんか違うでしょ!?」


 百果さんはくすくすと笑っている。流石に冗談だったらしい。どこまでそうだったかは分からないが、他の能力者に出会うまでは追求しても仕方がない。

 それより、怪物についてもっと確認しなければ。


「といってもホースヘッドについては君が見た以上のことは僕も分からないよ」

「いや、名前知ってるじゃないですか」

「色々名付けた中で一番しっくり来たのにしたんだ」

「ええ?」


 少し先の未来で名付けたのを採用した、というのは分かるが、あの怪物のどの辺が馬の頭なのか?色と大きさなら熊だし、形なら巨大なナメクジかアメフラシに見えた。今の俺は百果さんにそれを直接説明していないが、予知で聞いている筈だ。


「オリオン座の、プレアデス星団にも近いし」

「あー」


 天体に詳しくないと意味不明な会話だった。

 まず前提として、百果さんが好きと思われるプレアデス星団の近くにオリオン座があり、その中に馬頭星雲と呼ばれる暗黒星雲の一種がある。これは星間ガスや宇宙塵の集まりで、背後の星を見えなくしてしまう性質がある。


 百果さんとその予知能力を望遠鏡と見なすのなら、あの黒い怪物はまさに馬頭星雲と呼べるだろう。見た目が全く馬頭ホースヘッドじゃないから紛らわしい気もするが、いまさら俺の腹案の『イビルアイ』なんて提唱できる流れじゃない。


「イビルアイについての議論は次回にしようか」

「混ぜ返さないでくださいよ!でもって未来の俺、口軽いな!それよりも」


 俺は溜息を吐いた。

 本当なら救うべき相手に聞くことじゃないが、タイムリープしか能のない俺が一人で考えてもろくなことにならない


「次は、どうしましょう」

「ホースヘッドと距離を取りたいね」

「それはそうですけど」

「一回距離を取れれば、展望が開けるんだよ、ホースヘッドが近ければ近いほど、僕の稼働率が下がるんだ、初回の歩道橋より今のほうがだいぶマシになっている」


 百果さんは両手を広げるジェスチャーをした。胸の上のペンダントがその下のものごと揺れている。


「どれくらい違うんですか?」

「通常時の百万分の一が、モールで十万分の一、今が一万分の一になったくらいかな」

「今まだ一万分の一なんですか!?」


 モールの時点でも奇跡を起こしていたのにあれで十万分の一。

 今もトラックの運転手が俺たちに気付かず、ずっと青信号で他の車や路上駐車、信号無視の自転車などに邪魔されていない奇跡でもまだ一万分の一。

 善悪はともかく、ホースヘッドが百果さんを殺したがる理由が少し分かってきた。


 百果さんは俺の驚きと、おそらくは今の納得をも流して話を続けた。


「序盤のタイムロスが痛いね、僕に奴が見えていれば、最初のトラックでそのまま逃げてしまうんだが、君を拾わないといずれ詰んでしまう、といって君を拾うのに手こずると追いつかれる」

「すみません」


 どう考えても俺が足手まといだ。


「いや、君がいないとどうにもならないよ、君がホースヘッドの姿を見る未来を予知して初めて僕も間接的にその動きを把握できるんだからね、赤信号で止まらないように微調整できているのもそれさ、微調整というのは物音を立てたり、通行人や車の注意を引いて挙動を調整することだね」


 そういえば前回までの怪物を考えるともう襲ってきても良いはずだが、随分と長く話せている。腕時計を見ると12:12だった。最高記録だ。


 俺は立ち上がって様子を見ようとした。


「待って」


 百果さんは優しく微笑みながら、俺の腕に触れた。

 そして二秒ほどして離した。


「いいよ」

「は、はい!」


 俺は立ち上がって後ろの様子を見た。

 奴が襲ってくるのを警戒したが、まだ車十台分は離れていた。進行方向へ振り返ると小窓から運転手の頭が見えた。

 今制止されたのはあの人に見られないためか。

 

 百果さんは俺が思考を口に出すよりも早く、内容を肯定した。


「そういうことさ、彼はこのまま当分進んでくれる、はいえ流石にあと五分十二秒で詰みだね」

「詰み、ですか」

「ああ、見える未来が狭まっている」


 さっきも次回の話をしていたが、やはりそうか。

 諦めたくはない、が今回がダメだった場合のことを考えないといけない。


「一つ、聞きたいことが」

「95のEだ」

「え?」


 困惑する俺に対して、百果さんは自分の胸を指さしてみせた。


「違いますよ!?」


 全く気にならないといえば嘘だが、この状況で聞くわけがない!95のEか。


「冗談さ、当然ながら僕はタイムリープはしていない、『キョウ君が前回までの僕について話す可能性未来』を見ることで、前回までの自分の振る舞いを理解しているだけさ」


 俺がさっきから気になっていた『なぜ前回までの記憶を引き継いでいるとしか思えない返答ができるのか』という疑問への答えのようだった。


「最初に顔を合わせたとき、スタートダッシュの前に数秒待ってくれればそれで『同期』には充分さ」

「それだけで分かるんですか……」


 同期というのは確かパソコン研の友人から聞いた言葉だった気がする。同期すれば、俺から見て実質『前回までの記憶を引き継いだ百果さん』になれるということか。

 でも、ここまでの経緯は俺がどう整理して話しても数分は掛かりそうだ。彼女は数十倍速の早送りで未来を見ているのだろうか。


「いや、本来ならもっと早いよ、あと胸のサイズは冗談じゃないから安心して良い」

「それは良かった……すみません」


 調子に乗ってセクハラをしてしまった。いや、俺がされたのかこれは?


「あの、もう一つだけいいですか?」

「二つじゃないのかい?」

「スリーサイズはもういいですから」


 知りたい気持ちはあるが、悲しいことに数字を聞いたところでそれがどれくらいかイメージできない。


 それはともかく。


「死ぬのが、怖くないんですか?」

「怖いよ」


 とてもそうは思えない笑顔で彼女は頷いた。


「だから君を誘惑でも何でもして生き残ろうとしているのさ、オートセーブの上書きのリスクが無ければもっと色々してあげたところだよ」

「それは……」

「ん?」

「残念です」

「そうかい」


 俺の軽口を先読みしなかったのは、俺に喋らせてくれるためか。

 それとももう未来が見えなくなってきているのか。


「ただね、が死ぬ分には大した恐怖はないよ、君で言えば指先に掠り傷を負うようなものさ」

「どういうことです?」


 百果さんは人差し指で俺の人差し指にそっと触れた。

 これも誘惑の一環だろうか。

 そんなことをさせたくない気持ちと、してほしい気持ちが葛藤している。


「君は幼稚園の頃に回転遊具から落ちて怪我をしたことがあるだろう?」

「なんです急に?」


 確かにそんなこともあった。

 幼児なりに受け身を取ろうとして、膝を中心にかなりの怪我をした。

『俺がその件を話す未来』を見る余裕が未だあるのか、それとも余裕のあるうちに前もって見たのか。


「あの時は『これで死ぬのか』みたいな大袈裟なことも考えましたけども」

「でも今の君にとっては、遠い過去の怪我の痛みでしか無い、などとも考えない、だろう?」

「今から?避ける?」


 俺と彼女とで世界観に致命的な齟齬がある気がした。

 使用している『時制』が根本から異なっているとでも言おうか。俺ではそれを上手く言語化出来そうもない。


「それと同じさ、『総体としての僕』が死ぬのは怖いが、『この僕』の死はそんなに怖くはないよ」

「百果、さん」


 強がりには聞こえなかった。

 でも、


「全く怖くないわけでは、ないんですよね」


 タイムリープでなかったことになるとしても、他の百果さんが残るとしても、ここにいる百果さんが死ぬことには代わりはない。



 百果さんは答えなかった。



 背後で鳩の鳴き声が聞こえた。振り向くとトラックの縁に一羽止まっていた。俺が近付くと、鳩は飛び立っていった。


 それを追うように外を見た。怪物が車体二つ分後ろを走る自動車と並走していた。

 追い付かれる。


「百果さん」

「うん」

「何度やり直してでも最速で駆け付けますから」

「止めたほうがいいよ、あまりに過酷な道だ」


 俺のしようとしていることに気付いているのか、あるいはもう知っているのか。

 百果さんは心配そうに眉根を寄せていた。


「やります」

「ああ」

「絶対に助けます」

「ありがとう」


 百果さんが微笑む。


 直後、車体が沈み込んだ。

 俺たちの間に奴が現れた。

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