第8話

村までの帰り道は来る時以上にあっという間に感じられたが、インベルは抜け目なく仔細しさいを尋ね聞いていた。

「……でも悪戯程度とはいえ、人を困らせてはダメよ。きちんとその辺の罪はつぐなってもらわなきゃ」

〈い、いや。違う! それはあの死んだ二人の方だ。俺ぁ二人の元上司で友達……〉

「え……」

〈俺は……俺はそんな二人の噂を聞いて追いかけてきてたんだ。俺の名はアルキメデス……アルキメデス・サルバトーレ・フェルディナンディス〉

 話によると、そのゴブリンは東南の〈エステバリス〉、北の〈ナルガディア〉、西の〈神聖アルカディア〉から成るテクトリオース大陸全土に幅広く市場を持つ物流会社ゴブリン&フェンディーズの次男坊だという。

 戦後、魔族との垣根かきねが一応はなくなったかのように見えて、世界中でヒトと魔族との異文化交流が図られると共にいくつもこんな会社が立ち上げられた。

 アルの家族もそのうちの一つ。

 といっても父親は戦前、海をまたいで魔族たちの総本山である故郷〈マリステリア〉で叩き上げの中隊長を務め、アルもその他の兄弟たちも魔王軍の中枢に食い込めるような厳しい教育を施していたらしい。

〈つまり、はなからろくな考えはないのさ。行き当たりばったりで産まれたから育てるだけ。育てるってのも、周りの目があるからだな。周りがこうだからってんで、それに合わせてるだけ。言うこと聞かすのもご近所さんに舐められたくないから。うちはしっかり教育してんですよーってポーズなんだ。ろくなもんじゃねぇ〉

 ゴブリンにもそんな家庭が山ほどあるとアルは話した。

 話題が逸れたが、とにかくアルはそんな男の次男ということもあり、戦後、支社の一つを受け持つことになった。

 当初経営は上手くいっていた。アルも次第に自信をつけ、やりがいをもって仕事をこなす日々が続いた。

 しかし、そんな世間の態度に未だ納得がいってない連中もいる。

 なぜ自分たちの造った製品を人間などのために分け与えなきゃならないのか。ひいては、なぜ人間なんかのために働かなきゃならないのか。

 アルの営業は常にそんな頭の固い職人たちとのコミュニケーションであり、戦いだった。

 若い社員たちの間でも、人間たちに迎合げいごうする魔族社会の現状に不満を持つ奴らは少なくなく、たびたび〈マリステリア〉では問題になっていると言う。

〈《人間どもの犬になった》、《魂を売った》、《人間どものふにゃちんがそんなにお気に召したのかい?》 ……っとすまねぇ、姉御。しかし、よく言われるんだ。《結局奴らが怖くなったんだろ? 戦時なら売国奴で全員縛首だったのに……》、とかなんとか……〉

「戦後にはありがちよね。あの二人はそんな連中の一人だったってわけ」

〈そういうことだ。しかし……俺だってどうかわからねぇよ〉

 アルは山道を下りながら、煌々こうこうと月の映える夜空に喉仏のどぼとけをさらして言った。

〈共存の時代だ! って息巻いて、たくさんの人間たちを見た。ああ、感謝されて、やりがいも感じたよ……けど、これが俺の本当にやりたかったことなのか? 本当は連中の言う通り、ただビビって腰低くしてただけなんじゃねえか? って。判らなくなっちまった……〉

「連中にしても、それでやってることが畑荒らしなんて可愛いもんじゃない。てかね、アル。そういうことは早く言いなさいよ」

〈え……〉

「あんたは悪くないじゃない。危うく無関係な奴を巻き込むところだった」

(言う間もなくぶっ放してたよな……)

 村に戻ったのは深夜過ぎだった。

 ランタンの火がぽつぽつと漂う村の門前に老婆が待っていた。

「中で待っててもよかったのに!」

「いやいや。考えてみたらあんたみたいな娘御むすめごが一人で入ってっちまうもんだからよぉ……それも心配で心配で」

 この老婆がいる限りこの地のお尋ね板がすたれることはないだろうと呆れていると、アルがその場の土に深く額をこすり付けていた。

〈婆さん、すまねぇ。子分の失礼は上司の失礼だ。俺がいながら、この度はたくさん迷惑かけちまった……すまねえ。俺の頭でよかったら蹴ってってくれ〉

 続けて、インベルに〈伝えてくれ〉と言って目配せするが、インベルの通訳を待たずに老婆は言った。

「おやおや。何言ってんのかわからねぇけど、なんとなく伝わったよ。こんな奴もいるんだねぇ。頭をお上げ。男がね、めったなことで頭を下げるもんじゃあないよ。かかか」

「伝わったって」

 インベルが足元に告げてもまだしばらく、アルはそうしていた。

 その晩は老婆の家で過ごすことになった。アルが妙に気に入られて快く泊めてもらえることになったのだ。

 一方若者や当のゴブリンたちがどうなったかは二人共に口をつぐんだし、老婆もあまり詮索しなかった。

 都会に出稼ぎに行ったという息子の部屋を借りてその鎧戸よろいどに腰をついて空を見上げる。夜風がほてった身体に絶妙で心地よかった。

 アルは床で寝た。

 最初インベルがベッドをゆずったのだが、〈俺ぁ……〉とぶつぶつ言ってテコでも聞かなかった。まぁ都会でもなければわらが敷き詰めてあるだけの質素な寝台に、雑魚寝ざこねも大して変わりがないのだが、男の意地みたいなものがあるのだろう。

 強がりなとこがまた微笑ましくて、インベルは寝しなに切り出した。

「そういえば名乗ってなかったけど、私インベル」

〈インベル……インベルって〉

「そう。〈血染めの花嫁レディ・ブラッドヴェール〉よ」

〈そうか……あんたが……〉

「あんま驚かないんだ」

〈あれだけ常軌じょうきいっした強さならな……むしろ合点がてんがいったよ。そうか、あんたが……〉

「うん……」

 インベルは続けて言った。

「巻き込んじゃって悪いからさ。あんた、何か困ってることないの? 私が力になるわ」

〈困ってること……? そりゃ……〉

「ま、一晩考えてみてよ。おやすみ」

 そう言って微睡まどろんでいった。

 翌日。朝一番にアルの姿はなかった。

 部屋を抜け、外に出ると朝日に照らされた風車小屋のてっぺんに虫みたいに張り付いていた。

「おお、きちんと回る! 回ってるよー! 小鬼の子よーい!」

 ぎこちなかった風車がごうごうと音を立てて引っ掛かりなく回るようになっている。小屋の足元には老婆の他に数人の村人たちも集まってきていた。

「……これは」

「ああ、おはよう。お嬢ちゃん。よく寝られたかい?」

「ああ、うん。それよか何やってんの、あいつ……」

 老婆は言った。

「見ての通り、風車を直してくれてんだよ。何言ってんだかわからねぇけんどもよぉ。私らが困ったねぇって話してたらよぉ」

「いやー小鬼のやつがこんな人の役に立つことするなんてなぁ……また畑に現れたら、大根の一つでも分けてやるかね……」

 確かにゴブリンは身のこなしに優れ、かつ手先が器用で人間の大人よりもこんな軽作業には向いている。が、大抵はイタズラ好きでお調子者の困った奴らだ。

 アルがゴブリン界の変わり者なのである。

 一概いちがいに信用するのはどうかと思ったが、

「へぇ……アルってばやるじゃん」

 額の汗拭きながら風車にまたがるその姿は勇ましく、インベルはますますれ込んでいくのだった。

 しかし、その矢先、インベルの青筋はまたしても激しく波打ち、立てられることとなった。

 お世話になった老婆宅の家具を壊すわけにもいかず、今にも噴出しかねない魔力を押さえ込むのに大変な努力を要した。

「いま……なんて……?」

〈え? あーだからさー。昨日の。力になってくれんだろ? それならさ〉

 その小鬼は食卓を囲みながら事もあろうにこう言ったのだ。

 どこか堪えきれないような薄ら笑いを浮かべながら。

〈俺、実は好きな人間の娘がいてよ。正直、結婚したい……けど、相手がどんな気持ちとかわかんねぇし。ほら、俺ゴブリンだし。んで、よかったら、その……姉御にヨイショしてもらいてぇなぁって……だはは、ダメかな?〉

「……私が? ゴブリンの恋のキューピッドしろって?」

〈あ、あぁ……うん。その、あはは……〉

 しかし、一度言った手前撤回てっかいするわけにもいかず、インベルのテンションは朝から地底より深く落ち込むのだった。

(はぁ……コブ付きかよ……)

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