時と鴉

@antatsu_ashihara

鴉の雛鳥と鴉

プロローグ 鴉の子

朝に生まれ変わろうとしている、ある静かな夜のこと。星々は天空てんくうに散りばめられ、きらめく光を放ちながら、まるで世界をいろど絵筆えふでのように空を塗り替えていた。ちゆく月はぎん装束しょうぞくをまとい、大地を照らしながら静かにその軌跡きせきえがいていた。そんな神秘的しんぴてきな時の流れの中、物静ものしずかな森の奥深おくぶかく、ひときわ小さく、けれども確かに存在そんざい主張しゅちょうする産声うぶごえが上がった。


「うえーん! ひっく、ひっく……うえーん!」


よしが入りじる、少し湿しめり気をびた草原そうげん片隅かたすみ昼過ひるすぎに降ったあわい雨のしずくによってわずかにい色に染まったふるびたかごの中で、しろきヴェールにつつまれたひとつの命が、せいいっぱいに泣いていた――この子、よわいわずか一日いちにち。その素性すじょうを知る者はいまだ誰もいない。だが、何をかくそう、このあらたにまれた幼子おさなごこそ、かの名高なだかく、絢爛豪華けんらんごうかうたわれるアルケアン大公爵だいこうしゃく、ブロミオスの血を引く者――その「片割かたわれ」であった。


時はすこもどる。朝が登り始めた時のこと、リーベンライツ本邸ほんていにて。


「お館様やかたさま! 奥様おくさまのご容体ようだいが……!」


あわただしくけ込んできた声が、ひろ館内かんないにこだました。その声に反応はんのうしたのは、執務室しつむしつにて書類しょるいの山にかこまれていた、一人の男。その青年せいねんは、年のころ二十代半にじゅうだいなかば、黄金おうごんのようにかがや長髪ちょうはつを耳の高さまでばし、前髪まえがみ丁寧ていねいげられ、理知的りちてきひたいをあらわにしていた。その容貌ようぼうはまるで人形にんぎょうのようにととのっており、普段ふだん冷淡れいたんで知られる彼の口元くちもとから、今はおさえきれぬあせりがにじみ出ていた。


「何……もうまれるのか? 医師いしは……!」


ブロミオスの声が、広間ひろま反響はんきょうする。だが次の瞬間しゅんかん、駆け込んできた侍女じじょ即座そくざこたえる。


「すでに医師は奥様のもとにひかえております!」


その言葉に、彼はみじかく息をむと、つくえの上の書類をなぎ払い、音もあらく立ち上がった。彼の長い黄金の髪がちゅうに舞い、するど見開みひらかれたパールブルーのひとみが、焦燥しょうそうの色にまる。


重厚じゅうこう二重扉にじゅうとびらが彼の前に立ちはだかる。扉には、銀一色ぎんいっしょくえがかれた壮麗そうれいな絵がきざまれていた――あおき光を放つ聖剣せいけんかかげ、漆黒しっこく巨竜きょりゅうにそれをき立てる神話しんわ騎士きし。その絵は、アルケアン家の初代しょだい大公爵の武勲ぶくんたたえて、王国おうこく三代目さんだいめ襲名しゅうめいいわしたおりおくられた、当代随一とうだいずいいち画伯がはくテルプシコレの手による傑作けっさくであった。


その扉をえると、廊下ろうかには王侯貴族おうこうきぞくほこりが凝縮ぎょうしゅくされたような、圧倒的あっとうてき絢爛けんらんが広がっていた。壁には金糸きんしられたタペストリーがならび、かつての公爵こうしゃくたちの栄光えいこうが重厚な筆致ひっちで描かれ、ゆかみがき上げられた黒曜石こくようせき白銀はくぎんのラインが幾何学模様きかがくもようを描いており、みしめるたびに月光げっこう反射はんしゃする。天井てんじょうには高くそびえるアーチと、宝石ほうせきまれたシャンデリアがるされ、まるで夜空よぞらじ込めたかのように光がきらめいていた。


彼はその豪奢ごうしゃを目に入れることなく、ただ妻のもとへとけ抜けた。緋色ひいろ絨毯じゅうたんが風をはらみ、周囲しゅういの侍女たちはだまして道を開ける。やがて主寝室しゅしんしつの扉が開かれ、彼はそこにいる彼女――アデライーデを見つける。ベッドの上、彼女は汗にれながら陣痛じんつうえていた。そのかたわらでは、すで老齢ろうれい医師いし数名すうめい侍女じじょがつきそい、しずかないのりのような緊張きんちょう部屋へやたしていた。やがて――


「……まれました!」


産婆さんばの声がひびく。第一子だいいっし産声うぶごえがる。だがそのよろこびもつかふたたび陣痛がはしり、二度目にどめの産声がかずつづく。


「……お、お子様こさまは……お二人ふたりです。……双子ふたごでございます」


その言葉ことばに、部屋の空気くうきこおりついた。貴族きぞくあいだでは「双子」は凶兆きょうちょうとされ、かたれし運命うんめいいえふたつにるとしんじられていた。歴史れきしなかで、それが争乱そうらん破滅はめつまねいたれいすくなくなかった。


ブロミオスはほそめ、ひくく、しかしはっきりとげた。


「……このことは、そとにはすな」


医師はしずかにうなずき、第二子だいにしをそっとぬのつつんだ。


そのとき、侍女のひとりが、おそる恐るくちひらいた。


「……お子様たちの、お顔立かおだちが……」


最初さいしょまれたは、ちち面影おもかげをそのまま宿やどしていた。産声すらほこたかく、しっかりとひらかれたひとみんだパールブルーにかがやき、産毛うぶげのようにほそやわらかなきんかみひたいかざっていた。まるで高貴こうき化身けしんのようなその姿すがたに、侍女たちは神聖しんせいなものを見るような眼差まなざしをけた。


一方いっぽうのちまれた子――その双子のおとうとは、まるでよるそのものからまれたかのようだった。髪は黒檀こくたんのようにふかく、ひかりむようにつやめいており、瞳もまた、黒曜石こくようせきおもわせる色合いろあいで、まっすぐにこちらをつめかえしていた。その瞳のおくには、まだらぬ世界せかい射抜いぬくようなするどさがひそんでいた。


そのしずかな、しかし底知そこしれぬ存在感そんざいかんに、だれともなくいきんだ。まるでひかりかげてん祝福しゅくふくたたり。その対比たいひはあまりに明確めいかくで、残酷ざんこくなほどだった。


「この子は……わざわいぶ」


誰かが、そうつぶやいた。


たとえ確証かくしょうなどなくとも、このくにでは双子は不吉ふきつとされていた。だが、もしそれが「まるでていない双子」であるならば、なおさら。まるでふたつの世界せかいって、それぞれがまれたような二人ふたり。その存在そんざいは、血統けっとう政治せいじ第一だいいちとする貴族きぞくいえにおいて、あまりに異質いしつだった。


そのおそく、しるされぬ子はかごれられ、だれにもれぬよう、もりへとはこばれていった――


そして今、星降ほしふる森のなかちいさな籠の中で、しろきヴェールにつつまれたいのちいている。くろかみくろひとみまれて最初さいしょれた世界せかいは、ははうでではなく、夜露よつゆれるよしおとだった。


けれど、母アデライーデはそのすべてをっていた。彼女はいのちめたものの、こころにはふかいたみがのこっていた。ねむりの合間あいま、まるでれぬゆめのように、彼女のみみにあのちいさなごえひびく。


「……ごめんなさい……ごめんなさい……わたしの、もうひとりの……」


そのこえは、よるとばりなかけていった。てん星々ほしぼしは、ただしずかにそれを見下みおろしていた。


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