幕間 凍流々部という女

 ――某所にて。


 見渡す限り氷の花が咲き乱れる血みどろの丘。

 薄鼠の暗きに光射す妙齢の女が一人、突き出た氷山に佇んでいた。

 その女は氷の玉座に座りくつろいでいる。

 後光が照らすは塵一つ無き白無垢。

 笑む口元には白む息、時は凍る。

 凍て風吹き荒ぶ丘に生者は一人。

 転がる無数の死者たちは全身が氷柱に射貫かれている上に氷漬けにされていた。

 事切れた氷像は無垢を掲げ、凍る血肉を時と共に置き去りにする。


 女が満ち足りた心持ちで帰路に着こうとした瞬間、風が一際強く吹いた。

 飛ばぬかと綿帽子の端を摘まむ。

 突風は白の衣をはためかせ、氷の花を幾分か散らす。


 少しして、風は止む。

 凪の訪れと同時に男の声が聞こえてきた。


「お~、さっぶ。相変わらず冷たい女やなぁ、凍流々部しるるべはん」


 白無垢の女……凍流々部は風が止んだのを確認し顔を上げた。

 そこには一人の青年が立っていた。

 射す光が男の銀髪を眩く照らす。

 裏向きに着た羽織には蓮の花があしらわれていた。

 にんまりと不敵に笑うその顔からは心を読むことが出来ない。


「なんや、あんさんかいな。えらい久しぶりやなぁ……羽織、裏表逆やで」


 凍流々部は特に驚いた様子を見せず言葉を返した。


阿呆あほう、これはファッションや」


「……せやか」


 男はゆらと首を傾け辺りに転がる氷像を見渡した。

 尚も不敵な笑みは崩れない。


「復讐もここまで来たらただの殺戮やなぁ。……ほんでこいつら誰やねん」


 そう言って、足元に転がっていた氷漬けの生首を蹴飛ばした。

 落ちるとともに首は硝子玉がらすだまが如く砕け散る。


 そんなことは露知らず、凍流々部は自身が描かれた人相書にんそうがきをひらひらと見せつけている。


「『凍流々部しるるべ 凍彗しすいを討伐しようの会』の方々や……なあ?」


 自身が座っていた氷の玉座をかかとで小突くと、足元から男の呻き声が聞こえだした。

 彼女が腰掛けている部分を見て見れば、それは四つん這いになった人間。

 首から下が氷漬けにされており身動きが取れないでいる。

 極度の寒さからか歯をガチガチと鳴らし、顔は白く、唇は真っ青に染まっている。

 凍結した涙の跡が頬に痛々しく走っていた。

 氷の玉座、それは人間を凍らせて作った生ける玉座であった。


「うわぁ、ほんま趣味悪いなぁ」


「たっ……たすけてくれっ……!」


 氷漬けの男がか細く震える声を発した。

 それは風にかき消されてしまいそうなほど弱々しく、今にも消えてしまいそうなものだ。


「なんか言うてるで、凍流々部はん」


「あんさんが助けたったらええやんか、神様なんやろ?……自称」


 凍流々部が馬鹿にするようにそう言うと、男はニヤリと笑ってふところを探り、一枚の紙を取り出す。


「ほなここに名前を……ってその体やと書けへんか。ざんねんざんねん」


 しかし、すぐさま取り出した紙を引っ込めてしまう。


「た、頼む、俺には妻と生まれたばかりの子供がいるんだ――っ!」


 凍る男は尚も乞う、家で待つ家族を浮かべて。

 そこに座す女王は溜息をひとつ、目を伏せる。

 その目には一滴の悲哀が見て取れた。


「恨むなら……世界を恨むんやな……」


 そう言って氷の肘掛けをトンッと指で突けば、唯一生身だった顔までもが氷漬けに。

 弱く揺らいでいた命の灯は凍て風と共に消えてしまった。


「あーあ、そんなんするから嫁の貰い手が見つからんのや」


「やかましいわ……あんさんもてもうたろか?」


 キッと睨むと、凍流々部の周囲にパキパキと音を立てながら氷の刃があらわれ始めた。

 男は慌てて両手を振って否定の意を示す。


「堪忍してや、僕は別に喧嘩売りに来たんちゃうねん」


「ほな、なんや。ええ男でも紹介しに来たんか」


「ええ男なら目の前におるやろがい」


 男はえりを正して飄々ひょうひょうと答える。

 しかし、冷たい風が吹くとすぐさま身を縮こまらせてしまう。


「冗談よしぃや。何千年も生きとる化けもんはこっちから願い下げや」


 凍流々部が眉間にシワを寄せて答えると、男は大口を開けて笑い始めた。


「はは、まぁ、冗談は置いといて……今日は凍流々部はんにお仕事持ってきました」


「……仕事?」


 怪訝な顔で聞き返すと、男は笑みを収めて語りだす。


「うん。近々僕の部下のもとにめちゃくちゃ強いおっさんが来るんやけど……そいつをとっ捕まえてほしい」


「捕まえる……?殺したらあかんのかいな」


 すると今度は手を叩いて笑い始める男。


「殺せるモンなら殺してもええけど……まぁ無理やろなぁ」


「このわてでもか?」


「うん。わてさんでもや」


 瞬間、凍流々部の凍った内からふつと何かが沸き始める。

 それは永久凍土を溶かすが如くの闘志。

 辺りに咲き乱れる氷の花と氷像が音を立てて震え始めた。


「あんさんがそこまで言うんやったらよっぽど強いんやろなぁ?」


「そらそうや、僕の古い友達やさかい」


「間違えて殺しても恨まんといてや」


「どーぞお好きに……ほな、任せたで」


 そう言って男は帰ろうとするが、凍流々部はすぐに呼び止める。


「待ちぃや、おっさんの見た目は、場所はどこやねん」


「あぁ、いかんいかん。忘れとった。おっさんは阿呆みたいな丁髷頭ちょんまげあたまで腰にボロボロの刀下げとる。ほんで場所は……大都市『八絞やこう』」


 八絞、次なる戦場の名を聞いて凍流々部は目を見開き、狂気的な笑みを浮かべた。

 氷の花が、氷像が、次々と甲高い音を鳴らしながら砕け散っていく。


 氷の山で血が湧いて、凍る世界で肉躍る。


 しかし凍流々部はすぐに冷静さを取り戻し、疑問を投げかける。


「待てぇよ、八絞言うたら紫波川しばかわのお膝元ちゃうんか。アレとやり合うんはごめんやで」


「はは、いくら凍流々部はんでも五光貴族相手は怖いんか」


 凍流々部は眉間にシワを寄せ、舌打ちをして吐き捨てる。


「ちゃうわボケェ。あいつの相手したらビリビリ痺れるから嫌やねん」


「まぁ安心しぃや。八絞言うてもおっさんが来る予定のところは都心からはかけ離れた場所や。それにちゃんと結界も張っとくさかい、思う存分暴れてくれや」


 それを聞いて、凍流々部はにっこりと笑顔を浮かべてただ一言述べる。


「毎度」


「ほな、よろしゅう……はすを」


「やかましいわ」


 いつかの突風が吹くと、男の姿は消えていた。


 再び一人になった女は静かに笑む。

 ゆっくりと立ち上がるや否や氷山が崩壊を始めた。

 崩れる音がけたたましく鳴り響く中で、ぽつりと呟く。


「――ほな行きまひょか」

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夕占夕子の祓いごと 詩川 @nin1732

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