Bird's Eye
ふぁぶれ
第0章 まなざしの樹 前編
地図とは魚拓である。
この言葉は、世界で最も信用され、最も多く流通した地図を作り上げた地図職人の言葉である。
人や自然の営みによって生き物のように絶えず姿を変化させる大地の一瞬の有り様を紙に留める作業は魚拓を取る様に似ている。そしてその地図を手にした者達は見聞を広め、その土地を訪れ、商売を興し、開拓することでまた世界の有り様を変えていく。
故に、大地の変化に終わりはなく。同じく製図にも終わりなし。我ら製図士の使命は、その土地の栄枯盛衰を可能な限り正確に写し取り、今を生きる人々に授けることであると――。
〜*〜
砂漠の交易都市・スタジアはあらゆる都市の貿易の中継地点であり、それ故に商売のみならず最先端の学問も集中した。中でも経済、測量、詩学は最たるもので、世界一正確な測量と製図の技術が確立するのも頷けるというものだった。
「世界製図協会・スタジア本部」。世界中の冒険者やキャラバン隊からの証言や実地の測量に基づいて、需要に応じた地図を描く団体の本部もまたその街に存在した。砂塵を防ぐ
陽が強烈に照りつける中、ある一団が敷居を跨いだ。それらは全員ターバンをしていて、褐色の肌の男達。屈曲そうだが気性も荒そうな男達を従えて、錫杖を突きながら先頭を歩くターバンの男は、針金のようなヒゲに豪奢な首飾りをしていた。錫杖を音高く鳴らしながら歩を進めると、受付の前に立ちはだかって嗄れた声を挙げた。
「商会を代表して来た。我々が持つこの地図の責任者を呼んで参れ」
「これはこれは、スタジア商会のシエネメス会長!来訪のご予約などありましたでしょうか?」
「無い。火急の用故な。とにかく責任者を呼ぶがよい。貴様のいい加減な地図のせいで、我が商隊が損害を被っているとな」
シエネメスと呼ばれた男は鷹揚に、しかし冷酷に言い放つ。受付は顔を青ざめさせながら、後ろの階段を駆け上がっていった。
〜*〜
程なくして、受付は一人の男を連れてきた。濃緑色のケープを羽織り、丸眼鏡にひっつめ髪を頭の後ろでまとめた初老の男性。それは受付に下がるよう言いつけると、
「お待たせしました。当協会の局長であり、商会に収めた地図の責任者でもあるフレン=ウッドです。地図に不備があるとのことでしたが…詳しくお聞かせください」
「ウッドとやら。貴様は各商会に統一した地図を用意したな。アスフール砂漠を中心とした移動ルートを記し、他都市との貿易を円滑に行えるようにとな。しかし、これはどういうことだ」
ヘレネメスは折り畳まれた地図を机の上に叩きつけると、籐の椅子にふんぞり返った。その図面には赤や黒の
「我が商隊より、地図通りに進んだのに迷って、あやうく遭難しかけたと報告が入った。中には野盗に商品を奪われた者や、荷車が吹き溜まりに突っ込んで水瓶をひっくり返した者もいる。この損害、貴様らに請求せずにどうしろと言うのかね」
「それは申し訳ありません。…しかし、天候に寄る所もあるのではないでしょうか。砂嵐でも起これば、方向を見失うことはままあることかと」
「我々は砂漠越えを知り尽くす商隊だぞ。そんな事態の際には通行を止めるし、何より風読みに天候を調べさせている。そんな言い訳は通用せん」
ヘレネメスは腕を組み、対するフレンを
「して…この無数の印は?」
「我が商隊が異変を感じたり、遭難を感知した地点である。それだけの被害があったと心得よ」
「異変とは、詳しくはどのような」
「これに記されたるは、砂漠の中心地にそびえ立つ『まなざしの樹』を目印に考案された通行ルート。そこを境に東西南北、各都市に通じる道としたものであろう。だが、それに倣って進んだのに記された街にたどり着かぬという。酷い時には南の港へ行くはずが、西の遺跡地帯に迷い込み、盗賊の根城に突っ込む始末。どう言い逃れをするつもりかね」
ヘレネメスが言い寄るが、フレンは顎に手を当てたまま動かない。
「貴様、何か言わんかぁ!会長が水を向けて下さっているのだぞ!」
「…わかりました。一度この件は預からせて頂きますので、原因解明の際にはお知らせします。直ちに検証に入りますので、今日の所はお引取りを」
「フン、生意気な。疾く済ませるがよい。さもなくば、我が商隊の損害をすべておっ被せてくれようぞ」
ヘレネメスは杖を支えに立つと、手下を従えてぞろぞろと外へ出た。砂漠の熱く乾いた風が通り抜ける中で、フレンは至極冷静な目つきで置土産の地図を睨めつけていた。
〜*〜
「局長、大丈夫でしたか。大きな声が聞こえましたが、あの成金共に何かされませんでしたか」
「心配いらんさ、キンダーソン。所詮は地図を額面通りに使おうとしない、金儲けしか目のない連中だ」
フレンを心配する大柄な青年はヨーシュ・キンダーソン。フレンの作業助手であり、製図班では珍しい行動派の人物である。
「というか、陸路で迷うならロック鳥でも使えば良いんですよ。空なら迷わないだろうに」
「やめておけ。あそこはロック鳥を神格化しているが故にラクダの陸上輸送に拘っているのだ。時代錯誤も甚だしいが、言って変わる訳でもなし」
フレンは手近な戸棚を開けると、そこから古い地図と、突き返された地図の写しを取り出して並べた。
「とはいえ、ふむ…見た所変化はなし。砂の侵食で変更した道路の経年変化も反映済み。実地調査も間違いなくした。普通であれば誤りなどあるはずがない」
「自分達の不手際を押し付けただけでは?」
「無くはないが、この書き込まれた印がそれを物語っている。実際に被害は出ているのだから無下にはできん。言われたからには調べる責任があるというものだ」
フレンは書き込み済みの地図を古い地図の上に重ねて置いてから、蝋燭を籐の机の下から照らした。火の灯りで透かされたそれはぼんやりと背景を照らし出し、古い地図と新しい地図との差異を炙り出した。
「…このバツ印、円形に広がっているような?」
「それも、彼らが目印に据えた『まなざしの樹』からな。それが強いて言うなら法則性か」
言われてみれば、無数の印は木を示す記号を中心に同心円状に広がっていて、そこから離れた位置にある印もまた、そこから道路や旧道に沿って伸びた先にあった。
「つまり、原因はこの周囲という訳ですか」
「まあ、この世界には魔法も魔物もいる。その前では製図士など、壊された巣をせっせと直す蟻のようなものかもしれないな」
だが、とフレンは言いながら腰を伸ばすと、帽子掛にかけられていたハンチングを被る。
「蟻は蟻なりに存在意義がある。行こうかキンダーソン、我々の『魚拓』の取り直しに」
こうして、世界製図協会・スタジア本部に「砂漠地帯の測量のやり直し」が新たな依頼として舞い込んだ。
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