成長する山
白河雛千代
第1話
S県N市の南方にその奇妙な山はあった。
何でも、年々標高が高くなっている、というのである。
初めて観測された記録によると本来、その山は四捨五入して二千メートル余りしかないはずだったのが、近年計り直したところ三千を優に超えていることがわかって、一気に話題に火がついた。
そしてそうやって知られるようになると、麓の街は山の評判で観光客が増えて栄え、その度にますます標高の伸びは盛んになったというのだ。
一説によれば積雪に積雪が重なってだんだんと小高くなっていったものとされるが、それでは麓の賑わいと共に増えた分が説明できない。人々の歓喜を糧に成長する山なのだとオカルトを主張する団体も現れた。
地質学に詳しい大学の教授に尋ねてみても、例えば海中の活火山が噴火をくりかえして海上に島を形成し出すことはあっても、既に地表に出ている山がそうした動きもなしに標高を高くするとは考えにくい。元々の観測記録が間違っていたか、本当に積雪がそうした現象を産んでいるかと返ってきた。
そして奇妙なことに、一度はそうして話題になったものの、しばらくするとパタリと、研究者の誰も原因の追求をしなくなったのである。
本当なら歴史的な発見にも繋がりかねない事象に、好奇心の獣である学者たちがそうして興味の食指を止めることは極めて珍しい、あり得ないと言ってもいい。
そこで大学生である僕たちは、この件を取材すべく、現地に飛び、近隣の住民たちに話を伺ってみることにした。
「昔からあんなもんだったよ」
「え、初めて知りました。そうだったんですか?」
「そんなことより隣の子、可愛いね。付き合ってんの? ないなら、俺と」
すでに雪のちらつく寒い地域だった。僕たちは防寒具を分厚く着込んで、駅前、商店街、住宅地沿いの田園地域と取材にあたったが、現地人はそもそもさしたる興味もないようで、ろくな話を聞けなかった。
その日泊まった旅館にて、特に標高の伸びが著しいとされる年の情報を洗ってみると、大飢饉や伝染病、大震災等々の大きな災害のあった年と重なることが分かる。
加えて、実りのなかった取材ではあったものの、それ自体から友人はこう考察した。
「若者はさておき、老人は口をつぐんでる節がある」
「というと?」
「若者が知らぬ存ぜぬなのはまだわかるけど、老人の意見は明確だ。昔からあんなもんだった。変わらない。ゴシップじゃないのか? と、方向性が一貫している……つまり、そうしたい思惑があるんじゃないかって話」
「確かに。考えてみると、そうだね」
「明日、もう一回。今度はお年寄り中心に聞いてみよう」
しかし、その必要はなくなった。ちょうど夕食を運んできた旅館の仲居さんが話を聞いていて、僕たちに待ったをかけてきたのだ。
「あなたたちは学生ですか? 悪いことは言わないからおよしなさい。それ以上突っ込んではなりません」
「なぜです?」
仲居さんは、僕たちが机に広げていた資料に眼差しを落としながら言った。
「よく考えてみることです。そうすれば自ずと分かること。私の口からでは言えません」
「ヒントください」
「これがもうヒントです。勘弁してください」
「まぁ、だろうね」
友人はそう言うと追求をやめて、僕たちは夕食にした。
「ねぇ。自然災害以外だと他にどんな事件があるか分かる?」
僕はパラパラと街の近代史料をめくりながら答える。
「自然以外ね……他には、えっと、あー一昔前に、近場の原子炉発電所で事故が起きてるね」
「……明日は一回、山を見るだけにしよう」
友人の方向転換で、翌日は例の成長する山の麓まで見に行った。
といっても、友人は麓まできて遠方から眺めるだけで決してその山に入りたがらず、僕たちは双眼鏡を使ってその尾根を観察する。
噂通りの積雪量で、山の表面は上に行くほど真っ白。
雪が、しんしんと積もっている。
「お前さんがた、登山客かい?」
老婆だった。
僕たちは言葉もなく、首を横に振ると、老婆はしかつめらしい顔をして、逡巡している。
友人が慮るように言った。
「なにか……いえ、それも聞かない方がいいのでしょうね?」
「頭の回転が早いね。その通り。この世には口にしない方がいいこともあるものさね」
「でも、いつか、雪は溶けますよ」
「そしたら、また別に産まれるだけさね。尻尾を切っても、トカゲは動く。人が必要とする限り、どこかにはこんな場所があるものさ」
僕は友人がずっと気付いていたことを、その時ようやく理解して、同時に僕自身も腑に落ちていた。
山を見る。
雪が、しんしんと積もっている。
現在の観測によれば、少なく見積もってもあと百年は、この山の氷が溶けることはないという。
それでも、いつか温かな春が来れば流れてくるのだろう。何も知らない麓の街に。
雪解け水となって、流れてくるのだろう。
成長する山 白河雛千代 @Shirohinagic
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