パスタ×座敷童子 on the カレー
白河雛千代
第1話
「今日はパスタを作ります」
友人がどこにでもあるようなキッチンを前にして言った。珍しく家に呼ばれたかと思ったら、エプロン姿で、これである。ちなみに僕だって料理をしないわけでもできないわけでもないし、何なら好きな方だから、手伝うといっても聞かない。
友人の家はそこそこ良いマンションだった。僕はリビングキッチンの居間スペースに座り込んで挙手する。
「カレーがいいです」
「材料はオーソドックスなパスタと、オリーブオイル、ミニトマト、ニンニク、バジル、それから塩。あと粉チーズ。これだけ」
友人はキッチンの中で見慣れないエプロン姿をし、誰に見せているつもりなのか、用意した食材の説明を一つ一つ語り出した。お料理系YouTuberに触発されてしまったようである。
「せっかくなので、カレーにしよう」
「まずニンニクを切ります」
僕の気の利いた発言はニンニク、ミニトマトと同じように全カットであった。
僕はリビングにいても退屈なので、テーブルの方から身を乗り出すようにして、キッチンを覗き込むことにする。
友人は鍋に水をいっぱいに入れて塩を程よく塗し、奥のコンロにかけると、意外にも慣れた手つきでニンニクを包丁の側面で押し潰し、芽をとって、細かく刻んでいった。刻んだニンニクはフライパンの中に入れていく。そこにオリーブオイルをひたひたになるくらい入れて放置。まだ火はつけない。
続いてバジルの葉を適当に手でちぎり、先に茎の部分だけニンニクと同じようにオイルに浸し、そこで火入れを始めた。初めは強火でフライパンを傾け、オイルがふつふつしだしたところで定位置に戻して、火もごく弱火にし、じっくり旨みを引き出していく。
ミニトマトは半分にカットして、その面にひとつまみほど塩を塗しておき、ニンニクとバジルの香りが十分にオイルに移ったところでミニトマトをカット面を下にして投入した。
しかし、まずい。これでは本当に料理しているだけだ。何か面白いことをしなければ。僕は焦った。
「知ってた?」
「なぁに?」
「歌舞伎揚げって歌舞伎揚げじゃなきゃダメなんだよ」
「そう」
たまには僕からネタを振ろうと思ったが、それで話が終わってしまった。奇妙で風変わりなのはいつも友人の方で、僕は特別な趣味があるわけでも、能力に秀でているわけでもなく、どこにでもいる普通の大学生なのである。
鍋が湯だつとパスタを投入。煮詰まってきたミニトマトはトングで潰してペースト状にしつつ、ここでバジルの茎は外す。
パスタは茹で上がるちょっと前にフライパンに。茹で汁もやや多めにフライパンに入れて、一緒に煮詰め、いい感じにパスタがしんなりしてきたところで、火を止めて、バジルと粉チーズを満面に振りかけて、一気にフライパン返し。一回、二回、三回と器用にパスタを宙に放って、空気と撹拌させる。ちなみにイタリアではこれを"マンテカトゥーラ"というらしい。所謂、乳化という作業をしているのだが、ガチャガチャかき混ぜるよりも、こっちの方がパスタも切れないし、いいと僕も思う。何より本場のイタリア人シェフの見様見真似であり、他ならぬ友人もYouTubeで見て覚えたのを僕は知っている。なぜなら、誰あろう、このチャンネルを勧めたのは僕だからだ。
さて、皿に盛られたパスタはトマトソースがほんのり淡いクリーム状になっていて、香りもニンニクが効いててスパイシー。見るからにお腹が鳴る出来であり、僕は友人と向かい合わせに座ると、堪らず口をつけた。もちろん、いただきますは言ってある。
「……どう?」
「ヤバい……めちゃくちゃ美味しい」
友人は自分の分をフォークに絡めながら、得意げに笑う。その間に僕は二口、三口と箸ならぬフォークを進めている。
「なんていうんですか、こう、トマトの酸味とニンニクの香りがしっかり融合してて、そこにバジルの爽やかな香りが……」
「そういうのいいから」
「けれど、今度はカレーにしよう」
僕がそう言うと、友人は口の中のものを飲みこみつつ、悩ましげに唸る。
「うーん……だって、カレーはカレーじゃん?」
「そんなことないよ。バターカレーとか、チキンカレーとか、一番変えたいならシーフードかなぁ。コンビニに売ってるレトルトだけみても、結構、味違うし」
「家で自力で変えたいとなると、ひたすら手間がかかるでしょ。玉ねぎ煮詰めたりするだけでも。レトルトのでいいなら、レトルト買えばいいじゃん。よほどでなければ、作り手で違いがあまり産まれない。よって面白味に欠ける。もう全部リーでいいよリーで」
「なんて理屈だ……けれど、反論もしがたい……リー美味いしなぁ」
「まぁどれ食べても大体同じ味ってのが、安心するんだろうけどさ。最近はカレーで喜ぶ子供もあまりいないらしいじゃん? こう、マックとかのフランチャイズ店みたいな料理……」
「やめろ……もうやめろ……! さすがに言いすぎだ」
僕はそう言いながら、思わず友人の口元を塞がずにはいられなかった。——が、すぐに手のひらに伝わるやわらかな感触にたじろいで、腕を引っこめた。
目前に広げた手のひらの、中指と薬指の付け根から中央付近にかけて、まるで口紅みたいなトマトソースと、その繊細、鮮烈な触感の
僕は逡巡する。
適当にティッシュとかで拭けばいいのだろうけれど、それはそれで失礼もとい、友人を傷つけてしまいやしないだろうか。僕自身はまったく気にしていない、それどころか、完全なる有りの状況であるし、何ならこのまま二、三日放っておいても構わない。しかし、この場合の好意とはどのようにすれば最大公約数になるのだろう。いや、目の前の友人に伝わる最小公倍数となる選択のほうが肝心だ。さもなければ、舐め——いやいや!
そうして高度な心理戦が始まったところで、救いを求めるように顔をあげると、そこでは僕の手のひら同様、友人の口回りも酷いことになっていた。それでいていつもの、半開きでやる気のなさそうな目でこちらを見ているものだから、僕は吹き出した。
「あはは……それヤバ……子供みたい」
たまらずお腹を抱えて、笑い転げていると、
「まず謝罪だろ……! もー」
友人は小さく憤慨したようすで、近くのティッシュを数枚とって、まず自分の口周りを拭い、
「ほら」
続けて、僕の手のひらも差し出すように促した。
「え——……ああ、うん」
あたかも茫然自失としたかのように、僕がそう言って手を出すや、友人は同じティッシュの——しかし綺麗に折りたたんで、きちっと汚れていない面を使用して、僕の手のひらのトマトソースをも拭き取っていく。
(……うーん、気にしてないのか。それとも僕が気にしすぎなんだろうか)
たまに考えることを、そのときもふっと思った。
(そもそもいつまで僕らは友人のままなのか)
「そこが問題だ……」
食後、キッチンに並びながら、洗い物をしていると、突然、隣で友人が言い出して、僕は内心どきりとした。
「え……」
「依頼人の期待に添えるだろうか。添えなかったら申し訳ないというか……」
「そっちか……」
「んぅ? 他になにか問題があっただろうか。こうしてまた新たな問題がここに産まれた。へぇへぇへぇ」
「なにそれ」
「トリビア。正確には種」
何の話かというと、友人は退屈を持て余すばかりにこの度、SNS上で全国津々浦々、奇妙な経験談、引いてはその相談の活動を始めたのである。
メンバーは彼女と僕の二人だけ。ちなみに、活動組織の名前は未定である。そのうち彼女が「SNS団でいいか、SNS団で」とか言い出して、SNS団になるかもしれない。
数日前のこと。大学の食堂で同じテーブルを囲みながら、例のお料理系YouTuberの動画を見せていると、友人は友人でスマホに素早く指を走らせて、
「あ、依頼きた」
そんな風に呟いた。
「依頼? ——え、依頼?」
僕はそのあまりに突発的な、私立探偵めいた発言に驚いて、とっさに二度見ならぬ、二度聞していた。
「うん」
友人は当然のように返したが、年中、半目で、寝てるか起きてるかも分からないような彼女である。
おそらく要求されたり、クレームを突きつけられたところで、「これが今、私がお客様にお届けできる最大のスマイルです。そもそもお客様がスマイルだと思っているのは本当にスマイルだったのでしょうか。そこに心はありましたか?」云々と言いくるめて、当然のように憚らない様子が容易に目に浮かんでくる。
僕は小難しい設問に取り掛かるときのように、いくつかのパターンを頭の中で浮かべては打ち消しながら、可能性を吟味して、暫定的な解を提示してみる。
「……バイトとか? いや、まさか、君が接客なんかできるわけないし、なに始めたの?」
「ひどくない?」
友人は頬を緩め、軽く吹き出すと、プロゲーマー顔負けの腕組みこそしないものの、今度はなにやら得意そうに言う。
「私だって、料理くらいできるから、ホールじゃなければファミレスとかいけるよ」
「やっぱり接客する気はないんじゃん」
「それはもうマネージャーが悪いよ。不適材不適所の極み」
(やっぱり云々言いだした……)
と、コーヒーを啜っていると、友人は続けて肩を叩いてきた。入学した頃からの仲だけど、最近こういう、さりげないスキンシップが増えつつあって、毎日が非常に楽しい。
「違くて。ねぇ、ちゃんと聞いて。実はこの度、Twitterでね、奇妙な体験談募集とか、その類の相談とか、始めてて」
「……また危ないことに巻き込まれても、しらないよ」
「大丈夫大丈夫。あの時だって、結局平気だったでしょ?」
「あれはたまたま僕と
「——だから大丈夫、だから」
「…………」
僕ははたと気付いて、顔を見上げた。
「……あの。それってさ、もしかして」
「ん?」
友人の顔はどこか紅潮して、照れ臭さを噛み殺しているようにも見えた。
一回生の、確かまだ梅雨入りもしてない春先のときのこと——。
この友人、何を隠そう、退屈を嫌い、混沌を求めるその生活態度のあまり、誘拐未遂事件にあっているのである。
もちろん未遂であって、今こうして僕の目の前に無事でいるように、事件自体は僕と同回生の八咫郎とで未然に食い止めることができたのだけれど、——思えばそれが、この異世界言語でやりとりするかのような、奇妙な君と僕との、そしてそんな彼女と同じように、どこか肩の力が抜けるようなズレた怪奇との、出会いと別れに満ちた不思議な学生生活の始まりだったのだ。
が、しかし、今回はパスタとカレーと座敷童子の話なので割愛して、僕はまだズラすようにこう言った。
「その活動、僕も既に勘定に入って——」
「……そりゃあ、相談役にも相談役は要るでしょ」
友人の開きかけた第三の目は
——で、その記念すべき初依頼の計画を立てるついでに、料理の腕前を披露してやるという算段になり、冒頭に至るのだが。
僕は友人の洗った食器を磨きながら、言った。
「君でも緊張したりするんだね」
「うーん。やっぱ人間の依頼人ってなるとさ、好き勝手やるのとは違って、責任とか考えて、胃が痛くなるものだよ」
「人間以外の依頼……」
僕はその言葉を受け入れるのに、深呼吸を要したが、友人はさも常識であるかのように、
「あまねく自然は日々、我々に命題を問うてきているのだよ? た——ワトソンくん」
そう宣い、間もなく狩人に気づいた兎のようにそそくさと草の陰ならぬ、泡の陰……洗い物に戻るのだった。
ちなみに言いかけたのは僕の名前である。
まだ呼ぶのは恥ずかしいみたいだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます