見える女 ―SNSに映り込む恐怖―

ソコニ

第1話 見える女



「奈々ちゃん、この企画マジでお願いしていい?」


上司の村瀬から席越しに声をかけられた時、三浦奈々は目の前のパソコン画面から顔を上げた。編集部のオフィスは夕方になり、少しずつ空席が目立ち始めていた。


「はい、もちろんです」


奈々はそう答えながら、新しく担当することになった企画書に目を通した。「現代都市伝説を追う」というタイトルが大きく印刷されている。奈々が勤める「ミステリア」は、オカルト・怪奇現象を扱う月刊誌だ。最近、発行部数が減少傾向にあり、少しでも読者の関心を引く企画が求められていた。


「ありがとう。この間の会議でも言ったけど、SNSで話題になっている都市伝説を徹底検証する連載にしたいんだ。今の若い読者層を取り込むためにも、ネットでバズってる怪談を取り上げたいんだよね」


村瀬はコーヒーカップを片手に説明する。


「取材協力者としてこの人を紹介しておくよ。田中俊哉。フリーのライターで、ネットの怪談・都市伝説に詳しい人。連絡先はメールで送っておくから」


「分かりました。早速コンタクトを取ってみます」


奈々は仕事用のノートに田中俊哉の名前をメモした。出版社の編集者として5年目を迎える奈々は、これまで料理本や旅行ガイドを担当することが多かった。「ミステリア」の編集部に異動になってまだ3ヶ月。オカルト雑誌の担当は初めてだったが、新しい分野への挑戦に密かな興奮を感じていた。


---


田中俊哉との初顔合わせは、新宿の喫茶店で行われた。奈々が店内に入ると、窓際の席で一人でノートパソコンを開いている男性がいた。黒縁メガネをかけ、髪は少し長めで耳にかかっている。35歳と聞いていたが、実際に会ってみると若く見える。


「田中さん、はじめまして。三浦奈々です」


奈々が声をかけると、田中はノートパソコンから顔を上げた。


「あ、三浦さん。どうぞ、座ってください」


二人は簡単な自己紹介を交わした後、奈々は企画の概要を説明した。


「現在SNSで話題になっている都市伝説を徹底検証する連載企画なんです。田中さんにはネットの怪談に詳しい専門家としてご協力いただければと」


「面白そうですね。実は最近、気になっている都市伝説があるんですよ」


田中はそう言って、自分のスマートフォンを取り出した。


「『見える女』って聞いたことありますか?」


奈々は首を横に振った。


「最近、インスタグラムやTikTokで急に話題になり始めた都市伝説なんです」


田中は画面をスクロールしながら説明を続けた。


「SNSに投稿した写真や動画に、投稿者が撮影時には見ていなかった女性が映り込んでいるというもの。その女性を見た人は、数日以内に不可解な事故や精神異常に陥るという噂です」


田中がスマホを差し出すと、そこには複数のSNSのスクリーンショットが保存されていた。若い女性たちが自撮りした写真の背景に、ぼんやりと女性らしき影が写っている。


「これだけなら単なる合成か幽霊写真の類でしょうけど、面白いのはハッシュタグなんです」


奈々は画面を見つめた。どの投稿にも「#見える女」「#もう見えてる?」というハッシュタグが付けられていた。


「このハッシュタグで検索すると、同じような写り込みの報告が数百件見つかります。そして...」


田中は一旦言葉を切り、奈々の反応を窺うように顔を上げた。


「これらの投稿者の中には、その後SNSを突然停止した人や、精神疾患で入院したという噂がある人もいるんです」


奈々は思わず身を乗り出した。


「それって...本当なんですか?」


「それを調べるのが私たちの仕事ですよね」


田中は微笑んだが、その笑顔には何か暗いものが混じっているように奈々には感じられた。


---


その日の夜、奈々は自宅のソファに座り、田中から教えてもらったハッシュタグで検索をかけていた。確かに、「#見える女」のタグで検索すると、背景に謎の女性が映り込んだ写真や動画が次々と出てくる。


投稿者たちは口々に同じようなことを書いていた。


「撮影時には誰もいなかったのに、写真を見返したら知らない女性が写っていた」

「動画を編集していたら、フレームの端に誰かが立っているのに気づいた」

「この写真を見た後、常に誰かに見られている気がする」


奈々はスマホを置き、アパートの窓の外を見た。もう夜の11時を過ぎていて、窓の外は真っ暗だ。普段なら何とも思わない闇が、今夜に限っては不気味に感じられる。


「単なる集団心理現象かもしれないけど...」


奈々はそう呟きながら、一つの投稿に目が止まった。それは約3週間前の投稿で、若い女性がカフェで友人と撮った自撮り写真だった。背景のガラス窓に、長い黒髪の女性が写り込んでいる。


コメント欄を見ると、最初は「合成乙」「写真加工うまいね」といった冷やかしのコメントが並んでいたが、投稿から1週間後に投稿者本人から不気味なコメントが残されていた。


「毎晩見える。誰も信じてくれない。でも彼女はいつも私を見ている」


その後、アカウントの更新は途絶えていた。


奈々は思わずスマホを置き、部屋の中を見回した。誰もいないはずの自分のアパートが、突然他人の気配で満ちているような錯覚に襲われた。


枕元に置いたスマホの通知音が鳴り、奈々は飛び上がるように驚いた。田中からのメールだった。


「明日、『見える女』の目撃情報があった場所のリストを作ってきます。それと、この都市伝説に関する重要な共通点を見つけました。詳細は明日。おやすみなさい」


奈々はそのメールを読み終えた後、なぜか自分のスマホのカメラアプリを開いてしまっていた。自撮りモードになったカメラに映る自分の疲れた顔。そして...背後の暗い部屋の隅に、何かが動いたような気がした。


奈々は急いでカメラアプリを閉じ、スマホを伏せた。


「気のせいよ」


そう自分に言い聞かせながらも、奈々は寝室のドアをしっかり閉め、普段はしないライトをつけたまま眠りについた。


---


翌朝、奈々は編集部のデスクで「見える女」について収集した情報を整理していた。昨夜の不安は朝日とともに薄れ、冷静に考えれば単なるインターネット上の噂話に過ぎないと思えた。


「おはよう、三浦さん」


後ろから声がして振り返ると、田中が立っていた。昨日より少し疲れた様子で、目の下にクマができている。


「早速ですが、これを見てください」


田中はUSBメモリを差し出した。奈々がそれをパソコンに接続すると、中には「見える女_証拠」というフォルダがあった。中には複数の写真と一つのテキストファイルが保存されていた。


「昨夜遅くまで『見える女』の投稿者たちを追跡調査していました」


田中の声は少し興奮気味だった。


「そして、いくつかの共通点を発見したんです」


テキストファイルを開くと、そこには投稿者たちの情報が整理されていた。名前、年齢、投稿日、そして最後の更新日。


「特に注目すべきは、これらの投稿者たちが全員、投稿前の1週間以内に特定の場所を訪れているということです」


奈々はリストを見つめた。確かにそこには「訪問場所」という項目があり、幾つかの場所が繰り返し出てきていた。


「新宿歌舞伎町のある雑居ビル、多摩川沿いの廃工場、そして...」


田中は一番気になる場所を指し示した。


「都内から少し離れた廃病院。この3ヶ所が最も多いんです」


「実際に現地調査するべきですね」


奈々は決意を込めて言った。


「その前に、もう一つ興味深い点を」


田中はUSB内の別のフォルダを開いた。そこには「最終投稿」というタイトルのスクリーンショットが並んでいた。


「『見える女』が写り込んだ写真を投稿した後、アカウントを削除する前の最後の投稿たちです」


奈々はそれらを一つ一つ開いていった。どれも不安や恐怖を訴える内容だったが、奈々の血の気を引いたのは、その多くが同じフレーズで終わっていたことだ。


「まだ見える...」


田中と奈々は顔を見合わせた。


「今週末、一緒に現地調査に行きませんか?まずは多摩川沿いの廃工場から」


奈々は頷いた。取材として理性的に捉えようとしていたが、心の奥では不思議な恐怖感が湧き上がっていた。


---


その日の夜、奈々は再び自宅で集めた情報を整理していた。田中から送られてきた「見える女」に関する投稿者たちのSNSアカウントをチェックしていると、一つの動画が目に留まった。


それは一ヶ月前に投稿された動画で、若い女性がナイトクラブで撮影したものだった。暗い照明の中、カメラは踊る人々を映し出している。一見すると普通のパーティー動画だが、よく見ると画面の端、バーカウンターの横に黒い長髪の女性が立っている。彼女だけが周囲の喧騒とは無関係に、じっとカメラを見つめているのだ。


動画の説明欄には「みんな見える?#見える女」と書かれていた。


コメント欄は荒れていた。最初は「怖すぎ」「マジで映ってる」といった反応だったが、次第に「合成だろ」「ステマ乙」といった否定的なコメントに変わっていた。


しかし、投稿から10日後、投稿者本人から最後のコメントが残されていた。


「削除しても無駄。彼女はもう私のすべての写真に映っている。まだ見える...」


その後、アカウントは削除されていた。


奈々は動画を何度も再生し、謎の女性の姿をスクリーンショットで保存した。顔はぼやけているが、白い顔に黒い長い髪、そして不自然なほど大きく見開かれた目が特徴的だった。


スマホを置いて伸びをしようとした瞬間、奈々のスマホに着信が入った。画面を見ると「非通知設定」となっている。


「もしもし?」


奈々が応答しても、相手からの返事はない。ただ、かすかに誰かの息遣いが聞こえるような...。


「どちら様ですか?」


再び問いかけると、今度はかすかな女性の声が聞こえた。


「...見えてる?」


奈々は思わずスマホを離した。しかし着信はすでに切れていた。画面には「不在着信 非通知設定」とだけ表示されている。


落ち着こうと深呼吸をした奈々だったが、その時、スマホに通知が入った。「新着メッセージ」。見知らぬ番号からのSMSだった。


震える指でメッセージを開くと、そこには一つの添付ファイルがあった。


「動画を受信しました」


奈々は恐る恐る動画を再生した。


そこに映っていたのは...奈々自身の部屋だった。まさに今、奈々がいる場所が外から撮影されているのだ。カメラはゆっくりと窓に近づき、中にいる奈々の姿を捉えている。


そして動画の最後の瞬間、窓ガラスに映るカメラを持つ人物の反射が映った。


長い黒髪。不自然に大きく見開かれた目。それは間違いなく「見える女」だった。


奈々は悲鳴を上げそうになるのを必死で堪えた。窓の外を見るが、そこには誰もいない。それでも、誰かに見られているという感覚だけが残った。


スマホが再び鳴り、奈々は飛び上がるように驚いた。今度は田中からのメールだった。


「緊急事態です。明日会う時間を早められませんか?『見える女』の正体について、重要な情報を入手しました」


奈々はすぐに返信した。


「明日の朝一で会いましょう。私も...あなたに見せたいものがあります」


メールを送信した後、奈々はアパートのすべての鍵をかけ直し、カーテンを閉めた。それでも、背後に誰かがいるような感覚を振り払うことができなかった。


ベッドに横になっても、目を閉じるたびに「見える女」の大きく見開かれた目が浮かんでくる。


「気のせいよ...ただの都市伝説」


そう自分に言い聞かせながらも、奈々は何度もスマホのカメラで部屋の中を確認せずにはいられなかった。


(続く)

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