第十話「闇の中へ」
七奈の計画は、つまりこういうことだった。
昼間の内は、衣吹に学園の中を案内するという体で探索場所の選定をする。
人目のない夜の間に、あたりを付けた場所を探索する。
もちろん、門限破りの完全な校則違反だ。見付かればただでは済まないだろう。
それに、問題は他にもある。例の「獣」の存在だ。だがそれは、意外なことで解決した。
「お姉さまの仰った通り、月の明るい夜は獣の気配を全く感じませんのね。唸り声の一つもないわ」
「ふふ、言ったでしょう? わたくしが長年かけて研究した結果だと」
そうなのだ。空に浮かぶ月は、半分を過ぎてこれから満月に向かっていく。そうしてまた徐々に欠けていくのだが、不思議なことにこのおおよそ十五日間は、月が空にある間だけ「獣」が姿を現さないのだという。
彼らの生態によるものなのか、それともまた別の理由があるのか、それは分からない。分からないが、七奈が長年をかけて「獣」の出現に法則性を見出そうとして判明した事実だった。
現に今、衣吹は「獣」の声も足音も、匂いすらも感じない。鋭敏になった衣吹の五感で捉えられないということは、周囲に存在しないということだ。
もちろん、「獣」以外の野生動物や教職員の存在もあるので、全く安心出来る訳ではないのだが。
なお、灯りは七奈が用意した蝋燭を立てるタイプのランタンだけだ。それも、難燃性の黒い布で周囲を覆っているので、照明として殆ど用をなさない。街灯のない学園内では、小さな灯りでも目立つ為だ。あくまでも非常用の照明だった。
「衣吹、足元に気を付けてくださいね」
「あたくしは大丈夫です、お姉さま。夜目が利きますから。お姉さまこそ、大丈夫ですか?」
「ふふ、わたくしも平気よ。実はね、夜目が利く悪いお友達と、夜の散歩をしていた時期があるの――獣の出現法則を調べたのも、それがきっかけ」
「悪いお友達、ですか?」
「ええ。マリア、と言うのだけれど」
「ああ……」
衣吹がこれだけ夜目が利くのだ、姉の真理も同じであっても不思議ではない。
しかし、それにしてもと衣吹は思う。
「……お姉さまとマリア様、実は結構お転婆でいらしたの?」
「うふふ、そうね。皆はわたくし達のことを『完璧』だなんて仰ってくれたけど、実は結構お転婆さんだったのよ?」
夜の探索でテンションがおかしいのか、七奈の雰囲気はいつもより幼く感じられる。いや、むしろこちらが素の彼女なのか。
「本当に仲がよろしかったんですのね、マリア様と」
「もちろん。この学園で最も親しく信頼出来る、親友でしたわ」
「では、必ず見付けて差し上げないと、ですわね」
「……ええ、無事だといいのですが」
結局その日は、寮と校舎の周辺にある建物や雑木林の中を探索するに留まった。月の入りまで時間がなかったので、あまり遠くまでは行けなかったのだ。
収穫は無し。日々、目にしている建物や雑木林だけに、新たな発見は皆無だった。建物の殆どは物置小屋であり、備品や食料品等が収められていた。
「何もございませんでしたね」
「意気消沈することはないわ、衣吹。まだ探索は始まったばかりだもの」
「うふ、七奈お姉さま、もしかして少し楽しんでらっしゃる?」
「少しどころか、大いに、ね」
二人して薄暗闇の中で笑いあう。衣吹は少しだけ、七奈の本質に触れられたような気がした。
***
夜の探索はその後、数日間にわたって続けられた。月の出ている時間帯かつ雨や曇りではない夜のみと、制限が多い中でも、二人は精力的に探索を続けた。
残念ながら、生徒が監禁されていそうな場所はまだ見つかっていない。だが、幾つか発見もあった。
消灯時間を過ぎているにも拘らず、中から灯りが漏れている建物が幾つかあったのだ。最初は教職員が残業でもしているのかと思ったが、よく考えればあり得ないことだ。
夜間外出禁止のルールは、生徒だけではなく教職員にも適用される。日没後には、教職員も宿舎に留まっていなければならないのだ。
――もちろん、それはあくまで建前で、教職員は夜の学園生活を謳歌している可能性もあるにはあるのだが。
他にも発見があった。どうやら、シスターズの何人かは外出禁止の枠外にあるらしく、夜の学園内を巡回しているようだった。以前、七奈と真理が夜の散歩をしていた時にはそんなことはなかったらしいのだが、学園内で何らかのルールの変更があったようだ。
灯りも持たずに夜の学園内を彷徨う彼女達の姿は、ホラー映画のワンシーンのようで不気味極まりない。
幸い、白い大きなエプロンとベールのお陰で遠くからでも目立つので、衣吹達の方が先に彼女らの存在に気付けている。ただ、何分気配の薄い彼女達のことだ。十分警戒しなければならなかった。
そして満月が過ぎ、更に数日が経った夜のこと。
衣吹と七奈は、果樹園の裏手にある古井戸の前に立っていた。果樹園は、寮からは校舎を挟んで反対側にある。その更に裏手なので、学園の敷地内でも隅の方にあたるだろう。
相当に古いものなのか、石積みにはびっしりと苔が生え、元はどんな石だったのか分からない程だ。上には丈夫そうな木製の蓋が鎮座していて、これまた大変に古そうだ。昼間に見た時はすっかり変色して黒ずんでいた。
蓋の上には更に重そうな石が幾つも載せられていて、簡単には開きそうになかった。
だが――。
「衣吹、どうかしら?」
「……はい。やはり、とても酷い臭いがしますわ」
厳重に蓋でとじられていてもなお漂ってくる激烈な異臭――腐臭だ。古井戸の中から、何かが腐った臭いが放たれているのだ。
それに最初に気付いたのは衣吹だった。昼間でも常人よりも優れた嗅覚を持つ彼女は、果樹園のかぐわしい香りに混じる異臭に気付いた。
七奈にそれを伝えると、「もしかして」と思い当たったのがこの古井戸だった。どうやら、七奈も以前から怪しいと感じていた物らしい。ただし、臭いの方は七奈には分からなかったようだが……。
昼間に軽く見たところ、蓋と石積みの間の苔や汚れが一部欠けているのが分かった。誰かが蓋を動かした証拠に違いなかった。
加えて、この異臭。何者かが古井戸の底に捨てた「何か」が腐り果て、異臭を放っているのではないか? そう考えたのだ。
「動物の遺体とかでしたら、いいんですが」
夜の闇のせいでよく分からないが、流石の七奈も青ざめているようだった。それはそうだろう。最悪、「転校」した誰かの――あるいは全員の遺体が、ここに打ち捨てられている可能性があるのだ。
「七奈お姉さま、気をしっかり。もし、その……どなたかの亡骸がここに捨てられているとお考えなら、流石にあり得ないことですわ。この井戸がどのくらい深いのかは存じませんが、こんなところに捨ててしまっては、万が一の時に回収も出来ません。もっと……そう、隠すなら荼毘に付してしまうですとか、バレないように工作をするはずです」
「そう……ええ、そう、よね。ごめんなさい。少し、弱気になっていたわ――蓋を、どかしましょう」
そこからは、お互い無言で重しの石をどかし、蓋を外すことに集中した。
ランタンの中の蝋燭はもうかなり短い。この蝋燭の燃焼時間は約一時間で、探索時間の目安になっている。今日は既に一本を使い切っており、今の蝋燭は二本目。つまり、二時間弱が経過している。
今宵の月は朝まで沈まぬはずだが、だからと言っていつまでも探索を続ける訳にもいかない。だらだらと長く外にいては、衣吹はルームメイトの輝に、七奈は生徒会寮の同居人達に、それぞれ不在を気付かれる可能性がそれだけ増すのだ。
――当初、衣吹はこの計画に輝も巻き込むつもりだった。一緒に探索してもいいし、万が一自室に見回りが来た場合も、輝ならば衣吹の不在を上手にごまかしてくれる、そう思ったのだ。
だが、その提案は七奈によって却下されていた。彼女曰く、「関わる人数が多くなればなるほど秘密は露呈しやすくなるもの」なのだそうだ。
それに、二人がやっていることは完全な校則違反だ。万が一学園側にバレた場合、輝も連帯責任を取らされるのは明白だ。
衣吹は、そこまで考えの至らなかった自分を恥じたものだった。
それから、軽く十分ほど。木製の蓋は思いの外重く、七奈一人では持ち上がらなかったので、衣吹が手伝い、ようやくどけることが出来た。その下から、井戸の口が姿を現す。
――途端、立ち昇る激臭。衣吹だけでなく、七奈もあまりの臭いに顔をしかめざるを得なかった。
「……酷い臭い。衣吹、大丈夫?」
「はい、なんとか……」
涙目になりながら答えるが、正直、衣吹は限界だった。鼻の利く彼女にとっては、アンモニアを直接嗅いでいるくらいの辛さがある。それほど激しい腐臭だ。
他の匂いなど全く分からなくなっているし、気が散ってしまい思考すら上手くまとまらないくらいだ。
「辛そうね。衣吹は少し休んでいて。井戸の中は……わたくしが確認します」
「申し訳ございません、お姉さま」
衣吹の様子を見かねたのか、七奈が自らランタンを持って古井戸を覗き込んだ。彼女にとってもこの臭いは辛いものだろうに、実に毅然としている。
「底は……流石に見えませんわ。ちょっと石を落としてみますわね」
七奈がそこいらに落ちていた小石を拾い、古井戸に放り込む――が、何も音が返ってこなかった。よほど深いのか、あるいは何か柔らかいものの上に落ちてしまったのかもしれない。
「音が返ってこないところをみるに、底には水ではなく泥のようなものが溜まっているようですね……あるいは……。いえ、悪いことばかり考えても仕方ありませんわね。こうなったら、どうにかして井戸の底に下りてみるしかありません」
「お姉さま、それは危険です。底がどういう状況か分からないんですから……任せてください、あたくし、夜目が利くんです。もしかしたら、底の様子が分かるかもしれません」
「あら、そうでしたわね。……では、申し訳ないですが、お願い出来るかしら?」
七奈からランタンを手渡されると、衣吹は意を決して古井戸の中を覗き込んだ。
極力鼻で息をせず、身を乗り出すようにして古井戸の底を凝視する。頼りないランタンの灯りだが、衣吹の特殊な視覚は、朧げにではあるが底の様子を捉えつつあった。
「もう少し……目が慣れれば、見えるかも。お姉さま、申し訳ございませんが、あたくしの腰の辺りを支えていただけませんか?」
身を乗り出しすぎて落ちるほど衣吹は間抜けではないが、それでも念の為だ。ただでさえ悪臭のせいで集中力が落ちているのだから、七奈に手助けを求めるのは決して恥ではない。
「分かりましたわ。でも、わたくし、力には自信がありませんの。あまり期待しないでくださいね」
恥じらうような七奈の言い方に、緊迫した状況にも拘わらず、衣吹は嬉しい苦笑いを浮かべた。
七奈の手が衣吹の腰に添えられる。その体温に安心感を覚え、衣吹が更に身を乗り出した時――。
「あっ」
衣吹の世界が回転し、絶望的な落下感が全身を包んだ。
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